豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

無限の沈黙

2015-06-14 18:01:27 | 日記
初めましての方は、目次も見てみてね!
⇒⇒VOICE OF JOKER 目次

『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。



自分ってすごく大切な存在です。

自分が愛されているのか、認められているのか。

いつも確認しています。

それで、大抵は、欲求に答えていきます。

自分の欲求と社会の欲求は、対立していて、バランスを取ります。

Give and Take

愛されるために社会の基準に合わせ、自己を捨てていく。



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そのように捨てられた自己が愛されるのを見て、自我が喜ぶ。

すると、あなたは、それを見て、愛されるために、もっと自分を犠牲にするだろう。

標準に、ルールに、マナーに、合致したイメージ。


「あなたは観念で生きています」

思い込みが、見方が、両親や周囲の人たちから、埋め込まれてきたのです。

注意を惹かれる物事、考え方、捉え方は、オリジナルなものではありません。

周りを見てください。

どれだけ、合わせてきたでしょうか。

あの人の欲求と、自分の欲求を両立させるために。

Give and Take

あなたが欲しいのは「愛」だけで、それが、外側からやってくると信じています。

褒められる事や、与えられる事。

そういうった行為、言葉が、愛であると思う。

または社会での評価であったり、仕事の成功であったりする。

あなたは、その為に、捨てられている。


人生は夢のようなもの。

その夢のような人生で、跡形もない人生で、もがいている。

苦しんでいる。

愛のために、あらゆる人々が、犠牲を強いられているのだ。


まるで欲求に答える事が、愛であるかのような広告、宣伝。

社会的成功者は愛されているかのような、映像が、流れている。

あなたは、何も要らない。

もう、何もなくても、夢の中で、愛と共にあるのだ。


たとえ、なにもかもが、信じられないとしても、どんなに酷い事にあっても、ぜんぶが跡形もない。


外側の愛が、あなたを溶かしたときを思い出してください。

そこに溶解して、あなたは、消えていた。

愛を与えてくれたのは、その、外側の出来事ではない。

その、外側の出来事が、きっかけとなって、あなたは自分を手放したのだ。

努力がなくなった。

Give and Take

その関係性が、なくなったのだ。

ただ、ただ、手放して、空に上ってしまった。


そうして消失された出来事が、また、あの体験を味わいたいと思わせる。

切実だ。

いつまで待っても、愛も平和も、やってこない。

いつまで与えても、いつまで自己を犠牲にしても、絶対にこない。

ほんとうの自由。


自由である事を掴んで、誰かに、与えようとしてごらん。

僕の思いが、誰かに、伝わった事があるだろうか。

残念ながら、誰にも、伝わった事がないと率直に認めよう。

強固な思惑に染まった、愛する人々が、そこで眠ったまま死ぬのだ。

夢の住人たちを、あなたは、救うことはできない。

彼らは、必要としないのだ。


ところが、あなた自身が、何も掴まないとき、そのメッセージは心に響きだす。


与えようとしないとき、獲ろうとしないとき。

あるがままに消失してしまうとき、あるがままに認めるとき。

いいもわるいもないとき。

すべてを流れるままの自然と看做すときに、伝わっている。

愛が発動している!!!!


そう、変えること、変わることではない。

何かがあったら幸せであることではない。

どんな自分でも、どんな社会でも、あるがまま、思し召すままに。

ただ、開いている。

この夢のような世界は、夢なのだ。

ただ、このときだけの、ミラクル。


伝えなくても、与えなくてもいいのだ。

ただ、自分が、手放されていたら、Give and Take は終わる。

この世界からの卒業である。


苦しんでいても、眠っていても、醜くても、なんでもOK、自由なのだ。

自分だけではない、社会も、他人も、すべての表現が許されている。

愛されている。

どんな自分でも、ここに描かれる。

自由だ!

完全なるfree


こんな夢の世界は嫌だろうか。

そう、その嫌な感じは、自分の思いが叶わないからだろう。

自分の思いの極限は、なんだろうか。

愛に溢れた、自由な、輝いた、開放された自己ではないだろうか。

もちろん、それに必要なものは、外側にあると思うのだろう。

誰かに愛される事なのか、お金を稼ぐことなのだ。

また健康である事かもしれない。


しかし、外側にあるものは、すべて失われる。

例外はひとつもない!

たとえ永遠の魂と思しきものでもである。

キリストの伝えた愛は、どのようなものであるか。

仏陀の言う慈悲とは、どのようなものであろうか。


心の貧しきものは幸いである。

上も下も横も中央も認識できるすべては執着のもとである。

気をつけなさい。


あなたの求めている愛は、すでに、実現している。

この、世界にない。

すでに、愛が、そのものが、あなたなのだ。

その愛が開花したとき、見るもの全て、は、変容する。

夢の世界には、何の問題もないのだ。


眠れる死者のさ迷う、この、世界。

そこに、あなたも、あの人も、いない。

この姿は、幻である。

愛は、感じることはできない。

この、諸行無常の世界、死者の世界を抜けたとき!

消失したとき。

そこに愛がある。

それは自分自身だ。

ほんらいの、あなたなのだ。

ほんらいのあなたは、自由に、楽しんでいる。

それは喜びなんかではない。


人間の感情中には、愛に、例えられるものはひとつもない。

それは、喪失感である。

笑いなんかではない。

ただの、深い、安心なのだ。

笑いはでてこない。

笑う事は、絶対に、できないのだ。

この苦しみの世界で、笑う事ができるのは、そういう夢の中である。

自己消失しているときは、笑いはでない。

帰ってきたときに、大爆笑するのだwwwwwwwwww


それだって、もう、ここにはない。

笑いが、ただ、ある。

そこには、救いはないのである。

たった一人の、この、自分だけの救いである。

人は助ける事はできない。

夢の世界の住人は、助けられない。

その奥に在る、気持ちを、救う事はできるかもしれない。


ただ、夢から外れている事である。

何かを感じるかもしれない。

もし、あなたが、生命の側に、明け渡されていれば、何かが、そこに現れる!

現れざるをえない。

自己をもって他者に近づけば、それは、何もでない。

ただの化学反応である。


本気にならなければならない。

真剣でなければ、ならなない。

なんてことは、お笑いである。

本気で真剣であるほど、あなたは、他者を束縛する。

開放は、自己の融解なのだ。

その性の力が、駆け抜けて、空へ飛び去ってしまう。


深く、深く、入っていく。

それで、この、現れの世界を笑う。

しかし、その笑いですら、もはや、自己のものではない。

あなたは、ここにいない。

夢の世界で、そこの住人であると思っているのだ。

実際は、この世界全部が、なにもかもが、あなたの世界なのだ!!

あなたは世界の王である。

何が起こっても、すべては、あなたのためにある。

すべてが、あなただけの世界なのだ。

ひとつの例外もない。

すべてが、あなたのためだけである。

これほどの愛があるだろうか?


神は、あなたを愛するがゆえに、あらゆるすべてを与えたのだ。

ぜんぶです。

この夢の世界の、ぜんぶが、あなたの魂の、何らかの存在の為に形成されたのです。

見たいだけ、見れる、笑

あなたのために太陽は昇り、沈んでいる。

あなたのためにすべての現れがあるのです。

世界には、あなたしか、いない!


あなたが消失したら、実際は、なにもなくならないが描写は変わる。


与える事も獲る事もできない。

ただ、ここで、このあるがままがあるだけである。


想受滅とは、このことを言っているのだ。

非想非非想とは、思惑の消失である。

空無辺所とは、真我の実現である。

そして、想受、滅、とは、意識と感覚が自分のものではなくなる事である。


一切の苦は滅尽される。


これは特殊な状態ではない。

思惑がなかったり、一切が空であったりするのは、特殊だが、それらもすべて、この自分のものである。

自分のものでなくなったら、ただ、生きるだけである。

これが、たぶん、最終だろう。

これ以上に、なにもない。

無上である。

ほんとうに、ここに、すべては成道する。


自分って、とても、大切な存在です。

その大切な自分が、ごっそり抜け落ちたときに、いいようのない安心。

この無限の沈黙だけが、広がるのです。