初めましての方は、目次も見てみてね!
☆『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
おはようございます。
今朝は7時ごろに目覚めました豊田です。
ついに、座禅をやめることになりました。
昨日は嫁様と大げんかして、彼女は実家へ帰りました。
さっきまでいろいろ、事情を書いていたけど、まあ、ここに書くと、まためんどうなことに巻込まれるので、やめておきます。
鈴鹿の宮脇書店へ行って『すでに愛の中にある』を買ってから、最近、亀山に開店した漫画喫茶で熱読していました。
なんと!
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ライフはミラクルwww
と言うのは生命が、ここで、こう湧き出していることのようです。
そして、その生命力は、だれかという個人ではない。
そして、それは、今、この時に湧き出て来ているものである。
だから、人間は、だれもいない!!!!
なんと言うことだ。
この、時期に、この本を読むとは・・・・・・。
なんか、その、ことで、座禅も読書もやっぱり趣味だよねと思って、そう考えると、やっぱり修行なんか、まあ、それも起こっていることな訳であほうらしいなと(爆笑)
単に、夫婦げんかしてやる気無くなっただけかもしれません。
とにかく、この大和田菜穂さんの表現は突抜けてますよね。
人間は機械であると言ったグルジェフさん。
このけがらわしい体に何があると言うのかと言ったお釈迦様。
それに匹敵する表現。
「人間の中身は何もないでしょ^^」
衝撃。
wwwwwwwwwww
これはすごい。
と言うか非常に危険ですね。
著書の中にもクレイジーと言うことばが頻繁に使われていますが、まさに、クレイジー。
だって、この生命が表現されている、世界には、人間は一人もいない。
つまりだれもいない。
自分も含めて一切、何もかもが、ただの生命の現れである。
つまり「ライフはミラクル」な訳です。
なんかこう満喫の化粧室に成人向けサイトの広告写真がはってあるのですが、それを見るたびに「え? これって中身はだれもいないのかああ」と感慨にふける。
いやあ、どう考えてもすさまじい。
これは、絶対に広まることなんてないだろう伝達です。
何しろ「自分は最初から生きてない」
つまり、もともと自分はいない、生まれてさえいないということです。
ただの全体の生命の流れがあって、それだけが生きている。
それは熟睡時と同じで、そこに、だれもいない。
ラマナ・マハルシみたいwwwwwwwwwww
これは、超、クレイジーだぜ!!!!
しかし、まあ、読んだ時期が、あの、嫁様との大げんかだっただけに、ああ、そうか「ライフはミラクル」なんだね。
中身にはだれもいないんだと、自然に思えてしまったwwwwwwwwwww
てことは、この日記を読んでいる人もいない訳だ実際は。
ただ、読んでいるというストーリーが生命によって巻き起っている。
なるほど!
これはグルジェフさんが指摘した状態ですよね。
人間は、ね、実は、機械なんです。
つまり中身にはだれもいない。
なんという、クレイジーな感じでしょうか。
でも、この突抜けた感は、グルジェフさん水準だなwwwwwwwwwww
大死一番。
死に切って来いと言う禅のことば。
これは本気でいなくなってしまえと言う意味ってことだな。
非常にやばいw
何回も繰返し読んでいたら同じ境地をかいま見るかもしれないと感じる。
まあすでに映写幕として突放すのは分るが・・・・・・。
どうも、それではないようだ。
何しろ、その映写幕を見ているのもストーリーである。
何もしないのではなく、何もできないものだ、もともと、と彼女は言う。
確かに、そう、自然が最初からあるが、それは、僕は、対象としての僕の意識や五感に対して縁起している世界と捕えていたのだが、なんと、その縁起と言うのは、だれに対して起っている訳でもない。
つまり、だれも、生きてなんかいない、最初っから。
と断言しているのである。
これは!!
なんという表現。
あの、かわいらしい容姿で「そこに菜穂はいません」と断言・・・・・・。
唖然、衝撃、すさまじい境涯。
自然な現実にはだれもいない。
これは、つまり、こう言うことだ。
普通は、僕が、この日記を書いて、だれかがこれを読むと考えられている。
しかし実際は日記を書くと言う行為が、だれでもない、この人間の体を通して、全体としての表現として、ここに現れているだけで、そこに意志も、行為もない。
実は、何も起こっていない無限空間に、ただ生命が巻き起っているだけ。
そこには本当はストーリーすらないらしいのだ。
魚ええええええええええええ。
これは、ちょっと、やばくないですか?????
本気で覚醒と言うか、まあ、分かっちゃった感じですよね、彼女。
えーっと、精神的な記事を書かれている方は、この本は、絶対、読むべしw
想像以上に圧倒されます。
え?
本気で?
あのかわいい人が、この発言?
みたいな、すごい幻影の世界に、運ばれます。
それで、まあ、なんか本物感が容赦なく伝わってくる。
僕もこの日記で、何度も解釈をいじることではない、最初からあると書いていましたが、それを、なんと「エネルギーが消える」と彼女は書いているのだ!!!!
自己という収縮したエネルギーが体から消えるとは、すさまじい。
ある意味、個人の死刑宣告ですよね・・・・・・これって、笑
個人のすべてを失った時、すべてが現れる
BY大和田菜穂さん
映写幕の中で見ている主体がいなくなっている状態と言うのかな。
非二元。
なるほど、非二元とは、このことか。
つまり、このパソコンと自分の体はまったく同じになっているwww
まあ、そう固定的に、比較しなくて、全体が、ライフがただ、巻き起っている。
これは、完全なる沈黙ではないか。
何しろ、いないのだからwwwwwwwwwww
沈黙している人なんていうのは最初からいなかったのだ。
うぎゃああああああああああ。
あるがままの美女覚者、現る!
これは、ほんとうに、阿部敏郎さんじゃないけど、一大事だ。
と言うか、僕は、これ、何をするとかもう関係ないじゃん(爆笑)
ただ、ライフが、巻き起っているのだから、もう、どうしようもない。
自分を手放すことは、自分ではできないと言う矛盾。
ただ、落ちている瞬間も、確かにあるよね。
忘我している時であるが、まあ、しかし、それがずっとだ。
完全に我が落ちきっている。
ほんとうに、そこまで、行ったのが、ただ歩いていて「あっ」と何かが気付いたただけで、もう、そこに彼女はいなくなっていたと・・・・・・。
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
じゃあさ、修行とか、これ、本気で、ただ起っているだけ?
おーい。
これは、まずいですよ。
うん、この伝達は、よく似ているようで、全然、やばい度が違う、笑
まあ、これの系統はインドですね。
どうもナチュラルスピリット刊行の書籍は、この、系統が多い気がします。
これをたどっていくと、たぶん、シャンカラという人が、元祖ではないでしょうか。
しかし、その、覚醒者と言う者もいないと断言される彼女wwwwwwwwwww
本気っすか!?
つまり、お釈迦様も、シャンカラも、ラマナ・マハルシもいないと、こうおっしゃられているのです。
現代の美女覚醒者様が!
いない。
だれも、そこにはいない。
ただ無限空間映写幕に生命混沌映像が映っているだけ。
決まったストーリー。
それはライフが巻き起しているミラクル。
あるのは生命の働きだけ。
しかも、この生命は、有機、無機関係なく、鉄も、生命と言う訳だ。
石ころも、何もかも、すべて一切が、これの表現で、自分の肉体も、それ。
で、その生命の働きの中に、自分は生きていない!!!!
いや自分だけでなく他人も、言うたら、思考も、感情も、動作も、それで、この景色も何もかもが一体となった混沌の生命。
ぎゃ嗚呼ああああああああああああああああ。
これ、どうですか?
やばくないですか、本気で。
これが世界中に広まることは、まず、有り得ませんぜ、阿部さんwww
認識が甘すぎたので、衝撃がでかい。
そうか!
天地いっぱいの命に対象としての自己が残ってないのだ。
これは最終兵器。
あのかわいらしい笑顔で「そこにだれかはいないんです」って、言う、本気の伝達をずばっと言い切る感じは、本物感、満点ですな。
『悟りの世界に遊ぶだけ』のハリー☆さんの名言「大和田の変」来ました、これ。
まさに、時は今、雨の滴る、五月かなwwwwwwwwwww
敵は「本能寺」じゃなくて「個我」にありー!!!!!
なんと「混沌生命の」謀反者と?
自分に起っている訳じゃなかったのだ。
ただ、瞬間、瞬間に、巻き起ってくる生命。
中心としての自己はいない。
見る者は見られる者であり、その見られているわたしと言う者は、ない。
混沌とした見られているがあるだけ。
だから、ただ、無関係に巻き起っている。
この爆発的空間。
ただ、これが、あるだけ。
認識者は、それも、ただの表現・・・・・・。
意識は、それも、ただの表れ。
すべてがもう、それ。
そこにわたしは、もともと、いない。
行為というものは、ない。
うーん、わたし、参りました。
完全に、ほれたなあ、これには^^
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⇒⇒VOICE OF JOKER 目次
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おはようございます。
今朝は7時ごろに目覚めました豊田です。
ついに、座禅をやめることになりました。
昨日は嫁様と大げんかして、彼女は実家へ帰りました。
さっきまでいろいろ、事情を書いていたけど、まあ、ここに書くと、まためんどうなことに巻込まれるので、やめておきます。
鈴鹿の宮脇書店へ行って『すでに愛の中にある』を買ってから、最近、亀山に開店した漫画喫茶で熱読していました。
なんと!
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ライフはミラクルwww
と言うのは生命が、ここで、こう湧き出していることのようです。
そして、その生命力は、だれかという個人ではない。
そして、それは、今、この時に湧き出て来ているものである。
だから、人間は、だれもいない!!!!
なんと言うことだ。
この、時期に、この本を読むとは・・・・・・。
なんか、その、ことで、座禅も読書もやっぱり趣味だよねと思って、そう考えると、やっぱり修行なんか、まあ、それも起こっていることな訳であほうらしいなと(爆笑)
単に、夫婦げんかしてやる気無くなっただけかもしれません。
とにかく、この大和田菜穂さんの表現は突抜けてますよね。
人間は機械であると言ったグルジェフさん。
このけがらわしい体に何があると言うのかと言ったお釈迦様。
それに匹敵する表現。
「人間の中身は何もないでしょ^^」
衝撃。
wwwwwwwwwww
これはすごい。
と言うか非常に危険ですね。
著書の中にもクレイジーと言うことばが頻繁に使われていますが、まさに、クレイジー。
だって、この生命が表現されている、世界には、人間は一人もいない。
つまりだれもいない。
自分も含めて一切、何もかもが、ただの生命の現れである。
つまり「ライフはミラクル」な訳です。
なんかこう満喫の化粧室に成人向けサイトの広告写真がはってあるのですが、それを見るたびに「え? これって中身はだれもいないのかああ」と感慨にふける。
いやあ、どう考えてもすさまじい。
これは、絶対に広まることなんてないだろう伝達です。
何しろ「自分は最初から生きてない」
つまり、もともと自分はいない、生まれてさえいないということです。
ただの全体の生命の流れがあって、それだけが生きている。
それは熟睡時と同じで、そこに、だれもいない。
ラマナ・マハルシみたいwwwwwwwwwww
これは、超、クレイジーだぜ!!!!
しかし、まあ、読んだ時期が、あの、嫁様との大げんかだっただけに、ああ、そうか「ライフはミラクル」なんだね。
中身にはだれもいないんだと、自然に思えてしまったwwwwwwwwwww
てことは、この日記を読んでいる人もいない訳だ実際は。
ただ、読んでいるというストーリーが生命によって巻き起っている。
なるほど!
これはグルジェフさんが指摘した状態ですよね。
人間は、ね、実は、機械なんです。
つまり中身にはだれもいない。
なんという、クレイジーな感じでしょうか。
でも、この突抜けた感は、グルジェフさん水準だなwwwwwwwwwww
大死一番。
死に切って来いと言う禅のことば。
これは本気でいなくなってしまえと言う意味ってことだな。
非常にやばいw
何回も繰返し読んでいたら同じ境地をかいま見るかもしれないと感じる。
まあすでに映写幕として突放すのは分るが・・・・・・。
どうも、それではないようだ。
何しろ、その映写幕を見ているのもストーリーである。
何もしないのではなく、何もできないものだ、もともと、と彼女は言う。
確かに、そう、自然が最初からあるが、それは、僕は、対象としての僕の意識や五感に対して縁起している世界と捕えていたのだが、なんと、その縁起と言うのは、だれに対して起っている訳でもない。
つまり、だれも、生きてなんかいない、最初っから。
と断言しているのである。
これは!!
なんという表現。
あの、かわいらしい容姿で「そこに菜穂はいません」と断言・・・・・・。
唖然、衝撃、すさまじい境涯。
自然な現実にはだれもいない。
これは、つまり、こう言うことだ。
普通は、僕が、この日記を書いて、だれかがこれを読むと考えられている。
しかし実際は日記を書くと言う行為が、だれでもない、この人間の体を通して、全体としての表現として、ここに現れているだけで、そこに意志も、行為もない。
実は、何も起こっていない無限空間に、ただ生命が巻き起っているだけ。
そこには本当はストーリーすらないらしいのだ。
魚ええええええええええええ。
これは、ちょっと、やばくないですか?????
本気で覚醒と言うか、まあ、分かっちゃった感じですよね、彼女。
えーっと、精神的な記事を書かれている方は、この本は、絶対、読むべしw
想像以上に圧倒されます。
え?
本気で?
あのかわいい人が、この発言?
みたいな、すごい幻影の世界に、運ばれます。
それで、まあ、なんか本物感が容赦なく伝わってくる。
僕もこの日記で、何度も解釈をいじることではない、最初からあると書いていましたが、それを、なんと「エネルギーが消える」と彼女は書いているのだ!!!!
自己という収縮したエネルギーが体から消えるとは、すさまじい。
ある意味、個人の死刑宣告ですよね・・・・・・これって、笑
個人のすべてを失った時、すべてが現れる
BY大和田菜穂さん
映写幕の中で見ている主体がいなくなっている状態と言うのかな。
非二元。
なるほど、非二元とは、このことか。
つまり、このパソコンと自分の体はまったく同じになっているwww
まあ、そう固定的に、比較しなくて、全体が、ライフがただ、巻き起っている。
これは、完全なる沈黙ではないか。
何しろ、いないのだからwwwwwwwwwww
沈黙している人なんていうのは最初からいなかったのだ。
うぎゃああああああああああ。
あるがままの美女覚者、現る!
これは、ほんとうに、阿部敏郎さんじゃないけど、一大事だ。
と言うか、僕は、これ、何をするとかもう関係ないじゃん(爆笑)
ただ、ライフが、巻き起っているのだから、もう、どうしようもない。
自分を手放すことは、自分ではできないと言う矛盾。
ただ、落ちている瞬間も、確かにあるよね。
忘我している時であるが、まあ、しかし、それがずっとだ。
完全に我が落ちきっている。
ほんとうに、そこまで、行ったのが、ただ歩いていて「あっ」と何かが気付いたただけで、もう、そこに彼女はいなくなっていたと・・・・・・。
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
じゃあさ、修行とか、これ、本気で、ただ起っているだけ?
おーい。
これは、まずいですよ。
うん、この伝達は、よく似ているようで、全然、やばい度が違う、笑
まあ、これの系統はインドですね。
どうもナチュラルスピリット刊行の書籍は、この、系統が多い気がします。
これをたどっていくと、たぶん、シャンカラという人が、元祖ではないでしょうか。
しかし、その、覚醒者と言う者もいないと断言される彼女wwwwwwwwwww
本気っすか!?
つまり、お釈迦様も、シャンカラも、ラマナ・マハルシもいないと、こうおっしゃられているのです。
現代の美女覚醒者様が!
いない。
だれも、そこにはいない。
ただ無限空間映写幕に生命混沌映像が映っているだけ。
決まったストーリー。
それはライフが巻き起しているミラクル。
あるのは生命の働きだけ。
しかも、この生命は、有機、無機関係なく、鉄も、生命と言う訳だ。
石ころも、何もかも、すべて一切が、これの表現で、自分の肉体も、それ。
で、その生命の働きの中に、自分は生きていない!!!!
いや自分だけでなく他人も、言うたら、思考も、感情も、動作も、それで、この景色も何もかもが一体となった混沌の生命。
ぎゃ嗚呼ああああああああああああああああ。
これ、どうですか?
やばくないですか、本気で。
これが世界中に広まることは、まず、有り得ませんぜ、阿部さんwww
認識が甘すぎたので、衝撃がでかい。
そうか!
天地いっぱいの命に対象としての自己が残ってないのだ。
これは最終兵器。
あのかわいらしい笑顔で「そこにだれかはいないんです」って、言う、本気の伝達をずばっと言い切る感じは、本物感、満点ですな。
『悟りの世界に遊ぶだけ』のハリー☆さんの名言「大和田の変」来ました、これ。
まさに、時は今、雨の滴る、五月かなwwwwwwwwwww
敵は「本能寺」じゃなくて「個我」にありー!!!!!
なんと「混沌生命の」謀反者と?
自分に起っている訳じゃなかったのだ。
ただ、瞬間、瞬間に、巻き起ってくる生命。
中心としての自己はいない。
見る者は見られる者であり、その見られているわたしと言う者は、ない。
混沌とした見られているがあるだけ。
だから、ただ、無関係に巻き起っている。
この爆発的空間。
ただ、これが、あるだけ。
認識者は、それも、ただの表現・・・・・・。
意識は、それも、ただの表れ。
すべてがもう、それ。
そこにわたしは、もともと、いない。
行為というものは、ない。
うーん、わたし、参りました。
完全に、ほれたなあ、これには^^
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