初めましての方は、目次も見てみてね!
☆『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
ああ、朝から暴言を吐きまくる、最低なる男、豊田です。
「ありがとう」を毎日、唱えていた結果、こうなったのでしょうか、笑
とにかく、まあ、ありとあらゆる呪詛の言葉の洗礼であります。
まあ、単に、ストレスが溜まっているだけでしょうが、我ながら酷いですね。
昨夜も仕事から帰って、お風呂出てから、手足をバタバタさせて、気が狂っておりました(爆笑)
相当、重症ですな……。
まあ、ね。
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僕は気が付いたのですが、この、自然の働きの中で生かされているのは、本当ですが、そういうものをイメージとして持ち運んではいけないのです。
そして、頭の理解もいらないし、頭に伝えることもいらないのです。
なぜなら、ひとは、様々な解釈で、このような情報をイメージとして捉えていくのですが、その答え合わせが、真実かどうかは知りようがないのです。
なぜなら「真実なのか?」と問うているのが、まさしく、頭だからなのです。
答え合わせをしているのは、頭脳、知性の中枢なのですが、やつらの性能と言えば、単なる比較しかないのです。
つまり4つを同時に比較する能力です。
しかし、その4つの中で、ひとつだけが真実だと、確証することは絶対に不可能です。
なぜならば、真理というのは、頭の証明の介入を許さないからなのです。
ただ、その、中に、在ることだけしかできないのです
だから、このように、色んな事を、情報として伝えたり、解釈していることは、変な方向に行くのです。
それが、散々、声を大にして、伝えている【憧れ】というものです。
誰かが言いますね。
すべては、あるがままで、もう、すでに起こっている。
そう、それは、そうであるのだが、これは、頭の方から見た解説ですね。
実際に、あるがままに在る時には、このような解説は入らない。
ただ、あるがままの、自然が、そこで縁起してきているだけです。
そこを見ていたり、解釈していたり、監視したり、コントロールしたり、感じたり、している、あなたは不在になっているんです。
そこから、後で、認識をして、解釈をする。
そうして、その解釈した情報のやりとりをしているのですね。
しかし、人生と言うのは、解釈の通りに起きていくわけではありません。
自己の見方の奥にある、創造の力が働いているのです。
それは自由であって、型とか、解釈とかには収まりきらないのです。
だから【真理と思われる情報】を、事実に当てはめていけば、必ず外れてしまうのです。
ここが気が狂ってしまうところですね、笑
たとえばですよ。
あなたは、とでも美しい調べを奏でる覚者のイベントに参加します。
そこでは【ヒーリングミュージック】なんかが流れていますね。
そうして美しい言葉が、彼、または、彼女の口から流れ出るのです。
静かに座ったり、また、激しく感情を放出したりしながら、あなたは本来の自己に帰っていきます。
素晴らしい!
まるで、生まれたてのような、透明なME!
そこへ帰ると、信じられないような喜びが、心から溢れんばかりです。
さあ、ここまでは、問題ありません。
完璧なのですが、ここで、頭君が、このことを、体系化して、自分の持ち物にするのです。
そうして、あなたは会場を出ました。
先ほどまでのイベントで感じた温かみが胸を溶かし、満員電車の喧騒にも、こころは平安です。
目の前にいる人々が愛おしく見えて、仕方がありません。
ああ、我々は、ともに、生命を謳歌している、それで、この我々の宇宙は、完璧なる愛だ!
と、頭が言い出しますwwww
さて、家へ帰ると喜びの気持ちと共に、眠りました。
翌朝、目覚ましが鳴り、ルンルン気分で、あなたは日常を開始します。
そうして、様々な生活が始まっていくのですが、あなたは、すでに【愛】を持ち運んでいることに気が付いていません。
それで、その、愛に反することが、起こってきました。
何が、愛に反することかというと、あなたの表面的な感情が害されることです。
例えば、あなたは仕事で、些細な失敗をします。
もちろん、故意にしたことではなく、避けようもないことでした。
ところが、それを見た上司は、あなたを罵倒しました。
「このアホ! 役立たず!!」
その瞬間に、あなたは湯沸かし器のように、瞬時に気分を害します。
さあ、ここが、ポイントですよ。
この時、怒りを鎮めるように、動いたり、まあ、相手を許す様に動いたりするようになります。
なぜなら、すべてが【愛】という概念をあなたは持ち歩いてしまっていたからなのです!!!!!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
わかりますか?
そして、その、ことが、また、愛の分かち合い、やら、なんやらのイベントへ向かわせるのです。
そして、同じ【概念】を持ち運んでいる、楽しい仲間たちと経験を分かち合いながら、まあ、言ってしまえば、仲間と飲み会をしている、その辺の、サラリーマンと同じことをしてしまうのですwwwwwww
曰く、あいつは、分かっていない。
曰く、社会は、まだまだである。
曰く、悟りを広めなければならない。
曰く、仲間を増やしたい。
曰く、この問題に、対処するには、瞑想の時間を、テクニックを、どう弄ればいいのか。
曰く、彼女が欲しい、彼氏が欲しい。
曰く、お金を稼ぎたいね。
曰く、病気を治したいね。
という、ただのレストランでの食事会になるのです。
そして、もちろん、またしても、そこには【愛】が溢れているのですが、この【愛とは似ても似つかない愛】は単なる自己欺瞞なのです。
真実を見るならば、もしも、あなたの本質が、すべてを許すなら、どこに、いても同じなのです。
もちろん覚醒者も同じです。
どこにいようが、どこで会おうが、すべて在るがままなのです。
愛というのは、そのような、透明な風のような、不在の空間が、ハートに空いていることなのです。
って、書くと、またこれを、頭で分析するwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
というわけなのです。
そうして、あなたの声高に叫ぶ愛は、仲間内でしか発生しない愛であったり、ある居酒屋さんだけで、発生するものであったり、まあ、誰かと一緒の時だけ発生するのです。
さあ、イベントに出かけなければ!
愛に帰るためには、お金を払って、みんなと饅頭でも食べながら、会話して、座禅しなければwwwww
いいですか?
ここにあるのは、ただの性欲ですよ。
つまり、そこにたくさんの男女がいたりすることが重要なのです。
たくさんでなくても、男と女がいることが重要です。
しかも、セットで、美味しい食事会なんかが、あると最高ですね。
男女が出合い、映画を見た後で、レストランでの食事を楽しむのです。
正に、愛が、溢れてきます(爆笑)
しかし、まあ、実際の生活は、そんなものではなかったのです。
当たり前だろう!!!!!!
だから、このようなことと、真理は無縁ですよ。
たった一人で、この、心の奥の、透明性に浸っていくことですが、それが、まあ、実際の生活の中で、あなた自身を救っているということが大事なのです。
あなたの情緒、感情を、他者のイメージに与えてはいけないのです。
答え合わせはいらない!!!!
あなたが、本当に、解決されたら、それでOKなのです。
あの人が、こう言っている、ああ言っている、こんなことがあった、あんなことがあったはほっとけwwwww
真の、理解というのは、別に、他者に承認される必要なんかありません。
実際に、そこに入り込んでしまえば、そんな欲求が生まれてこないからです。
しかし、体験を、所有して、概念にして、持ち運び、その概念化されたアイデアを人に伝えようとすると、無理なのです、笑
だから気が狂うわけですが、まあ、そんなのも、もう、ほっとけですwww
知らぬ、ほっとけw
知らぬが仏。
だからね、イマジネーションが全てに浸透しているというのは、あまたが、それをイメージすることではなくて、もう、すでに、そこに体験をしていることなんです。
その他の、ことも、全部、そうなんです。
だから、そこに決まりとか、それこそ、みんなが言っている【愛】なんてないんですよ。
その出来事の全てが、風のように、胸を通り過ぎていく時、に、愛もくそもないんですよwwww
ただ、平安で、まあ、何があっても、個人は、ニコヤカなのです。
それが、相手の言動や、世界の満ち欠けに、影響されないのですよ。
なぜ、影響されないのかと言えば、この客体化された自己の悲嘆や、気狂いが、単なる、表現であることが分かるからで、しかも、その表現の奥には、どんなものでも愛が溢れているからなのです。
しかし、それを、投影なんかしてないんです。
ただ、いま、ここで、ただ、起こっているところに、ただ、わたしはいないのです。
そして、それは、何かをしたからではなく、誰かが偉いからでもなく、もう、ぜんぶそれなんです。
だから、教わる必要なんかありません。
あんなものは、全部、だましか、勘違いか、まあ、そこでしか役に立たないものなのです。
そのうちに、分かりますよ。
相手の理解に、自分を合わせているのは、解決になりませんからね。
自分が、自分を、自分している。
それが、自己を通り抜けた時に、自分としての、理解が、感ぜられて、そして、その理解が、淡々と行なわれているところへいればいいんです。
そこではね。
気が狂って呪詛の言葉を吐きまくる豊田君も、愛の中にあるんですよ!?
大爆笑
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次
☆『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
ああ、朝から暴言を吐きまくる、最低なる男、豊田です。
「ありがとう」を毎日、唱えていた結果、こうなったのでしょうか、笑
とにかく、まあ、ありとあらゆる呪詛の言葉の洗礼であります。
まあ、単に、ストレスが溜まっているだけでしょうが、我ながら酷いですね。
昨夜も仕事から帰って、お風呂出てから、手足をバタバタさせて、気が狂っておりました(爆笑)
相当、重症ですな……。
まあ、ね。
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僕は気が付いたのですが、この、自然の働きの中で生かされているのは、本当ですが、そういうものをイメージとして持ち運んではいけないのです。
そして、頭の理解もいらないし、頭に伝えることもいらないのです。
なぜなら、ひとは、様々な解釈で、このような情報をイメージとして捉えていくのですが、その答え合わせが、真実かどうかは知りようがないのです。
なぜなら「真実なのか?」と問うているのが、まさしく、頭だからなのです。
答え合わせをしているのは、頭脳、知性の中枢なのですが、やつらの性能と言えば、単なる比較しかないのです。
つまり4つを同時に比較する能力です。
しかし、その4つの中で、ひとつだけが真実だと、確証することは絶対に不可能です。
なぜならば、真理というのは、頭の証明の介入を許さないからなのです。
ただ、その、中に、在ることだけしかできないのです
だから、このように、色んな事を、情報として伝えたり、解釈していることは、変な方向に行くのです。
それが、散々、声を大にして、伝えている【憧れ】というものです。
誰かが言いますね。
すべては、あるがままで、もう、すでに起こっている。
そう、それは、そうであるのだが、これは、頭の方から見た解説ですね。
実際に、あるがままに在る時には、このような解説は入らない。
ただ、あるがままの、自然が、そこで縁起してきているだけです。
そこを見ていたり、解釈していたり、監視したり、コントロールしたり、感じたり、している、あなたは不在になっているんです。
そこから、後で、認識をして、解釈をする。
そうして、その解釈した情報のやりとりをしているのですね。
しかし、人生と言うのは、解釈の通りに起きていくわけではありません。
自己の見方の奥にある、創造の力が働いているのです。
それは自由であって、型とか、解釈とかには収まりきらないのです。
だから【真理と思われる情報】を、事実に当てはめていけば、必ず外れてしまうのです。
ここが気が狂ってしまうところですね、笑
たとえばですよ。
あなたは、とでも美しい調べを奏でる覚者のイベントに参加します。
そこでは【ヒーリングミュージック】なんかが流れていますね。
そうして美しい言葉が、彼、または、彼女の口から流れ出るのです。
静かに座ったり、また、激しく感情を放出したりしながら、あなたは本来の自己に帰っていきます。
素晴らしい!
まるで、生まれたてのような、透明なME!
そこへ帰ると、信じられないような喜びが、心から溢れんばかりです。
さあ、ここまでは、問題ありません。
完璧なのですが、ここで、頭君が、このことを、体系化して、自分の持ち物にするのです。
そうして、あなたは会場を出ました。
先ほどまでのイベントで感じた温かみが胸を溶かし、満員電車の喧騒にも、こころは平安です。
目の前にいる人々が愛おしく見えて、仕方がありません。
ああ、我々は、ともに、生命を謳歌している、それで、この我々の宇宙は、完璧なる愛だ!
と、頭が言い出しますwwww
さて、家へ帰ると喜びの気持ちと共に、眠りました。
翌朝、目覚ましが鳴り、ルンルン気分で、あなたは日常を開始します。
そうして、様々な生活が始まっていくのですが、あなたは、すでに【愛】を持ち運んでいることに気が付いていません。
それで、その、愛に反することが、起こってきました。
何が、愛に反することかというと、あなたの表面的な感情が害されることです。
例えば、あなたは仕事で、些細な失敗をします。
もちろん、故意にしたことではなく、避けようもないことでした。
ところが、それを見た上司は、あなたを罵倒しました。
「このアホ! 役立たず!!」
その瞬間に、あなたは湯沸かし器のように、瞬時に気分を害します。
さあ、ここが、ポイントですよ。
この時、怒りを鎮めるように、動いたり、まあ、相手を許す様に動いたりするようになります。
なぜなら、すべてが【愛】という概念をあなたは持ち歩いてしまっていたからなのです!!!!!
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
わかりますか?
そして、その、ことが、また、愛の分かち合い、やら、なんやらのイベントへ向かわせるのです。
そして、同じ【概念】を持ち運んでいる、楽しい仲間たちと経験を分かち合いながら、まあ、言ってしまえば、仲間と飲み会をしている、その辺の、サラリーマンと同じことをしてしまうのですwwwwwww
曰く、あいつは、分かっていない。
曰く、社会は、まだまだである。
曰く、悟りを広めなければならない。
曰く、仲間を増やしたい。
曰く、この問題に、対処するには、瞑想の時間を、テクニックを、どう弄ればいいのか。
曰く、彼女が欲しい、彼氏が欲しい。
曰く、お金を稼ぎたいね。
曰く、病気を治したいね。
という、ただのレストランでの食事会になるのです。
そして、もちろん、またしても、そこには【愛】が溢れているのですが、この【愛とは似ても似つかない愛】は単なる自己欺瞞なのです。
真実を見るならば、もしも、あなたの本質が、すべてを許すなら、どこに、いても同じなのです。
もちろん覚醒者も同じです。
どこにいようが、どこで会おうが、すべて在るがままなのです。
愛というのは、そのような、透明な風のような、不在の空間が、ハートに空いていることなのです。
って、書くと、またこれを、頭で分析するwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
というわけなのです。
そうして、あなたの声高に叫ぶ愛は、仲間内でしか発生しない愛であったり、ある居酒屋さんだけで、発生するものであったり、まあ、誰かと一緒の時だけ発生するのです。
さあ、イベントに出かけなければ!
愛に帰るためには、お金を払って、みんなと饅頭でも食べながら、会話して、座禅しなければwwwww
いいですか?
ここにあるのは、ただの性欲ですよ。
つまり、そこにたくさんの男女がいたりすることが重要なのです。
たくさんでなくても、男と女がいることが重要です。
しかも、セットで、美味しい食事会なんかが、あると最高ですね。
男女が出合い、映画を見た後で、レストランでの食事を楽しむのです。
正に、愛が、溢れてきます(爆笑)
しかし、まあ、実際の生活は、そんなものではなかったのです。
当たり前だろう!!!!!!
だから、このようなことと、真理は無縁ですよ。
たった一人で、この、心の奥の、透明性に浸っていくことですが、それが、まあ、実際の生活の中で、あなた自身を救っているということが大事なのです。
あなたの情緒、感情を、他者のイメージに与えてはいけないのです。
答え合わせはいらない!!!!
あなたが、本当に、解決されたら、それでOKなのです。
あの人が、こう言っている、ああ言っている、こんなことがあった、あんなことがあったはほっとけwwwww
真の、理解というのは、別に、他者に承認される必要なんかありません。
実際に、そこに入り込んでしまえば、そんな欲求が生まれてこないからです。
しかし、体験を、所有して、概念にして、持ち運び、その概念化されたアイデアを人に伝えようとすると、無理なのです、笑
だから気が狂うわけですが、まあ、そんなのも、もう、ほっとけですwww
知らぬ、ほっとけw
知らぬが仏。
だからね、イマジネーションが全てに浸透しているというのは、あまたが、それをイメージすることではなくて、もう、すでに、そこに体験をしていることなんです。
その他の、ことも、全部、そうなんです。
だから、そこに決まりとか、それこそ、みんなが言っている【愛】なんてないんですよ。
その出来事の全てが、風のように、胸を通り過ぎていく時、に、愛もくそもないんですよwwww
ただ、平安で、まあ、何があっても、個人は、ニコヤカなのです。
それが、相手の言動や、世界の満ち欠けに、影響されないのですよ。
なぜ、影響されないのかと言えば、この客体化された自己の悲嘆や、気狂いが、単なる、表現であることが分かるからで、しかも、その表現の奥には、どんなものでも愛が溢れているからなのです。
しかし、それを、投影なんかしてないんです。
ただ、いま、ここで、ただ、起こっているところに、ただ、わたしはいないのです。
そして、それは、何かをしたからではなく、誰かが偉いからでもなく、もう、ぜんぶそれなんです。
だから、教わる必要なんかありません。
あんなものは、全部、だましか、勘違いか、まあ、そこでしか役に立たないものなのです。
そのうちに、分かりますよ。
相手の理解に、自分を合わせているのは、解決になりませんからね。
自分が、自分を、自分している。
それが、自己を通り抜けた時に、自分としての、理解が、感ぜられて、そして、その理解が、淡々と行なわれているところへいればいいんです。
そこではね。
気が狂って呪詛の言葉を吐きまくる豊田君も、愛の中にあるんですよ!?
大爆笑