パート2は松陰神社から
4/14(水)
松陰神社 萩市椿東
大鳥居
松陰神社入口にある大きな石造りの鳥居。
松陰神社本殿
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社
松門神社 しょうもんじんじゃ
松陰の門人52柱と、松陰の遺書「留魂録」を守り後世に伝えた沼崎吉五郎を合祀し53柱が祀られている。
明治維新胎動之地
明治維新100年を記念して、昭和43年(1968)に建立された大きな石碑。
揮毫は当時の内閣総理大臣 佐藤栄作氏によるもの。
松下村塾
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。
身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年あまりの間に久坂玄瑞、高杉晋作、
伊藤博文など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育て上げた。
吉田松陰幽囚ノ旧宅
吉田松陰の実家である杉家。松陰は、安政元年(1854)に伊豆下田沖でペリー率いるアメリカ軍艦(黒船)に
乗り込もうとして失敗、江戸伝馬町の牢獄に捕らえられ、のちに萩の野山獄に入れられた。
その後は実家である杉家旧宅で預かりの身となった。この部屋は、松陰が謹慎生活を送った
幽囚室である。
花月楼
萩藩7代藩主 毛利重就(しげたか)公が、安永5年(1776)に三田尻(防府市)の
別邸宅に建築したものを昭和34年(1959)にここに移築された。
吉田松陰歴史館
吉田松陰
幕末動乱の時代に生を受け、「至誠」を貫き通し、勇敢に行動した吉田松陰。
松下村塾で多くの志士を育て、松陰は29歳という若さで亡くなるが、
その“志”は塾生たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。
「至誠而不動者未之有也」
(至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり)
解釈は
こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。
誠を尽くせば、人は必ず心動かされるということ。
吉田松陰とは
ご朱印
道の駅 センザキッチン 山口県長門市仙崎
「センザキッチン」は、仙崎の海辺にあります。長門の豊かな食材と、
長門の楽しい情報と、長門の充実した遊びを調理し、みなさまに振る舞う所です
昼ごはん イカのづけ丼と寿し盛り合わせ
今夜は温泉も前日と同じ黄波戸温泉交流センター。
お泊りもこちら
4/15
角島大橋 下関市豊北町角島田ノ尻
山口県の本州と角島(つのしま)を結ぶ全長1,780mの角島大橋は、平成12(2000)年に開通。
通行無料の橋としては国内屈指の長さを誇る。橋の通行は徒歩や自転車でも可能で、
車だと3分ほどで角島まで渡ることができる。
海に沈む太陽 下関市豊北町土井ヶ浜
あ!太陽が海に沈むよ~。
こんなタイミングで絶好のビューはめったにありません。
「沈むなよ」と願いつつ、写真を撮れるところで停車。
しばらく自然の美しさを堪能しました。
沈む太陽
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