仏法修行の目的は、
「無明」を無くすことですよね。
そのために、
いろんな行を行うのですが、
私達はそのことを忘れてはいけないと思うのです。
「因縁解脱」と言いますが、
社会的な欲望のために、行を進めるのではないんだと言うこと。
世間福を得るのが、行の目的ではないことを、
改めて認識するのですね。
だからといって、
世間福を求めるなというのではないんです。
社会生活を送るのには、
世間福も必要であります。
あれば、
生きていきやすくなりますよね。
だからといって、
その世間福に血眼になって、
血道をあげるようになると、
これはもう修行にはならなくなるし、
道を外してしまうと思います。
肩書があるのは、他に理由があるからです。
地位や名誉があるのは、
前世に積んだ徳があるからです。
だから、
それにとらわれないことは大事です。
持たない人は、
必要に応じて持てるように、
徳を積めばいのですからね。
私達の本道は、
あくまでも《無明》を解消することにあるのです。
それが究極の目的だということですね。
一心に精進、精進!
(続く)
「無明」を無くすことですよね。
そのために、
いろんな行を行うのですが、
私達はそのことを忘れてはいけないと思うのです。
「因縁解脱」と言いますが、
社会的な欲望のために、行を進めるのではないんだと言うこと。
世間福を得るのが、行の目的ではないことを、
改めて認識するのですね。
だからといって、
世間福を求めるなというのではないんです。
社会生活を送るのには、
世間福も必要であります。
あれば、
生きていきやすくなりますよね。
だからといって、
その世間福に血眼になって、
血道をあげるようになると、
これはもう修行にはならなくなるし、
道を外してしまうと思います。
肩書があるのは、他に理由があるからです。
地位や名誉があるのは、
前世に積んだ徳があるからです。
だから、
それにとらわれないことは大事です。
持たない人は、
必要に応じて持てるように、
徳を積めばいのですからね。
私達の本道は、
あくまでも《無明》を解消することにあるのです。
それが究極の目的だということですね。
一心に精進、精進!
(続く)