STYX(Ⅲ)です。
そうです、三途の川を越えることが、
まづ第一の人生のテーマになるべきなのです。
それが私たちの人生の飛躍につながっていくのですね。
三途の川が越えられないと、
魂は上昇のしようがないわけです。
「輪廻転生」というけれど、
永遠に同じところをグルグルと回り続けるのか、
それとも、
らせん階段を上るように、上昇を続けていくのか?
その違いは、
同じ輪廻転生という、輪を回るように生まれ変わり、
死に変わりするのとでは、まったく意味が変わってくる。
同じ生まれ変わりをするのであれば、
次の人生へのステップとなるような、
生まれ変わりをしたいものですよね。
だから、
私たちには、先祖供養が必要なのです。
私たちを規定づける、ある種、枠づけているもの。
それは仏教では因縁と呼ばれているものですが、
それを取り除くことは、
実はとても大変重要なことなんです。
私たちがこの世に生まれてくるとき、
両親を縁として、生まれてきますが、
その両親は家系の因縁というものを持っている。
その家系の因縁を引き継いで、
私たちは生まれてくるわけですよね。
その証として、父親の頭脳を備えて生まれてくるし、
母親の性格を持って生まれてくるわけです。
中には、美人とは言えないけれども、
なんとなく憎めない、
そんな母親の容貌を受け継いで、
生まれてくるなんていうこともあるわけでしょう。
そして、
前世の業をもまた引き継いで生まれるわけです。
今言った、憎めない母親の容貌を引き継いで生まれるというのも、
これは前世の業が原因となっているわけです。
それは、彼女を幸せな人生に導く、
大きな要素のひとつになるのでしょう。
反対に、
美貌の持ち主ではあるけれども、
なんとなく冷たい表情だと、
人間関係において、
かなりマイナスの悪影響が予想されるわけですからね。
ですから、
前世において積まれた行為のすべてが、
この世における、持って生まれる「因縁」の元になるのですねえ。
どうしてこんな不細工な顔に、親は作ってくれたのか?なんて、
親を憎むのはお止しなさいよ。
すべては、
自分の為した行いが元にあるわけですからね。
誰も責められないんです。辛いね~。
(もっとも、誰かのせいにすることほど、
楽なことはないですよね。)
「因」とは、その人の前世における業そのもの。
「縁」とは、この世における、業の結果。
前世の行いの報いの結果となったものが、
現世における自分自身であり、
環境・条件なんだということですね。
こんな家に生まれなきゃ良かった!なんていう嘆きは、
もっともな叫びですけどね。
しかし、
その嘆きが、あなたの人生を向上させる元にもなりうるわけですから、
物事の捉えようであり、考え次第であるわけです。
プラスに考えていきましょうよ。