(写真:3号機 管理区域内にて参加者の皆さんと一緒に)
新潟のホテルを朝出発して約1時間30分程度でインターの出口である西山町に到着。ここは田中角栄元総理の出身地だったとの事で、資料館などの案内板が見て取れました。まもなく柏崎市・刈葉村にある東京電力の施設である「サービスホール」にて原子力発電所のしくみなどを模型や映像などを使って学習しました。
サービスルームでの昼食後、いよいよ原子力発電所の敷地に足を踏み入れました。バスや車などはゲートでまずチェックを受け、その後、管理区域外に入る時にIDを渡され個々でゲートを通過。敷地内に入ると3ヶ月前に起こった「中越沖地震」のつめ跡が歩道や建物の一部や庭など随所に見受けることが出来ました。
最初に3号機の外壁が黒く焦げ付いた場所を見せてもらいました。変圧器の中にあった絶縁油が漏れ出しケーブルがショートして発火しましたが防火壁によって他への類焼はありませんでした。また、6、7号機で起こりました、放射性物質の海や大気への放出について図や写真を見ながらの説明を受けました。共に極めて微量であり、健康や環境への影響はなかったとの報告を受けました。地震発生にともなうトラブルは幾つかありましたが敏速な対応とその後の改善策を講じるなどして安全性の徹底を行っていました。私が雑誌やテレビで観た報道のイメージとは全く違っていました。
その後、生まれて初めて原子力発電所の管理区域内に足を踏み入れました。
3号機に入場する際ににも個別になった個室でIDチェックを受け、靴下、手袋、靴、放射能測定装置などをつけて建物の中に入りました。
まさしく、私の数メートル先ではウランが核分裂している原子炉圧力容器が存在しています。原子炉格納容器の中は機械工場の様な騒がしい音と蒸し暑い空間です。
核分裂によって発生した熱を利用して水を沸かして蒸気にかえ、蒸気の力でタービンを回し、タービンによって発電機を回して電気を起こします。約1時間程度でしたが貴重な体験をさせて頂きました。
現在、電気の使用量は日本全体で20年前の2倍近くになっていてこれからも年々増えて行く見通しです。地球のエネルギー資源には限りがあり、今のままでは、石油や天然ガスは今世紀半ばまでしか持たないと言われています。しかも、日本は資源の乏しい国なので、エネルギーの約8割を輸入に頼っているのが現状です。
長く安定したエネルギーを確保するには、原子力発電をベースに、火力発電、水力発電などのそれぞれの特長を生かしてバランスよく組み合わせる「電源のベストミックス」が今必要です。
新潟はやはり米がとても美味しい土地でした。柏崎の浜まで歩いて行ってみました。この浜辺では昔、蓮池さん夫婦が拉致され、その先にぼんやり見えている佐渡島にはジェンキンスさん夫婦がいるんだ、と妙に気分になりました。