テレビの料理番組を見ていて、旬の野菜料理を見ていてもピンとこないんですね。
通りがかりに軽トラックの荷台に掘り起こされてばかりの、ゴロンとした力強いタッチの土つき筍を見たときとか、買い物に行くのに通り抜ける集落の家前の畠に、お豆サンのさわやかな緑の葉っぱのなか白い花が咲いていたりしているのを見て。ああ!豆ご飯が食べたいと思ったのデス。どうもここら辺りは少し標高が高いので季節はズレ遅れているようです。やはり季節の野菜が一番先取りしているのは街なんですね。あとは順繰りで、来るというしだいで。毎日買い物に行かない私たちはズイブン後。北の国の人たちもっと遅いのでしょう。
もう、私たちの手に入れたのは割引料金のついたお豆さん。豆の仕入れも時期がずれだしていたのでしょう。まあ、たいがい割引料金のものに手が出るのは、貧乏生活いたしかたないものですが。
豆を莢からだすと少し茶色くなっている豆も大小さまざま、鮮烈な緑もやや落ちているものもありました。でもご飯に出し昆布をほうりこみ、塩を小さじ一杯ほうり込み。そして炊けてくるのを待つ間。旬の野菜類を食べて美味しいと思うのは、その「季」の色と形を口にできる喜びですね。緑のお豆さんを口にして、ホンワリした香りが口にひろがり、舌でお豆サンをつぶすと豆の青く甘いような味がひろがり鼻腔にたっします。そしてご飯の粘ったジンワリあまみも加わり。かみしめるほどに、自分のなかに広がってゆくものがあります。おおげさですが自然を食べているのだと。それが「力」となるんですから。なんて、でもこんなコトで悦んでしまっているのですから、単純なものデス。コレが蕗と鯛の炊いたんがあったらなどと、思うのですが。おジャコに塩昆布だけで充分でした。炊きたても良いんですが、次の日のもイイんですね。食事中の会話「豆植えたら、きっと鹿に食べられるカナー?」「擬宝珠もホトトギスも食べたんだから、大ご馳走ヤ!」
失礼、うししいとついついバンザイ絵になってしまうのデス!
通りがかりに軽トラックの荷台に掘り起こされてばかりの、ゴロンとした力強いタッチの土つき筍を見たときとか、買い物に行くのに通り抜ける集落の家前の畠に、お豆サンのさわやかな緑の葉っぱのなか白い花が咲いていたりしているのを見て。ああ!豆ご飯が食べたいと思ったのデス。どうもここら辺りは少し標高が高いので季節はズレ遅れているようです。やはり季節の野菜が一番先取りしているのは街なんですね。あとは順繰りで、来るというしだいで。毎日買い物に行かない私たちはズイブン後。北の国の人たちもっと遅いのでしょう。
もう、私たちの手に入れたのは割引料金のついたお豆さん。豆の仕入れも時期がずれだしていたのでしょう。まあ、たいがい割引料金のものに手が出るのは、貧乏生活いたしかたないものですが。
豆を莢からだすと少し茶色くなっている豆も大小さまざま、鮮烈な緑もやや落ちているものもありました。でもご飯に出し昆布をほうりこみ、塩を小さじ一杯ほうり込み。そして炊けてくるのを待つ間。旬の野菜類を食べて美味しいと思うのは、その「季」の色と形を口にできる喜びですね。緑のお豆さんを口にして、ホンワリした香りが口にひろがり、舌でお豆サンをつぶすと豆の青く甘いような味がひろがり鼻腔にたっします。そしてご飯の粘ったジンワリあまみも加わり。かみしめるほどに、自分のなかに広がってゆくものがあります。おおげさですが自然を食べているのだと。それが「力」となるんですから。なんて、でもこんなコトで悦んでしまっているのですから、単純なものデス。コレが蕗と鯛の炊いたんがあったらなどと、思うのですが。おジャコに塩昆布だけで充分でした。炊きたても良いんですが、次の日のもイイんですね。食事中の会話「豆植えたら、きっと鹿に食べられるカナー?」「擬宝珠もホトトギスも食べたんだから、大ご馳走ヤ!」
失礼、うししいとついついバンザイ絵になってしまうのデス!