「悪因」あれば「悪果」を招くという。
ですが、
因と結果の間に、縁が必要ですね。
縁がなければ、因を結果に導きようがないわけです。
だから、
縁は大事にされるのです、と開祖がおっしゃられた。
そうかと、うなずきながら思った。
例えば、
《肉親血縁相剋の因縁》という星があります。
この星が動くと、兄弟だけでなく、
親しい間柄にも働いてきます。
初め、協力し合って始めた事業は、
その因縁が動き始めると、
相争いが始まります。
そして、強力関係が崩れ始めるのです。
まさに、
3本の矢がチリジリに離散し始めるのです。
三本の矢が一本にまとまれば、
大きな大事業にも成功できるのにも関わらず、
お互いの関係が傷つけあうから、
いっしょにいるのが嫌になるのです。
これはよくある話ですが、
二人でも三人でも、男兄弟がいるとします。
長男は次ぐべき立場にありながら、
親が次男や三男を贔屓する。
可愛がる、おもちゃを一人にだけ渡す。
そんな明らかな偏愛ぶり、一人にのみ溺愛すると、
他の兄弟たちは、明らかに不満を持ちます。
そして、
溺愛を受ける兄弟に対して、妬んだり嫉妬したりして、
やがて憎むようになります。
それが仲たがいを生んでいくのです。
元は両親が平等にかわいがっていればよかったのに、
良心の好き好みで、誰かだけに愛を注ぐ。
それが他の兄弟たちには気に入らないことから、
兄弟たちの仲たがいが始まる。
これは一つの例ですが、
そういうことって、
多分、どの家庭でもあるのではないだろうか。
で、その関係を失くしたいと思う。
でも、一度悪くなった関係は、なかなか元には戻せない。
ほとほと苦しんだ後に、
お互いがお互いを、気にしあっていることが分かって、
もうそんな関係を止めたいと思った。
そこで、仲良く振舞ったりするのだが、
ひょんなことで、
双方の存在がものすごく気に障るわけです。
そこで、
一々心を動かさないようにしようとするのです。
つまり、煩悩を起こさないようにしようとするのです。
一々反応しないように、自分の心を操作するのです。
一々心を動かさないぞと、決意するのです。
そして、相手に対して良いイメージを持つように、
相手を愉快な存在に考えるのです。
ですが、
相手の方がそうしない。ちょっとしたことで、相手を傷つける。
何度も何度も、そんな関係に陥るのです。
これでは参ってしまいますね。
二人の間に縁が存在するから、悪い因縁が出て、
お互いに苦しむのではないでしょうか。
すっぱりと縁を切りたいものですね。
何を言ってるでしょうか、
私も頭がこんがらがってしまいました。
要するに、
お互いが会わないようにすればいいじゃないかというでしょう。
そう思いますよね。
でもね、それではだめなんですよ。
時間が経っても、人生が終わっても、
再びの人生において、また会ってしまうんです。
さらに深い関係となって、
お互いが憎しみあうようになるんです。
これって、厳しいでしょう?
これって、悲惨でしょう?
一体どうしたらいいの?
と思うでしょう?
結局、
前世において二人がなした出来事の清算をする必要があるのです。
二人の間においてしでかしたカルマを清算すること。
そして、二人の間に、何者をもわだかまりが無くなってしまうまで、
二人は永久的にわだかまりのある関係となる。
悲しいですね、そんな関係って。
お釈迦さまは、業の解消を説かれたのです。
業を解消させて、業から生じるところの抑圧意識=煩悩を開放しろと説かれた。
それが、つまりは成仏することなのです。
悪縁を解消するとは、
業の解消を言うのです、
そして、そこから生じていた煩悩を開放する。
それが大事なのです。
実に真理ですね。