豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

ここを生きるしかない

2015-06-01 07:04:32 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



おはようございます。

今朝は6時ごろに起きてきました。

千鶴さんと悠聖も帰ってきているが、まだ、寝ている。

「ありがとう」を呟きながら洗面へ。

体がだるい。

明らかに食べすぎ、飲みすぎで、運動不足なのだな。


で、座禅を15分します。



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姿勢と妄想の確認作業のようなものですね。

すーっと精神が落ち着いてく。


座禅を終えるとコーヒーを淹れて読書です。

煙草も吸う。

えー、心と体は一つだと書いてあります。

だから死んだあとに魂が残って、彼岸へ行くなどというのは愚かな考えである。

瓦礫をお金だと思って握り締めているよりも、尚、愚かである。

愚か過ぎて、例えるものもない。

と、凄まじい批判ですね。

身心一如というのが、お釈迦様からの伝わった法門で、諸行無常というのも、そういうことでありますね。

生死は、いまここで、日々、巻き起こっている。

永遠というのは、この、生まれては死んでいる動き、自体の事であって、そこから自分が離れていないということなのだろう。


読書を終えると、千鶴さんが味噌汁の味見を頼んできたので「まあまあやな」というと「なにぃ」と怒っているww


まあ、考え方を弄る事ではないのです。

例えば、心身一如にしても、霊魂の不滅にしても、そういった考えは、ぜんぶ、いまここで生きていることの働きの中ですね。

だから、そこで快楽と不快が感情的に巻き起こってくる。

生きているから、いろんなことがある。

でも、その中で、自分が自分で在ること、そこで、終わりなのですね。

だからこそ、自分を清浄に保つように、思惑を落としていく。


それは、一回きり、そうして終わりというものではない。

何回も、何回も、毎瞬、毎瞬、一挙手一投足に集中しているということだ。

集中して手放す。

ここで体がしていること、思いがしていること、全部忘れて、その、次々現れることに、ただ黙々と対応していく。

それが、まあ、常にそこなのだ。


つまり、これは、誰かが達成するものではないのである。

思いを手放すというのも、本当は、流れているのである。

思ったそばから、忘れてしまうではないか。

だから、感情の蓄積、つまり、ストレスを開放することであるが、しかし、これも永遠にそうではなく、ただ、毎日することだ。

毎日というか、その瞬間ごとにしていくわけだ。


しかし、これらを、しなくても、またいいわけだから、もう表現しようがないね。

ただ、もう、すでに、そこである。

気がつこうが、つかなかろうが、もう生死の活動の中だ。

ただ、その目の前の事実、リアルというものを生きていくしかないのである。

その他に人生はない。

また、自分が他人になることもないし、その必要もない。


いいとか悪いものもない。


心と体と分けないように、自然と自己もわけない。

また邪心と聖心、無心、などというものがあるわけではない。

ただ、ここで、素朴に生きれば、いいのだ。