goo毎日絵日記

毎日の絵日記。空気描き、その日その時の雑感。

口蹄疫退散願い札・花咲かせる力

2010-05-27 08:20:14 | 日記
昨日は頭に血が上り、頭の中が大暴走。絵は毎朝パソコンに描いているですが、だいたいほとんど何も考えずにかきだし。描いている間に、そのタッチから形が成してして、それと相談しながらやってゆきます。昨日は描いている間にヤジ呂兵衛ふうになってきて、「案山子やナ」という具合。案山子は田圃の先兵、「うん?」、護りの神サンや!→田の神サン→九州→宮崎の口蹄疫病→祇園祭りはあれは牛頭大王→お札や!
お札にして、これをパソコンで上げたらどないヤ!とどんどn突っ走り始めたのです。もう絵を描くより、頭の中が駆られはじまてしまいました。それでイロイロの無料のブログ・掲示板に立ち上げようと昨日一日奮闘したのですが、ことごとく稚拙な(何故?)我がパソコン操作によって会員登録できず。ぼちぼちヤロか!の状態とあいなり。ともかく気を鎮める、気持と高ぶる気持の狭間。鎮めの、「花咲かせる力」の絵となりました。
「滅!口蹄疫オン!退散」札は別の場にしようと思っています。鎮まるまで、蟷螂の斧願い「札絵」。
http://ameblo.jp/grogoro14/
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口蹄疫!退散護符!

2010-05-26 09:20:54 | 日記
口蹄疫!
大変なコトだと感じます。以前見たダスティーフォフマンのウィルス映画あの姿が、宮崎で検疫の為にはたらいている方の姿とだぶります。あの映画も未知のウイルスだっと記憶します。結局、防疫・防災できないものが数多くあるコトがわかります。それだからこそ、厄災からのがれるために、鎮めの祭りが人間の歴史の中で延々と行われていたのだと思います。奇しくも、まもなく祇園祭。あのお祭りは牛頭天王を祀っての疫病退散のお祭りです。護符が配られるのも、そういう目的です。
たしかに人間は次々と疫病を克服してきました。でも、そういうモノはもっと強力なのですね。いまだに風邪を退治できないのですから。検疫も大事ですが、せめて、「護符」を作ればと思いました。信仰の為と嫌がる方もいますが、「気持」ではないでしょうか。各地の今の揺るキャラも、もともとは人形という身代わりという所から発したので。護符キャラというのを作ってはどうでしょうか。それをみなさん日本全国のパソコンの画面に「退散」願いを込めて同時に映しだすのです。毎日、立ち上げ画面にそれを出してもいいのではないでしょうか。
人の移動の動きで余計に汚染されるなら、その心配のいらない日本全国のパソコンの画面に疫病退散護符キャラをながすのは。
「気持」を一つにする事が「大事」、「表す」コトではないでしょうか。それが人間が延々としてきたコトだとます。声を上げるわけでもありません、でも表現できます。
それぞれが絵を描き・文字を書いて、口蹄疫退散護符を作ってもイイと思います。その気持を表す!というのは如何です。
パソコンだから出来るコト!ってあるのではと。厄災にたいしての、願いを込めて。
何かできないかと表現者の一人として、立ち上げます。
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雷象

2010-05-25 07:51:44 | 日記
なにかの時、ライオンと象のあいだに生まれた「ライ象」というのが思い浮かびました。「雷ゾウ」?、それが眠狂四郎の市川雷蔵にもつながると、いま「時代小説の勘どころ」寺田博ーなる本を読んでいるのです。フッと気付いて嬉しくなりました。身体はライオン、鼻は象。鼻で円月殺法ができるとつながり、「大口を開けられない」と、ライオンの仲間に苛められて蔑まされていたのが、ある日…なんて思いだすと嬉しくなりドンドン勝手に話しの思いは進んでゆきます。これが私お頭のなかの遊びです。
長いのもあるのですが。どうかと思い省略。キャラクタの絵も朝から四苦八苦しているのですが、空中分解。とりあえず、といってもやればやる程おかしくなるのデス!
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船底雨雲潜り

2010-05-24 07:46:43 | 日記
昨日に引き続くの雨音高い、雨の朝。それにしては対岸の景色が以外とハッキリ見えるのです。雨雲が以外に高いところで空を占有しているようで、これは水の底から見る船底ヤ!と思ってしまったしだいです。雨の日を享受するには、天気の杓子定規のお天気言葉より、勝手に自身でネーミングなんて、雨の評論家になりません。テレビでタレントが食べ物のコメントを自分自身なりに言葉に表しすコトに腐心しているのですから。別に雲の表現を、自身で勝手に名付けるのも一興かと…。まあ、日本は本来そういうコトで言葉を「遊び」を磨いてきてとも思います。今日の雨雲→お天気もようをどう言葉にあらわします?
子供の頃漁港で停泊している、船底潜りをしたコトありません。地元の子供達はそんなコト朝飯前の風情を装って潜りぬけてゆきます。触発されるんですね。ある種の度胸試し、船底雨雲潜り抜けなんてネ!イメージするだけで面白いと思いません。

 私の今年の夏の天気予報(占い)は、「お岩サマ天気」とネーミング。自然の「母性」の慈悲と、「恨み」人間の手ひどい仕打ちのお天気模様、いかがですこの「名」は。鳥肌たつから、あだや疎かにしないと思いますが。
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雷おこし鬼

2010-05-23 07:25:22 | 日記
今朝の目覚めは「遠雷」、やはり天変地異というほど大層なものではありませんが、山中に住むだけに危機管理というか、そういう所には敏感にならざるを得ません。近づく雷なのか、山向こうの京の街の雷なのか。湖南部都市部の雷か、それぞれ違う音のもたらしかたです。そしてその距離を無意識に測りつづけます。
頭の髪がピンとたってアンテナ、耳が広がるるというコトになるでしょくか。それで何ができるというワケでもありません。どう対処しても、自然の力には、たかが生き物ののできるコトなど殆どないというのは、過去の事例からみても惨敗つづき。まあ、そう考えると暗くなるのですが。ポロポロ記憶が抜けてゆくんだえすね。でも、起き出して低いですが警戒音は自身の中にあります。朝から降っている周期的にくる雨の量。玄関先は水浸し状態。家のまわりを取り囲んでいる、側溝の水の流れる音。そして、明けだして早々に軽トラが下の道を走ってゆくのを認めて、それが又戻ってきた時のかかった時間から、用水の取水口が閉じられたのだと判断したり。なにかと、気を配ってゆきます。この頃の自然現象油断できないほど容赦がないと思いませんか。
「桑原!くわばら」の雨模様となりそうです。
小さいコトでは排水溝・戸口よりの百足の侵入、それに蟻軍団。アア!ムシ嫌いにはドキドキの季節に突入。
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