僕の人生中盤の夢!~その3「タイヤ式地下鉄発祥地のパリ地下鉄への参入」
その第一歩は1992年10月、パリ地下鉄へ僕の設計したパリ地下鉄用タイヤをプレンテーションし、現車テスト走行への了解を取得したパリ訪問でした。
我々は、国内の地下鉄・モノレール・新交通システム用タイヤとカナダ・メキシコ・チリ地下鉄タイヤで技術レベルを実証してきましたが、タイヤ式地下鉄発祥地のパリ地下鉄への参入もターゲットとしていました。
パリ地下鉄へのアプローチに先駆けて、マルセイユ&リヨン地下鉄でも現車走行テストを開始していましたので、それらのタイヤ調査もあわせておこないました。
パリ地下鉄側は、僕のパリ訪問後、ゆっくりと1年間かけて審査をおこない、現車テスト走行の許可を与えてくれましたが、この瞬間が僕にとって「第3の夢の実現」となりました。
僕は、ユーザーが求めているものを開発すれば「ユーザーに喜んで使って戴ける」ことを、今回も実証することが出来ました。
その第一歩は1992年10月、パリ地下鉄へ僕の設計したパリ地下鉄用タイヤをプレンテーションし、現車テスト走行への了解を取得したパリ訪問でした。
我々は、国内の地下鉄・モノレール・新交通システム用タイヤとカナダ・メキシコ・チリ地下鉄タイヤで技術レベルを実証してきましたが、タイヤ式地下鉄発祥地のパリ地下鉄への参入もターゲットとしていました。
パリ地下鉄へのアプローチに先駆けて、マルセイユ&リヨン地下鉄でも現車走行テストを開始していましたので、それらのタイヤ調査もあわせておこないました。
パリ地下鉄側は、僕のパリ訪問後、ゆっくりと1年間かけて審査をおこない、現車テスト走行の許可を与えてくれましたが、この瞬間が僕にとって「第3の夢の実現」となりました。
僕は、ユーザーが求めているものを開発すれば「ユーザーに喜んで使って戴ける」ことを、今回も実証することが出来ました。