小学校受験の準備を始めたとたん、急に意地悪で、怖―いお母さんに変身する・・・そういう家庭は少なくありません
母親とは元来、ブツブツといつまでも文句を言う種族ではありますが、それでも、健気な子ども達は、結構「うちのママは優しい」と、総じて評価の高いのがお母さん
そんな得な存在にも関わらず・・・お母さんは、幼い子どもに対しては、かなりの勝手者です ご自分でその意識はありますか?
お教室に通い始め、やっとほっとした・・・と思ったのも束の間。大抵のお母さんは、通い始めたその時から、次から次へと新しい不安と、新しい悩みを抱え、お一人でそれを発酵させていきます
つまり。
課題に取り組む我が子の姿が意欲的ではない・・・とか。
課題に取り組んでも、他の子ども達に比べると、スピードが遅い・・・とか。
何度も、同じような躓きをする・・・とか。
まさに、お母様は不安の総合商社です そして、必ず、その不安のとばっちりを受けるのは、本来は愛して止まない「我が子」なんですねえ。
そして、心ない、我が儘なお母様は、時にはねちねちと、時には夜叉の顔をして、子どもに言うのです。
「あなたねえ、こんなにママに言うことが聞けなかったら、良い小学校に行けないわよ」
「もう、何度言ってもわかんないんだから!お利口じゃないと、小学校に入れてもらえないよ」
どうです?本当にそうですか?
誰がそんな怖いことをママに伝えたのですか?
・・・どうでしょう?日頃は、一番「ウソは泥棒の始まり!ウソをついちゃいけません!」などと厳しい口調で言っているママが、一番の「ウソつき」ですよ
子どものいけない点、直さないといけない面を叱るのは、人間的な向上を目指すためであったり、道徳心や社会性を育てるためであって、「私立校、国立校受験をするから」ではありませんよね
良い子にならないと、良い小学校に行けない!というような叱り方は、言ってみれば、程度の低いお母さんが・・・
「ほら、あんたが悪いことするから、おとなりのオバサンが怖い顔して睨んでるよ」と注意することと、レベル的には何ら違いはないのです
お母さん、愛する我が子を、自分の不安を和らげるための対象にしてはいけません
困ったさんの未熟な母になるのは、みっともない、ですよ
母親とは元来、ブツブツといつまでも文句を言う種族ではありますが、それでも、健気な子ども達は、結構「うちのママは優しい」と、総じて評価の高いのがお母さん
そんな得な存在にも関わらず・・・お母さんは、幼い子どもに対しては、かなりの勝手者です ご自分でその意識はありますか?
お教室に通い始め、やっとほっとした・・・と思ったのも束の間。大抵のお母さんは、通い始めたその時から、次から次へと新しい不安と、新しい悩みを抱え、お一人でそれを発酵させていきます
つまり。
課題に取り組む我が子の姿が意欲的ではない・・・とか。
課題に取り組んでも、他の子ども達に比べると、スピードが遅い・・・とか。
何度も、同じような躓きをする・・・とか。
まさに、お母様は不安の総合商社です そして、必ず、その不安のとばっちりを受けるのは、本来は愛して止まない「我が子」なんですねえ。
そして、心ない、我が儘なお母様は、時にはねちねちと、時には夜叉の顔をして、子どもに言うのです。
「あなたねえ、こんなにママに言うことが聞けなかったら、良い小学校に行けないわよ」
「もう、何度言ってもわかんないんだから!お利口じゃないと、小学校に入れてもらえないよ」
どうです?本当にそうですか?
誰がそんな怖いことをママに伝えたのですか?
・・・どうでしょう?日頃は、一番「ウソは泥棒の始まり!ウソをついちゃいけません!」などと厳しい口調で言っているママが、一番の「ウソつき」ですよ
子どものいけない点、直さないといけない面を叱るのは、人間的な向上を目指すためであったり、道徳心や社会性を育てるためであって、「私立校、国立校受験をするから」ではありませんよね
良い子にならないと、良い小学校に行けない!というような叱り方は、言ってみれば、程度の低いお母さんが・・・
「ほら、あんたが悪いことするから、おとなりのオバサンが怖い顔して睨んでるよ」と注意することと、レベル的には何ら違いはないのです
お母さん、愛する我が子を、自分の不安を和らげるための対象にしてはいけません
困ったさんの未熟な母になるのは、みっともない、ですよ