丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
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おばさんにとっての靖国神社

2020-08-16 07:22:47 | あいつら(2020.8)

昨日は終戦の日だったね。

おばさんの、靖国神社への思いは、ちょっと複雑なんだ。

こどものとき、おじいちゃんに連れられて、靖国神社にお参りしたことがあった。
あれはたしか、小学校3年生くらいのとき。
おじいちゃんは戦争に行って生き残ってかえってきた人だ。戦友がたくさん亡くなり、靖国神社に祀られているから、孫にも教えたかったんだろうな。
それで、東京観光をして、高級すきやきを食べた。
このあと、2年後くらいにおじいちゃんは死んでしまった。
あれがおじいちゃんと遊びに行った最後の思い出になってしまった。

おじいちゃんは戦争の経験を孫の私には語らなかった。でも息子である父親にはちょっと話していたみたいだ。やっぱり、殺し合いなのだ。そんな経験、簡単には話せないだろう。まして子どものおばさんには。そんな、経験がおじいちゃんの心に生涯にわたって大きく影響し、影を落としていただろうことは、当時こどもだったおばさんにもなんとなく感じられた。
根がまじめな人だった。それなのに、ちょっと破天荒で壊れることもあった人だった。
きっと、家族のために自分が犠牲にならなければならないという信念がそうさせていたのではないかと、大人になったおばさんは思っている。
そして、殺し合いをした自分を責めていたのではないだろうか。

終戦後、すぐには帰ってこなかったそうだ。しばらく現地で鉄砲の打ち方を教える仕事をしていたそうだ。なにか、つぐないがしたかったのではないだろうか。

おじいちゃん、あんたは悪くないだろう?そんなふうに自分を責める必要はない。
でも殺しあう経験をしてしまって、戦後それを全否定される世が来て、そんななかで家族を養って、家を栄えさえなければ、と生きてきた人に、私は何も言えない。
仮に今、生きていたとしても。

時は過ぎ、小学生だったおばさんは大人になった。

そして、ご存じのとおり、あいつらマニアの裏社会おばさんになってしまった。

世の中に起こるすべてのことをあいつらの犯行と疑ってかかり、公式なニュースはほとんどウソと洗脳という前提で見ていて、何ひとつ信じていない。

そんなおばさんは現在、靖国神社をあいつら神社と認識している。

ちょっと、いや、だいぶ、他の神社とは違う。

靖国神社の前身は、長州(山口県。シンゾーの故郷。)の「招魂社」というものだ。


靖国神社の前身↓
招魂社
転載。赤、おばさん追記***********************
招魂社(しょうこんしゃ)は明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社。

解説[ソースを編集]
1863年(文久3年)に高杉晋作は、下関戦争での戦没者の霊を慰めるため、また、今後の戦いに臨むに当たって自分たちの生墳(生前にあらかじめ建てておく墓)が必要であると発起し、奇兵隊の賛同を得て隊員共同の招魂場を設置することになった。日本初の招魂社となる櫻山招魂場(現・櫻山神社)は1864年(元治元年)5月に山口県下関市に築かれ、翌年8月に社殿が完成した[1]。櫻山招魂場は、その後の四境戦争、戊辰戦争の戦没者を始め、吉田松陰や久坂玄瑞といった倒幕と維新のために尽力した志士を合祀している[1]。
生前の身分に関わらず個々の戦没者を隠り身として祀る招魂社の発想は、その後全国に広がった[1]。 東京招魂社は1879年(明治12年)に明治天皇の命名により靖国神社と改称、地方の主な招魂社は1939年(昭和14年)護国神社と改称している。
王朝時代には、死者に対する陰陽道の招魂祭(しょうこんのまつり)は禁止されていた。死者・生者に対する神道儀礼は鎮魂祭と称されていた。靖国神社の旧称「東京招魂社」は「在天の神霊を一時招祭するのみなるやに聞こえて万世不易神霊厳在の社号としては妥当を失する[2]」可能性があるために廃されたという。ただし、名称変更後も「招魂祭」(しょうこんさい)は続けられた。
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こんなふうに、長州、明治維新のときが起源だ。そして、

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・幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎等も維新殉難者として合祀されている。これは戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を契機として創祀された事情から戊辰以降の戦没者を対象とする合祀基準を、嘉永6年に遡らせたためである。それに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていない。ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られている。また長州藩はこの禁門の変では賊軍とされているが、戦死(実際は自害)した久坂玄瑞などは合祀されている。この他に、当時の段階でも国際法違反である外国領事館・外国人襲撃者も祀られている。 
・明治維新の功労者であっても、その後に叛乱を起こし、あるいは叛乱に加担した西郷隆盛や江藤新平、前原一誠らは祀られていない。 
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こんなふうに、かなり祀る人を選んでいる

わたしは、日本が本格的にあいつらにのっとられたのは、明治維新からだと思っている。(その前から宣教師とかイエズス会とかが来て工作活動していたとは思うけど)

そして長州あたりの維新の志士といわれるヤツらの大部分をグローバリスト、売国奴と見ている。長州ファイブなど。ヤツら完全にあいつらに洗脳、篭絡されたであろう。(まぁ日本はあいつらに勝てるわけなかったからしょうがなかった面もあるけど。。。)
それが受け入れられず、抵抗した西郷さんなどは祀っていない。

これは、あいつら神社、といえるのではないだろうか。

明治維新はあいつら革命とバラしちゃった記事:

長州、山口県とはそういうところで、そういうシステムとバラしちゃった記事:


そもそも第二次世界大戦もあいつらが意図的に起こしたと私は思っている。

「ポーランドへの侵攻は、独ソ両国による独ソ不可侵条約調印の9日後、1939年9月1日に開始された
ヒトラーは、自作自演の「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)及びポーランド国内でのドイツ人への迫害(そのような事実はほとんどないか、あっても針小棒大化したもの)並びに16箇条の要求に対する無回答を開戦理由として、ポーランドに対する北部、南部、西部の3方面からの攻撃をドイツ軍に命令した。」

ヒトラーもユダヤ人とバラしちゃった記事:


また、真珠湾攻撃についても、日本の攻撃してくることを事前に知っていたにも関わらず、わざと何も手を打たなかったのではないかとよく言われている。

Wikipediaにも「真珠湾攻撃陰謀説」という項目が作られているほどだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC
「真珠湾攻撃陰謀説(しんじゅわんこうげきいんぼうせつ)は、1941年(昭和16年)12月8日(日本時間、現地時間は12月7日)の太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦をさせた大日本帝国海軍の真珠湾攻撃を、アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが、「事前察知をしながらそれをわざと放置した」という説である。この説は戦時中の日本や、終戦後のアメリカでも唱えられていた。現代では前任者フーヴァーやマッカーサー連合国軍最高司令官などのルーズベルト非難が明らかになっている[1]。 」


当時の日本の支配層もすでにあいつらの犬だらけであっただろうから、あいつらの意のままに戦争させる方向に導かれたのだろう。

参考記事:


だから、そんなふうに、突然赤紙が届いて、殺し合いに参加させられて、戦死して。
死後、「あいつら神社」に祀られるということは、ここまで知ってしまったおばさんは、もし自分だったらいやだなぁと思ってしまうのだ。
「あいつらによって戦わされて」、死後、「あいつら神社」に祀られる。。。

だいたい、威勢よく戦争を煽るヤツはさ、自分は安全なところにいて、戦わないわけだ。しもじもの者に戦わせて。おまえ自身が先頭きって最前線で戦うというなら納得できるが。
現在も、こいつとか、
こいつとか、
こいつも
で、今こんな状況。
まったくもってあいつらのでっちあげだよ😠 


でもそんなこと知らずに、当時を真剣に生き抜いてきた人にとってはむしろ心のよりどころなのだ。

おばさんのおじいちゃんだって、当然、あいつらを知らない。

そして、
「元陸軍少尉・小野田寛郎(太平洋戦争が終わった後もフィリピンのジャングルに潜み、戦後30年近く経ってから生還した元日本兵。陸軍中野学校の出身者 ) は、「死んだら神さまになつて会おう」と約束した場所が靖国神社であり、戦後その靖国神社を国家が守らないことに対して、「国は私たちが死んだら靖国神社に祀ると約束しておいて、戦争に負けてしまったら、靖国など知らないというのは余りにも身勝手」という見解を示し、靖国神社とは全く別の追悼施設を作るというのは、「死んだ人間に対する裏切り」行為だと批判している[2]。 」
Wikipedia「靖国神社問題」より転載。青、おばさん追記。

こういったお気持ちも理解できなくはない。それほど心のよりどころにして戦っておられたということだ。私のじいさんもそうだったのだろう。

そんなわけで、おばさんの靖国神社への思いは複雑だ。

あいつらを知っているか、いないかで、前提が大きく変わってしまう。

だから、賛成、反対とかの議論も本質的にはあまり意味がないと思っている。

建前上、議論必要ならしょうがないかって感じ。

参拝されたい方はされたらよいと思うのだ。

戦死されたご家族や身内を感じさせる場所ならば、大切なのは当たり前だ。

よく、中国、韓国が言う、「A級戦犯も祀られているから」という理屈だけど、これはA級戦犯とひとくくりにはできないだろう。
(どうせいろんな思惑があっていってるんだろうけど)

いろんなヤツがいたはずで、現時点で真実が明らかにされているとはとても思えない。
東京裁判自体、わたしは怪しい裁判だと思っているし。あいつらが恣意的に処理した、でっちあげ裁判だろう?
そして、保釈された元A級戦犯のヤツラに本当のワルがいることは、このブログでもなんども述べた。現在もそいつらの亡霊が大活躍中。

そいつらがマスコミも政治もいろいろ仕切ってることをバラした記事:

シンゾー&岸信介関連の記事:


その仲間たち:



よって、外野のいうことは、適当にあしらってくれたらいいと思っている。
あえて事を荒立てることもしないでほしいが。

冒頭の記事の政治家たちが、どんな思いで参拝しているのかは、、、、、

われわれ一般人のそれとは異なる可能性が大いにある。

だって、あいつら神社にあいつらが参拝するわけだからさ。


わたしのおじいちゃん、おばさんのことどう思ってるんだろうね?
見てるのかな?

自分を殺しあいに導いたヤカラをネット上でぶった切っている孫娘。

やっちまえ!と思っているか、ハラハラして見ているか、あるいは、、、、、。

分からないけど、当時はインターネットがなかった。

みんなラジオやら新聞のいうとおりに全面的に従わなければならないという意識がものすごく強かったはずだ。

今はどうだ?こんなふうに自分の意志でネットから情報を拾ってきて、ちゃっかり拡散することができる。直接会わなくても、ゆるく繋がり、協力しあうことができる。

あいつらなんかのいうとおりにさせてたまるか!って思ってる人がたくさんいる。
例えば、この人とか、
おばさんのヒーロー

勇気ある博士の真実の暴露!

国に政策がおかしいと言った専門家!

だいぶ当時の人たちと意識が違うぞ!

だからな、今は、我々とあいつらとの関係性が変わってきてるんだ。

あいつらが支配―我々が従う、犠牲にならなければならない、というパターンが崩れつつある。

みんなが「あいつらに従わなければならない」、から脱却し始めている。

この点が先の戦争のときと大きく異なる点だ。
だから、昔の人たちとも、感覚がだいぶ変わってきているのだ。
良くも悪くも。
昔の感覚に近い方たちは、おばさんみたいなやつ、意味わかんないだろう。
でも、犠牲者意識から抜けることがカギだと思っているから、
わたしはこのみんなの意識を大きくしていくことを企んでいる。
それが、今後、戦争を防ぐことに大きくつながると思っている。

その際注意すべきは、ちきしょー、あいつら!とヤケになって極端に走らないことだ。そうなると、オウンゴールとなる。あいつらの思うツボ。

そのように扇動するヤカラや真実から幻惑しようとする工作員↓が活躍中だからな。

この罠にはまらなければ、大丈夫だ。


これ↓やって、平和にいてくれよな。効果は絶大だ。




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