六枚目のコイン

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天国への階段

2022年03月20日 16時20分45秒 | 音楽・ロック

史上最大のヘビィロックバンド、
レッド・ツェッペリンの名曲と言えば、
もう誰もが思い浮かぶ、
『天国への階段』。

ロシア・ウクライナ問題を考えていたら、
ふと、
この『天国への階段』の曲が頭に浮かんだ。

あれって、
仏教的に言うと、
『仏界への階段』と言い換えれるんじゃないか。

そうかあ、
あの曲を今やると、
ヨーロッパでは大受けするんじゃない?
なんて、
ばかなことを考えた。

彼らって、
ひょっとして、
そう言いたかったのかも? なんて考えた。

天国という概念を、
霊的最上界の意味で考えていたのなら、
ロバート・プラントと我々には、
ある一筋の共通点があるんだろう。

そう思って、考えてみた。
詩の内容はわからないので、
本当のことは何とも言えないのだが、

ひょっとして、
彼は霊的な問題を言いたかったのではないかと考えると、
これって、ロックの歌を考える上で、
面白い解釈が生まれるんじゃないか。
ロックを考える上での、新しい地平線としての解釈。
新ロック論とでも言えるかな。

だけど、
成仏の階段も同じように、
天国への階段は生半可では登り切れない。
階段を上るように登れるもんじゃないんだから。

だから、
歌うのは易しいけれど、
実践はまた別のものなんだと考えるべきだ。

歌を歌うのはやさしい。
だけど、
歌うところから、新たな思考の転換として、
実践に移るのは、相当な経験と挫折を味わう必要があると思える。

ジョンレノンがそうだった。
ジョンは結局、
歌の世界でユートピアを実現しようと考えた。

でも、
それは方法が違うんだとしか言えない。
みんな同じ空想をすれば実現できるものじゃあない。
そこがちょっと安易だったかな?と思う。

西洋の若者たちの中には、
音楽を通して哲学的な問題や、
宗教的な問題、また心の平安などを表現する人がいる。
そう、
知的な人がずいぶんいるもんだ。

だけど、
歌うだけじゃダメ、考えるだけじゃダメ。
それとこれとは別物なんだ。
だから、
そこから飛躍して、
いったん音楽を離れることが求められる。

最上階の天国に到達するためには、
仏陀の行った修行法を実践しなければならないのだ。
それがこれからのヨーロッパの必要とするところではないか。

個々の実践を必要とする新しいヨーロッパ。
それが待たれる。

コメント
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