2010年8月31日の真夏の東村山、この35℃の暑さに負けないために、厳冬の「富士山頂スキー大滑降」を振り返ってみました。
富士山頂大滑降に向け東村山を出発したのは、1971年2月5日午後10時、愛車のブルーバード510で府中街道~立川を経由し、一路R20の山岳ドライブをも楽しみながら、真夜中の大月から河口湖~山中湖をぼんやりと確認しながら御殿場登山口下までの5時間の深夜のドライブを楽しみました。
早速、後輪のみスパイクタイヤに交換し、御殿場登山口の2合目(標高1600m)までの車両駐車場へスパイクタイヤの氷上登坂性能を確認しながら、雪上&氷上の登坂ドライブも楽しみ、駐車場へは午前3時に無事到着しました。
僕の富士山頂への登頂計画は、御殿場口2合目を午前4時に出発し、標高差2173mを7時間かけて午前11時に富士山頂へ登頂する計画でした。
何故なら、高気圧が富士山の真上に来てくれても、厳冬期の富士山では午前11時を過ぎると風が徐々に強まる傾向がありましたので、この登頂計画は必達の要件です。
それでも、御殿場登山口では愛車の中で、チーズ&ビールで午前4時までの1時間をリラックス、登頂前の余韻を静かに楽しんでみました。
登頂の服装は、下は純毛の股引の上にスキーズボン、上は極細の純毛のセーター+中細の純毛のセーター+極太の純毛のセーターの3枚重ね(この3つのセーターはいずれもお袋の手編み)、そして、その上に風よけのヤッケを着ました。
リュックには、朝食のパンとチーズ、それから缶ジューズとみかん、それと記録用のカメラを入れ、軽さを重視しました。
いよいよ午前4時の出発時間となり、真っ暗な雪原に本革のスキー靴を履き、肩に長さ2mのクナイスルのスキー板を担ぎ、2本のストックを片手で突きながら、一路山頂へ向けて出発しました。
天候は、高気圧の到来を予測していましたが、冷たい風が強く、しかも、まだ真っ暗な雪原をただひたすらもくもくと歩いて行きました。
登坂開始後の雪原は、全く平らに感じられ、どこまで歩けば登り坂になってくれるのか、真っ暗な雪原をひたすらスキーの板を肩にしょって歩きましたが、スキーの板を支えている手の指先がかじかんでくるので、頻繁に支える手を交換しながら進みました。
しかし、夜明け前の暗闇が吹雪となってしまい、途中にあるコンクリートの小屋の軒下で吹雪の通過を待ちました。
すると、夜明け前に吹雪が止み、富士山全体がブルーに染まっていました。
そして、しばらくすると、ご来光を受けた富士山全体がピンク色に染まってきました。
このピンク色の富士山は、今でも脳裡に焼き付いています。
僕のスキー靴は本革の革靴ですから、宝永山山頂からは、大きな岩が露出した稜線を登って行きました。
従って、アイゼンも不要です。(アイゼンでは、岩の上を歩けません)
この大きな岩が露出した稜線は、富士山の山頂まで延々と続いていましたが、上を観ても山頂を観ることが出来ず、はだひたすら露出した岩を登っていきました。
途中で、朝食をと思い、カンジュースを開けましたが、ジュースがガチガチに凍っており、飲むことが出来ません。
それと、「みかん」の皮を剝こうとしましたが、みかん全体がガチガチに凍っており、みかんも食べることができません。
しかたなく、朝食はパンとチーズで我慢です。
予測通りに上空に青空が見えだし、風もだんだんと止んでくれ、ようやく山頂が観えてきた時は、朝4時から厳冬の中で7時間の登坂が報われる瞬間です。
山頂へ到達すると、ガチガチのアイスバーンが出迎えてくれました。
それから、火口を覗き込み、次に正面に剣ヶ峰とレーダードームを撮影、登頂の証拠にクナイスルのスキー板とストックとリュックをもいっしょに撮影しておきました。

いよいよ、御殿場登山口へ向けて「富士山頂からのスキー大滑降」の開始です。
山頂直下は、ガチガチのアイスバーンですがU字型の滑り易い斜面で、しかも稜線付近は粉雪でしたので、その粉雪の感触も味わってみました。
アイスバーンの斜面を見渡すと、無数に岩が顔を出しています。
この岩を避けながらのスキー大滑降に挑戦してみました。
スキー板のエッヂをヤスリで磨いでおいたので、スキーエッヂもアイスバーンに負けることもなく、パラレルクリスチャニアでのスキー滑降で一気に新雪粉雪地帯へ到達してしまいました。
この新雪粉雪地帯では、例え転んでも何の問題も発生しない心地良さを味わうことができます。
思わず駆け上がって、粉雪での滑降を2度楽しんでみました。
さらにスキー滑降を続けると、雪の表面から約2cmだけ凍っている地帯があり、スキー滑降での方向転換はジャンプターンが必須となります。
さらにスキー滑降を続け、いよいよ愛車へ到着です。
約1時間の「富士山頂スキー大滑降」が成功した瞬間です。
時刻は丁度、お昼の12時です。
大きな達成感を胸にしまい、東村山までの帰りのロングドライブを楽しみました。
富士山頂大滑降に向け東村山を出発したのは、1971年2月5日午後10時、愛車のブルーバード510で府中街道~立川を経由し、一路R20の山岳ドライブをも楽しみながら、真夜中の大月から河口湖~山中湖をぼんやりと確認しながら御殿場登山口下までの5時間の深夜のドライブを楽しみました。
早速、後輪のみスパイクタイヤに交換し、御殿場登山口の2合目(標高1600m)までの車両駐車場へスパイクタイヤの氷上登坂性能を確認しながら、雪上&氷上の登坂ドライブも楽しみ、駐車場へは午前3時に無事到着しました。
僕の富士山頂への登頂計画は、御殿場口2合目を午前4時に出発し、標高差2173mを7時間かけて午前11時に富士山頂へ登頂する計画でした。
何故なら、高気圧が富士山の真上に来てくれても、厳冬期の富士山では午前11時を過ぎると風が徐々に強まる傾向がありましたので、この登頂計画は必達の要件です。
それでも、御殿場登山口では愛車の中で、チーズ&ビールで午前4時までの1時間をリラックス、登頂前の余韻を静かに楽しんでみました。
登頂の服装は、下は純毛の股引の上にスキーズボン、上は極細の純毛のセーター+中細の純毛のセーター+極太の純毛のセーターの3枚重ね(この3つのセーターはいずれもお袋の手編み)、そして、その上に風よけのヤッケを着ました。
リュックには、朝食のパンとチーズ、それから缶ジューズとみかん、それと記録用のカメラを入れ、軽さを重視しました。
いよいよ午前4時の出発時間となり、真っ暗な雪原に本革のスキー靴を履き、肩に長さ2mのクナイスルのスキー板を担ぎ、2本のストックを片手で突きながら、一路山頂へ向けて出発しました。
天候は、高気圧の到来を予測していましたが、冷たい風が強く、しかも、まだ真っ暗な雪原をただひたすらもくもくと歩いて行きました。
登坂開始後の雪原は、全く平らに感じられ、どこまで歩けば登り坂になってくれるのか、真っ暗な雪原をひたすらスキーの板を肩にしょって歩きましたが、スキーの板を支えている手の指先がかじかんでくるので、頻繁に支える手を交換しながら進みました。
しかし、夜明け前の暗闇が吹雪となってしまい、途中にあるコンクリートの小屋の軒下で吹雪の通過を待ちました。
すると、夜明け前に吹雪が止み、富士山全体がブルーに染まっていました。
そして、しばらくすると、ご来光を受けた富士山全体がピンク色に染まってきました。
このピンク色の富士山は、今でも脳裡に焼き付いています。
僕のスキー靴は本革の革靴ですから、宝永山山頂からは、大きな岩が露出した稜線を登って行きました。
従って、アイゼンも不要です。(アイゼンでは、岩の上を歩けません)
この大きな岩が露出した稜線は、富士山の山頂まで延々と続いていましたが、上を観ても山頂を観ることが出来ず、はだひたすら露出した岩を登っていきました。
途中で、朝食をと思い、カンジュースを開けましたが、ジュースがガチガチに凍っており、飲むことが出来ません。
それと、「みかん」の皮を剝こうとしましたが、みかん全体がガチガチに凍っており、みかんも食べることができません。
しかたなく、朝食はパンとチーズで我慢です。
予測通りに上空に青空が見えだし、風もだんだんと止んでくれ、ようやく山頂が観えてきた時は、朝4時から厳冬の中で7時間の登坂が報われる瞬間です。
山頂へ到達すると、ガチガチのアイスバーンが出迎えてくれました。
それから、火口を覗き込み、次に正面に剣ヶ峰とレーダードームを撮影、登頂の証拠にクナイスルのスキー板とストックとリュックをもいっしょに撮影しておきました。

いよいよ、御殿場登山口へ向けて「富士山頂からのスキー大滑降」の開始です。
山頂直下は、ガチガチのアイスバーンですがU字型の滑り易い斜面で、しかも稜線付近は粉雪でしたので、その粉雪の感触も味わってみました。
アイスバーンの斜面を見渡すと、無数に岩が顔を出しています。
この岩を避けながらのスキー大滑降に挑戦してみました。
スキー板のエッヂをヤスリで磨いでおいたので、スキーエッヂもアイスバーンに負けることもなく、パラレルクリスチャニアでのスキー滑降で一気に新雪粉雪地帯へ到達してしまいました。
この新雪粉雪地帯では、例え転んでも何の問題も発生しない心地良さを味わうことができます。
思わず駆け上がって、粉雪での滑降を2度楽しんでみました。
さらにスキー滑降を続けると、雪の表面から約2cmだけ凍っている地帯があり、スキー滑降での方向転換はジャンプターンが必須となります。
さらにスキー滑降を続け、いよいよ愛車へ到着です。
約1時間の「富士山頂スキー大滑降」が成功した瞬間です。
時刻は丁度、お昼の12時です。
大きな達成感を胸にしまい、東村山までの帰りのロングドライブを楽しみました。