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がちゃこさんからご朱印・ご城印を頂きました

2023年03月30日 | 御朱印

がちゃこさんからご朱印とご城印を頂きました。

会津さざえ堂  福島県会津若松市一箕町八幡滝沢 

会津さざえ堂は寛政8年(1976年)飯盛山に建立された高さ16.5mの六角三層のお堂です。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。

重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、

その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。

かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで

三十三観音参りができるといわれていました。 また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、

たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、

平成8年に国重要文化財に指定されました。(HPより)










階段・・の上にさざえ堂があります。





白虎隊十九士の墓

戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、

滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、

「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。

1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。

春と秋の年2回行われる墓前祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。(会津観光ナビより









日本最後の内戦・戊辰戦争(ぼしんせんそう)は1868年・鳥羽伏見の戦いから始まった日本最後の内戦で、

旧幕府軍と新政府軍が激しく戦いました。会津は旧幕府軍として最後まで抵抗しましたが、

最後には降伏することになります。悲劇で知られる白虎隊や新選組など、多くの英雄が活躍し、

その命を落としたのもこの戦争です。
わずか16・7歳の少年で編成された白虎隊。

どんな思いで自害したのでしょうか。涙なしでは観れませんでした。

圧巻の島津亜矢さんの歌と詩吟、剣舞。

白虎隊 歌と詩吟 熱唱 剣舞、会津少年隊



数ある白虎隊の動画を聴いたのですが「島津亜矢」さんが一番好きでした。

戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ) 福島県会津若松市一箕町八幡

これは、猪苗代湖の水を、会津地方に引くため掘られた洞穴です。

猪苗代湖畔・戸ノ口原の戦いで破れた白虎隊士ら二十名は、鶴ヶ城を目指して、この長さ約150mの洞穴を潜り、

命からがら、飯盛山の中腹へと至った。

主君の御城、鶴ヶ城の安否を確かめんとする一心で、

冷たい水が容赦なく流れる洞穴の中を、身を屈め、足を取られながらも、進んでいった。

そうして、飯盛山の中腹に辿り着いた末、彼らは城下の黒煙を目にすることとなる。(会津物語より





宇賀神堂

寛文年間(1661~1672年)に会津藩三代藩主・松平正容が厳島神社の傍社として建設し、

五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)が祀られ、戊辰戦争で飯盛山で自刃した白虎隊十九士の洋装の霊像が

明治23年(1890年)につくられ祀られています。さざえ堂の斜め向かいに建っている小さなお堂です。



鶴ヶ城  福島県会津若松市追手町

至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて

「鶴ヶ城」と命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、

難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、

昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。

平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。



赤ベコ

福島県会津地方の民芸品の代表の赤い牛の張子人形「赤ベコ」 は 今から400約年前、会津のお殿様だった蒲生氏郷(がもううじさと)が

職人を呼び寄せ作ったのが始まりといわれます。

会津地方では牛のことを「べこ」と呼び、赤色には魔除けや厄除けとして願いも込められています。



2022/9/23、歴代の藩主などにふんして市街地を練り歩く「会津藩公行列」が行われ、

NHKの大河ドラマ「八重の桜」で主役を演じた俳優の綾瀬はるかさんも特別ゲストで参加しました。

まつりは今年70回目。新型コロナの感染拡大の影響で、藩公行列を含む全行事が開催されるのは3年ぶり。





茶室麟閣 

鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室「麟閣」です。

天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。

それにより利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、

徳川家康とともに秀吉に千家の再興を願いでたのです。この時に建てたのがこの「麟閣(りんかく)」と伝えられています。



お抹茶、薯藷饅頭(じょうよまんじゅう)セットが頂けます🍵



現在、鶴ヶ城天守閣は長寿命化工事を行っており、天守閣へは入場が出来ません。

令和5年4月 1日(土) プレオープン  (4層・5層のオープン)
    4月 中旬          (3・4・5層のオープン)
    4月28日(金) グランドオープン (全館オープン)

詳細な日程等は、会津若松市のホームページでご確認ください。

ご城印

御城印についての注意書きがあります。

「ご来城記念の御城印となります。

ご朱印とは異なるため、他の寺社仏閣さまによっては、御城印を貼付した帳面への

御朱印記載をお断りされる場合がございます。

予めご了承下さい。」

御城印は初めて見ました。

ありがとう~




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