今は、どんな本屋さんでも、「子どものための絵本」「児童書」がずらりと並んでいます 戦後は、児童文学という分野がしっかりと確立され、名作を残される作家も多くなりました。
「子どもの情操教育には、本の読み聞かせが大事」「幼い時期から、絵本をそばに置き、自然に本に慣れ親しむようにする」等々、本によって家庭教育の充実を図るご両親は少なくありません。
その一方で、昔ながらの「おとぎ話」は、すっかり影をひそめてしまいました。
「桃太郎」や「浦島太郎」などは、かろうじて今でも子どもの世界の中に残っているように思いますが、「かちかちやま」「はなさかじいさん」「かぐやひめ」「こぶとりじいさん」「さるかにがっせん」などは、全く知らない・・・という子がほとんどです。やはり、それはとても残念なことだと私は思っています
先日、こんなことがありました。
クラス中、誰よりも早くに問題が解けた生徒が、すっかり悦に入り、まだまだがんばっている仲間に「まだおわんないの?ぼくはもうできちゃたよ!」と言い、私にこっぴどく叱られました。
まあ、子どもの世界の中では、こういうことは日常茶飯事。特に現代の子ども達は、「できる子に育てたい」というご両親の望みが強く、「早くできる」「たくさんできる」ということばかりに着目する親の元で育つ子どもが多くなりました その弊害で、「じっくりと取り組む」「見直す」ということのできる子どもが激減し、早い=良いこと、という意識が、すでに4,5歳児の中にも確立されてしまっています
・・・ということで、私はこの慢心する生徒を相手に、しっかりと諭したあとで、こんな言葉もかけたのです。
「ほらあ、そんなことをしているとね、そのうちにカメに抜かれてしまうわよ。うさぎになるのは格好悪いでしょう?」するとこの子はこう答えました。
「先生、ぼくはカメじゃないよ。に・ん・げ・・ん!」私は思わず大爆笑してしまったものです。
10年ほど前でしょうか。勧善懲悪の昔話は子どもの教育上、良くない、と言われたことがあり、主人公は鬼も懲らしめず、悪者もバッタバッタとやっつけることなく、ひたすら「すべてが丸く収まり・・・めでたし、めでたし」というお話に書き換えられ、そういうハッピーエンドにされてしまった「昔話」が奨励された時代がありました。
けれど、勧善懲悪のお話は、決して残酷でも、理不尽でもない!私はそう考えています
純真で無垢な子ども達に「いけないことをするのだったら、叱られること、罰を受けることは覚悟しなさい」ということは間違いであると思いません また、鬼という架空の生き物は、実際には生き物ではなく、「邪悪なもの」の象徴として描かれて、登場しているわけですね。ですから、鬼を忌み嫌わず、やっつけることもなければ、社会の悪、心の中の悪、そういうものを「認める」ことになってもしまいます・・・
昔話は、立派な日本の伝統文化です。
今では姿を消してしまった風習や、農耕器具、道具類がたくさん出てきて、お話の中で自然に「今の便利な時代」への感謝の思いもそだっていくはずです。
どんなにすばらしい子ども向けの新文学が育ってきても、やはり「日本を知る」「日本の風習を学ぶ」「日本人の美学に触れる」という意味でも、是非ぜひ、昔話を大切にしましょう
小学校受験の中で、しばしば登場する昔話・・・出題をされる意図は、そのような考え方がある、ということを知っていてください。
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