豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

あなたは、絶対、だいじょうぶ^^

2015-06-13 15:16:00 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



僕は人のことを信用しないほうです。

誰であっても、まずは疑ってかかります。

阿部敏郎さんに対しても、そうでしたし、他の、いろんな優しい方々にたいしても、そうです。

阿部さんが方広寺で「あなたは死にません」などという究極メッセージを、皆に、語られても「ハァ?」となっていましたね。

僕は、同じ日のちょっと前に、向令孝さんに「死んだらどうなるのか」と聞いて「そりゃあ、ワシにもわからん」と言われて「わからんのかい!」と、笑

そうして、その時、その時の自分が認められることに親しんでいくわけです。

でも、心の奥の深い部分で苦しんでいますので、何か、開放される体験をずっと追い求めていくのは変わりませんね。



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それが、まあ、物質的か精神的かの違いはありますが、誰もが、何らかの希望をもって努力します。

それを突き動かしているのは、自分の心の奥に在る、その苦しみなのでしょう。

自分の力で、信念で、いろいろとやって、必ず失敗します。

そして、その失敗は「幸せであること」がやってこないということでありますので、遂に、自分の疑いを晴れさせる人に頼らなくてはならなくなります。

そして、本当に真理を知っている人は「目の前を見てごらんなよ」と言うのです。

ああ、そうか。

自分が努力しているうちは気がつけなかったことが、絶望して、ただ落ちたときには、もう目の前にあるのでした。

「なんだ、こんなことか」と思います。

そこで、また有頂天になった僕は、いろんな人に、語ります。

でも、みんな自分の人生を生きているので、そんな人のことの言葉なんかに耳を傾けるはずもありません。

「ああ、俺は真理を知ったのに誰にも伝えられない」と思います。

でも、よくよく考えてみたら、目の前の真理を外れた人なんて、どこにもいないではないですか、笑

疑って、探求して、絶望して、理解して、理解が、また独り、歩いている。

最終的には、自分自身が、完全に落ちるところまで、それが続いていくのでありました。

理解した僕、知識の僕は、完全に分かっていることで、今度は、その理解が問題になっているんですね。

知的に理解して、ある程度、体験を積んだら、自分自身が、完全に、本気で落ちきらなければならない。

このあたりは、意味を勘違いしたら、大変な事になるので準備のできた人にしか、ほんとうは語れない事のはずです。

今の時代は、バンバン出回ってますが、笑

それが徐々に、行ったり来たりしながら、緩やかに、進行して行きます。

最後には、たぶん、あなたはいないでしょう。

一切のコントロールがない、ほんとうに、ただあるがままになる。

ただ、あるがままになったら、理解を語れる事がない。

なぜなら、あるがままであることに、必要な事は、何もないと知るからなのです。

それで、覚者は沈黙します。

人を救うなどということは、出来ないのであり、あるがままの側が、その行為を表現すれば、それに答える事が、起こるだけです。

ただ、それを、している人はいない。

自分の経験が、ここに与えられているのは、天のはからいとでも言えるようなものです。

まあ、こんな事、書いていたら怒られそうですね、笑

「お前が言うなよwwww恥ずかしい奴だなあ」

タイミングと、相手の人の性格、表現の仕方が、その時、その時の気持ちに合致して、真剣に聞ける状況が整ったら、自然と、その必要なことが起こってきます。

まるで、自分がやっているように思いますが、心の奥に在る、存在に突き動かされているんです。

出会いがあるまで続くのですから、この衝動が、大きくなれば、自然と自分の理解を深めてくれる人に出会うと思いますよ。

そうして、最期には、この、心の奥に在る「痛み」が、疑いによって起こっているのであり、その疑いは生死の苦しみが原因で起こっていると分かるようになります。

体が自分ではなかったとか、自分なんて最初からいなかった。

どんなメッセージでも、そこで準備が整っていたら、その心の奥の痛みに届いて、痛みが、もう、結構だとなった時に、本当に、自然と、自分を手放す事ができるんですね。

だから、真理を語っている人が、嘘を付いているわけではないと思いますよ。

まあ、もちろん、変な人もいっぱいいますが、それだって、その情報が自分に合致する人には必要だからあるわけです。

どうすればいいのか。

トコトンまで努力して、手放せば、終わりです。

実際には、その、あなたが、自然と、そうしてしまうんです。

なぜなら、この、心の奥の痛みが取れない限り「幸せであること」ができず、いつも、どこかに探すからです。

いまの自分に合っているものが、必ず、見つかります。

そして、また、それに絶望して、最終的には、必ず、真理に導かれるわけですね。

だから夢見ている存在は、実は、最初から自然と完璧に在るんです。

どんな自分でも大丈夫なのです。

今、理解したい衝動がありますよね。

でも、そのことについて、余り、よく分からない。

真理だけ書かれても、と思いますが、すると今度は、他に、方法を求めて色々やる事ができるでしょう。

元々、興味のない人は、自分の信じる道を進んでいます。

心の奥の自分の衝動が、なんとか、今は信じられそうなものに惹かれていくからです。

まあ、それがお金だったり、恋愛だったり、食べる事だったり、眠る事だったり、スピリチュアルやら、非二元、仏教だったりする。

でも、それらのアイテムが、その時、自分が信じられるものだから、自然とそちらに行くので、そこで、絶望したり、満足したり、いろいろと苦しんだりしていることが、また新たなる疑問を生み、それの連なりで、最終的には、求めるものは、必ず与えられるのですね。

その思いが切実で、努力を惜しんでいなければ、苦しみに耐えられるほどに痛みが強く、また、可能性を感じていれば、道は進んでいく。

だから、最初から、みんな、道の、人生の上に居るんです。

別に、このような真理を知る必要のない人には、いらないんですね、笑

でも、そこに興味を惹かれることが起こっているなら、それは、痛みを癒す最期の方法に気がついているということです。

つまり、とても感受性が高く、繊細で、物事の本質に触れる事ができているので、まあ、逆に言えば、とても自我が強いので、心の痛みが半端なく襲ってくるんですね。

だから「真理ではなくて、方法を書いてくれ」と言われれば、それは、自分の人生を生きることと、なるんです。

今の信頼できそうな事であったり、できることです。

頼まれなくても人間は、そこに癒しがあると思うところに、猛スピードで突っ走って、駆けてっていますww

あなたも、それで、ここにいるんですよね?

だから、いっぱい、信用できない事があったら、そんなのは放っておいて、自分の心の奥が、コレさえあれば、と、思っているところへ正直に、進んだらいいと思うんです。

お金があれば、セックスがあれば、仕事があれば、知識があれば、結婚が出来れば、子供が居れば、または、宗教への信仰心があれば、悟れば、自然と一体であればと、いろいろと変わってきます。



著作者:David Photo Studio



でも、まだ、可能性があると思っているものが残っていたら、必ず、そちらに興味が、自然と移っていくわけです。

切実に!

この切実に、追い込まれているのが、自然に、ムチャなことをさせてしまうわけですね。

どうしても、という思いが、行動の壁を破る。

そして、また、新しい道が開けていく。

このようなことが、実際には、あるがままに、自然に、起こっていることだというのが「真理」です。

大地に種が落ち、養分を吸収して、芽を出して、光と風を浴び、花を咲かせ、虫たちが、花粉を運び、また、新しい種が落ちる。

そうして、季節が来たなら、花は散り、全て大地に帰るみたいに。

だから心配しないで大丈夫だと思いますよww

その苦しみや不満が、必ず、いまの自分にピッタリの、新しい道へ進ませてくれるのです。

切実なる欲望がです(爆笑)

自分に正直になるとは、そういうことだと思うんです。

心の奥を見て、それで、何を求めているかに正直に従っていく。

抵抗を見て、それを乗り越えていく。

だって、それがあれば、幸せに成れると自分が求めているものだから。

人が何か言っても、例えそれが真理でも、心に違っていたら、それは、導きにはならないのですね。

ただ正直に突っ走るwwwww

明白に、自分の気持ちを感じて、その気持ちの向かうところへ走る。

誰かかもしれないし、行為かもしれないし、何か分からないけれど、あなた自身が、心の奥で「これさえあれば幸せに成れる」と思っているところへ、行って体験する。

「幸せであること」

それで終わりですwwwwwww

悩まなければ、悩みがないとは阿部さんの名言ですが、正に、それだけ。


誰にも、問題がないんです。

他人の言う事なんか、ほっときゃいいんです、笑

まあ、自分の、今の、気持ちに、正直でいれば、必ず、展開します。

それが、エネルギーの流れに乗るということであり、胸いっぱいに精気が流れるという事なんですね。

別に、この、現実から、離れてないんですよ。

それを概念のように、頭で、理解して、持ち運んだら、新しい牢獄になるでしょ。

やりたくないのに、やらなければならないなんて、ねえ、笑