また何かが起きた。だがすべてが終わってしまうと、なぜそれが起こったのか正確にたどれる者はいなかった。いつも話は食い違い、食い違う徒労感で、最後には皆だまった。そして誰々が悪い、誰々のせいだとそれぞれに別のことを記憶して、眠るまで過ごした。そしてそれぞれに怒りを、かなしみを、腹にためて泣き寝入りするせいで、腹のなかで何年も熟成してしまう。同じ家にいながら熟成されたもののあまりの違いに、腹からその「歴史」を少しでも取り出すたびに誰かがひどく傷つく。すべて自分が悪いのか?皆最後にはそう言った。この苦しみは全部が自分の思い込みなのか。そうだとすると自分は何に苦しんできたのか。
家族は不思議だ。
逃げ出しても逃げ切れない、切りたくても完全に断ち切ることのできない関係。完成した親や子の集合体ではなく、傷を抱えて苦しんでいる未完成の人間の集まり。その傷を抱え、親も子も与えられた役割の前で立ち尽くし、互いに傷つけあってしまう。
主人公の家庭は、多分特別ではない。
親は、親でありながら同時に自分の子でもあるという主人公の言葉は強く心に残った。