昔の人が世界をどう捉えていたか示すもので、亀の上で三匹の象が大地を支えている絵がある。
これは、大地が亀のようにゆっくり動いている意味を含めた、当時最先端の科学が導き出した一つの答えである。
さて、『アキレスと亀のパラドクス』というものがある。簡単に言うと、アキレスが進む間に亀も進むので追い抜けないというもの。しかし、我々はアキレスが亀を追い抜くことを知っている。
ここには数学の3つの立場がある。
①普通に計算して、いつ追い抜くか導き出す立場。
②1/∞を使って、いつ追い抜くか導き出す立場。
③1/∞≠0だから追い抜けないとする立場。
宇宙の始まりについて考える際も、結局ここに立ち返る。
普通の計算では宇宙はどうしても0にはならない。
となると1/∞で0までたどり着くしかないが、1/∞≠0との矛盾があるのでそれもできない。
だからこそ始まりはないと考えるのも一つの手である。
1次元の軸をなす直線があるとする。両端は±∞に伸びている。始点はあるはずだが、それがどこかを示すことはできない。試しに±1にメモリを振ったとする。始点はその中間にあるはずだが、それでも明確には示せない。代わりに0にメモリを振ったとしよう。今度は両端が∞なので、それが本当に始点なのか判断できない。
もう一つ重要な例え。これが半次元ならどうか?
どんなに拡大視、細分化しても始点を示せないのは上と同じ。1のメモリを振っても何の指標にもならない。むしろ軸線上から0を探るのは、1次元の時よりも困難といえる。
では、半次元に0のメモリは振れるのか?
次元に始まりはなく終わりはない。ならば宇宙もそうであっていいではないか?
数や計算の半分は次元の性質で成り立っている。実在しない真なる直線、真なる円も次元の中にある。計算でたどり着ける0、たどり着けない0も次元の中にある。どちらが先立つものかは言わずもがな。
べつに存在しないもので宇宙を説明しようというのではない。
次元がそういうものだと認められるなら、宇宙もそういうものだと認められるはずだ。
最新の画像[もっと見る]