丸顔おばさんのブログ

すべての問題は「心」に通ず。
リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」

圧力や支配に対して、平気でいるコツ~少数派だろうと自由だよ。まずは自分の意思を自分自身が心からOKしてあげる♡

2021-09-18 13:54:37 | 心の解放シリーズ

日本のワクチン接種率も、半分を超えてきた。



情報ソースによって、多少数字がちがうようだ。
また、年代によっても違う。
そして職場、学校、サークルなど属する集団によってもだいぶ違うだろう。

こんな状況になってきたので、打ってない人がもはや少数派だ。

なので、現在接種しない方が、職場などで肩身のせまい思いをされているケースが多いと思われる。

マスコミ的には、いまだに「ワクチンは重症化を防ぐ」ということになっているんだな。

すると、ワクチン打たないやつは重症化する、副反応をおそれて接種しないとは、けしからん迷惑なやつ、という扱いをされかねない。
職場などで、これはキツイ。

情報が錯綜、いや、わざと、プロパガンダ流してるからなんだけど。

きのう、日本も3回目を接種する方向を固めたという報道が出て、ブログに書いたあと、

ツイッター見たら、時事通信がこんなニュース↓をツイッターに流し、
ツイッターのトレンド?おすすめ?に表示されていた。。。
プロパガンダとおぼしき記事↓
2021/09/16 18:23
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)ワクチンの3回目接種(ブースター接種)について、イスラエルから新たなエビデンスが示された。同国・Weizmann Institute of ScienceのYinon M. Bar-On氏らは、113万人超のリアルワールドデータを用いてファイザー製メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン(トジナメラン)におけるブースター接種の有効性を検証。SARS-CoV-2感染率は2回接種の約10分の1に低下したとN Engl J Med(2021年9月15日オンライン版)に報告した。

イスラエルで3回目接種したら、感染率が10分の1に減りました、という“エビデンス”とやらを時事通信が報道している。

こりゃ、やってるだろーw、どう見ても。情報操作。
3回目接種の発表と同日にこれを流すということは。。

現時点での100万人あたりの感染者数。イスラエル↓


たしかに直近は少し減ったようだけど、
昨日(上記リンク先)のブログ記事より
「9月14日には新たな感染者数が1万730人、直近7日間の平均は1万1027人だ
「これまでの波では存在しなかった記録だ」イスラエル保健省の新型コロナ対策を率いるナフマン・アッシュは9月14日に議会の委員会にオンラインでそう語ったと、地元メディアが伝えた。今年6月には1日の感染者数を10数人前まで抑え込めていたが、今は過去のピークを上回る第4波の真っ只中にある。」

3回目の接種をはじめて、10人から1万人超えって、3回目打ったからだろう。
どう見ても。

こっちのニューズウィークの記事のほうがデータと一致している。

こんなふうにプロパガンダを出してくる。
そしてこういったプロパガンダのほうを、テレビ、ニュース、ツイッターのおすすめに出てくるようにしているので、
よっぽど疑いの目を持って、あいつらが謀略やっている前提で生きていないと、
プロパガンダのほうを信じてしまう。

そしてこちらのほうが今の社会では圧倒的多数派だ。

こんななかで、
職場・学校などで、未接種であることでけしからんヤツというレッテルを貼られ、
また、はっきり言われなくとも、そういう空気で、くやしい思いをされている方。
いったいどうしたらいいか、おばさん考えていた。
もう体だけでなく、心を守るって意識がまず必要だ。

わたしだったら、
「重症化も防げていないという情報をちらほらみかけるから、様子を見たいんだ」って正直な気持ちを言うかな。
「重症化を防ごうとしないけしからんヤツ」という圧力に対しては。

結局、自分の素直な気持ちを、自分が楽な言葉で言うのが、一番相手につうじるの。

このとき、べつに相手を攻撃したり、否定したり、していない。

だから、安全なの。自分のハートをつねに感じて、そのまま楽に表現してるっていうのが。

相手も「そっか」と、たいていわかってくれることが多い。
(ムリなやつもおる。それもほっといてもいいんだw相手のほうが支配しているから不当なの。相手するとトラブルになるだけなの。後述するね)

それで、相手がお心あるいい方だと、すごく気持ちをわかってくれたり、心が通じ合うようなことがおきてね、
仮にお互いの選択がちがったとしても、応援しあえて、
うれしくなったり、幸せを感じる、なんてことも起きてくるの。

相手とこういったワクチンの話題になって、話ができる感じだったら、

「なんか接種してもしなくても感染するのは同じとファウチが認めたよ」
なんて話も、もちろんいいと思う。言えるのであれば。

でも相手がすでに打っている場合、いいにくい。
また、職場では最初から話ができない/しにくい相手もたくさんいる。

そして話するとかいう以前に、
はっきりとは言ってこないけれど、なんとなく冷たい空気、気まずい空気のなかで、耐えている方が多いのではないだろうか。

言えなくてもね、自分が心のなかで
「重症化も防げていないという情報をちらほらみかけるから、わたしは様子を見たいんだ」
「死亡や重篤な副反応も多いなかでコワいから打ちたくないんだ」
「体に毒だと感じるから打ちたくないんだ。自分の体を守りたいんだ。守っていいにきまってるんだ」
などと、正直な気持ちを自覚して自分に言ってあげる。
心のなかで言ってみる。その響きを感じてあげる

調べてわかったもろもろの情報から、感じとって決めた自分の選択、結論、
そうすることに自分自身が心からOKすることだ。
たとえ職場の人の賛同が得られなくとも。(こいつらは責任をとってはくれないからw)
「そうしていいの、当たり前なんだよ」って感覚を味わってみる。

罪悪感はいらないのね。罪悪感ってのはたいていウソだから。
植え付けられた不当なものだから。
支配的な左脳に偏った全体主義的な教育で植え付けられちゃったの。親や学校から。
「正しい/まちがってる」も絶対的なものじゃないのね。
人によって、置かれている状況や状態によってもベストな選択って変わってくるから。(後述するね)

この人↓みたいに、相手を気にしない境地になったらたいしたもんだ♪
今年もまたはじまるね。

圧力などは、つまり、支配なのね。
それに対して、気にしないでいられるようになってくると楽なんだ。

それには自分の気持ちを感じるってことを忘れちゃうとダメなのね。
その気持ちがすなわち自分の意思だから。
それを自分自身が気持ちよく、「そうしていいの当たり前よ」ってOKしていることなんだ。

そもそも、意思がない方が多いんだ。
デジタルな思考中心の左脳社会になってしまって、感情や五感を感じなくなってきてるの。すると自分の意思が持てないのね。
自分がなにをしたいのか、どうしたいのか、何が好きなのか、本当はだれが好きなのか、とか、わかんなくなっちゃうの。
損得勘定や効率や世間体に囚われて。これらは全部、思考ね。
思考を止めて、感情を感じる練習が必要なわたしたちだ。
(それで若者は自分探しの旅に出たりするわけだ)
こんな状態のところに、むちゃくちゃなプロパガンダがテレビなどから流し込まれるわけだ。

こうして洗脳されちゃうの。案外、カンタンに。

だから自分の感情を感じて、自然に自分はこうしたいなって意思を持つ。
そしてそれを自分自身が心からOKする。
(命や健康がかかっている今、これが急務だ。自分を守ってくれるのは政府でも医者でも職場でもない。自分自身だ)
これが支配や圧力を気にしないでいるためにはまず必須なんだ。
ここがスタートなんだ。

だからか杉下右京さんは、いつも紅茶を味わって、自分を感じているw
こんなことからでいいの、まずは。
毎日せかせかと自分のハートを置き去りにしてしまっている場合。
つねにこうして、自分を感じているから犯人の気持ちも感じちゃって、わかっちゃうのね。
窓際においやられてチキショーってのがないのね。
むしろ自由に動けて好都合って。
(おばさんもただのおばさんで好都合と思っている。だからこんなブログをせっせと書けるw)
東大卒だから犯人がわかるわけではないんだw
ほーっとリラックスして自分を感じているとき、ふと、わかるのね。
そして、自分にいると、警察署のやかましい支配者たちのこともわれ関せずで、自由でいられるのね。
そうすると勝手に頭もよくなっちゃうのね。
あんまり他人やマイナスにエネルギーを取られないから、自分を伸ばす方向にプラスにエネルギーを使える。
こうしている間に支配者は勝手に失敗して滅びてくれるのねw

右京さんのこういう感じは、自分を愛している姿だ。
自分を愛していると、自分が伸びたい方向に勝手に伸びていくんだ。
あんまり意図しなくても。自然に。

ドラマとはいえ、そこらへんのこと、よくわかっているなと思うw
あ、ツイッターにいたw
支配的な高圧的な人に対して、ちっとも戦ってないのね。
軽やかなのね~。だから最終的に勝つのねw

最終的に勝つのはいつも一番戦っていない人なの。
豊臣秀吉でもなく、織田信長でもなく、最後天下をとったのが徳川家康だったのは、そういうことだと思うのね。(あの当時もあいつらの謀略的なことはあったようだが)
一番用心ぶかく、できるだけ戦わない人が、最後ぽっと出てきて勝者になったりする。

でも戦わないで軽やかにいるには、自分のくやしい感情が解消されてないと無理なのね。
それには、負の感情も目をそらさず、全部感じ切ってあげることなの。
どうしても人は苦しい、くやしい感情を解消するように動いてしまうの。
そこをあいつらが長年にわたって支配に利用してきた。
今は、ここをあいつらが扇動して分断工作に利用しようとしている。
今、ワクチン問題が大変で、命かかってるから、
私もそうだけど、情報を発信拡散されている方が多くいて、
なかには激しい論調のものも多いのね。
最近、よりいっそうそうなってきている。

みんな怒ってるから当然そうなるのは無理もないんだけど、
戦っちゃうと、意見の違う者同士の潰し合いに行っちゃうのね。
するとあいつらをやっつけるのではなく、逆に滅ぼされてしまう。
自分も潰れちゃうの。
プロパガンダにもだまされちゃうの。
戦って、正しい間違ってるに拘っている方ほど。
それでだんだん自由な意見を言えなくなっちゃったり。

それよりも、ただ自分の意思を自分がOKして、支配に対して平気でいる。
悔しい感情も感じ切ってあげる。悲しみも。傷ついた心も全部。

こっちのほうが強いのね。
自分自身は伸びていって、支配者のほうは勝手に潰れていくから。

戦うということは、この潰れていく流れに入っていってしまうことを意味する。

画像出典:こちらよりいただきました。

あいつらもこういう人々の感情を解消したいという心理をよく知ったうえで、
激しく煽ってくる。

私自身はね、一応、できるかぎり真相を、自分のできる範囲でたしかめたいと思っていて、それも発信するんだけど、最終的には人それぞれの考えや選択がすべてだと思っているの。

自分なりの検証はするけど、それで戦う気はないの。
人や状況、状態によってベストな選択が変わってくる。

自分が決めて、選択して、その結果は自分自身が引き受けることになるから。
だれもが。

「打つ」と決めた人は、「打った」結果を負う。

「打たない」と決めた人は、「打たなかった」結果を負う。

職場などで、冷たい、差別的な空気を出してくるヤツは、私の選択した結果を引き受けてはくれない。責任をとってくれないんだ。
(プロパガンダ信じてけしからん、とかやりあう以前にね)
そいつの差別、圧力に屈して接種して、
その結果私が死んじゃったとしても、そいつは責任をとってくれない。

だから言うこと聞く必要はないんだ。
圧力かけてくるやつは、ほっといていいというのはそういうことだ。

上司でも社長でも、ここが分かってない人は、仕事でも業務の責任がめちゃくちゃでトラブルが多いはずだ。
そういう人や職場からは離れることを考えてもいいかもしれない。


こう考えると、人の選択に対して、冷たい態度や差別的な言動をすることは、おそろしい。責任とれないくせに、支配してるってことだから。

逆もまたしかりだ。
接種希望してる人に無理矢理「危険だよ」と説得して止めさせたとして、
その結果、「職場に居づらくなった、オンライン、テレワークしかできんくなった、収入が減った。おまえのせいや。どうしてくれるんや」と責められたって、
どうしてやることもできんよ、となる。
こういう人の結果もまた、肩代わりしてやることはできないからな。
つまり、どういう結果になっても自分でなんとか対処していこう、OKという意識に、その人自身がなっていないと、接種しないという選択もできないわけだ。
恐れがあると選択できない。

このほかにもひとそれぞれいろいろな事情や心理状態があるだろう。
そこまでは干渉できないんだ。

これまで自分を犠牲にするように生きてきた方は、こういう事態になったときどう対処していいか分からない方が多いだろうと思う。

自分を大事に生きてきた人は、これまでもきつい事態に直面したとき、
そんなきつい感情を感じ、自分を愛しながら、じゃあどうしようか?という発想をしてきたはずだ。
長年、こうしてきたはずだ。
戦うことにあまりエネルギーを使わず、自分をプラスに伸ばしてきたはずだ。
すると、ワクチンもたとえ職場で少数派になったとしても、自分の意思で決めよう、それで大丈夫だ、アウェーになっても、自分を愛するために、なんとか対処していこうと思える。
つまりこれまでの実績から自分を信じることができるんだ。
支配者ではなく、自分を。これが自信というやつだ。

こんなふうに、これまでの自分の心の習慣が判断を左右する。

心のスキルとか、テクニックじゃないんだ。

ただ、自分を感じている、自分と相手の選択の自由と責任を認めていると、自然にそうなる、そうしようと思える、そういう感じだ。

だから、相手を変えようとしてもムリだし、
自分自身の気にしない感覚を高めて、自由にいるのが最善かなぁと思う。

支配に生きて戦っている人はどうしてもキツイエネルギーを発しているのね。
それがMAXになったような掃き溜めのような場所も人も、地球上にはいっぱいあるのね。
そうなんだ、って思って、軽く受け止める。あしらう。離れる。
で、自分の平和に帰る。
これもだんだん練習してるとうまくなっていくんだ。
そしてそういう人たちは、高圧的であるわりに、あまり賢くはないのだ、あんまり仕事できないんだと気づくんだ。
自分自身が感情にいると、物事を立体的に捉えられるようになるから、その感覚の違いに気づくのね。

そういう人が増えると、こんどこっちが多数派になって、たのしい社会になるにちがいないと思う。そういう人同士で集まるようになるから!
今、ネット上ではすでにそうなりつつあるかな?

なかなかまだ実在する人物にいいお手本がいないもんで、ドラマの人を例に取り上げてみたw

あの役をあんなふうに演じることができるということは、水谷さんご自身にそういう側面があるということなんだろうと、おばさん興味深く見てるの。
で、実際に、ながーく続いている。シーズン20か。
たぶん、支配的な人を気にせず、だからといって戦わず、自分の感情と意思を大事に演じてこられたからなんだろう。
そして、相棒のほうは、よく変わるw
元相棒の方々は、相棒を降りたあと、いろいろとトラブルや、むくわれないめに遭っているというお話もちらほら聞こえてくる。
元相棒の方たちは、まだ支配者や他人の評価などが気になっちゃう感じなら、支配から抜けられず、苦しい方が多いのかもしれないなぁと想像している。

だから自分次第で状況が変わっちゃう面があるのね。同じ環境にいても。
自分の意識次第で。

お芝居も100%ウソというわけでもなく、やっぱり内面の表現だから、俳優さんの意識が見えて、奥が深いなぁと思う。

わたしのこのブログも自分の内面が丸出しで( *´艸`)

結局、人はウソがつけないのかもな。とりつくろってもムダというか。。。

だったら素直に出してしまえばいいんだ。
相手を支配・操作する意図で感情を出せば、それはトラブルになるんだけど、
そうではない自分の素直な感情をただ表現することは、むしろ愛の循環につながっていく。

それなのに感情をおさえなくてはならないと教えるのね。いろんなところで。
理性的なのがいいんだって。
もったいないことだ。愛を抑えよと教えるなんて。

今、みんなが怒っていて、怒りの感情が渦巻いているけれど、
それも自分のそんな感情をいたわり、愛しながらながら表現するのと、
ただ激しくぶちまけるのとでずいぶんちがうんだ。

前者は理解者賛同者が増えて、建設的にプラスの方向に、愛を増しながら発展するだろう。
なぜかというと、自分の感情を大事に愛していると、相手のことも大切にしているように見えるの。不思議なんだけど。
だから自分を愛しているだけで、人とも愛の関係が築けるようになるの。
(だから自分と他人って実はハートで繋がっていると思うの。全ての人と)

後者はキツいエネルギー(感情)を相手かまわずぶちまける感じだから、
こっちの感じの人が増えてしまうと、マイナスに、戦いや支配に行くから、
分断につかわれてしまうかもしれない。


あぁ、それでね、いきなり職場で支配者に対して自由にいるのが難しい場合は、
コワくないところで練習してみるといいんだ。
例えば、すぐ戦いモードになる支配的な家族とかに対して、
やだなと思ったら、すっと自分の気持ち言って、離れる。
あるいは、言う必要もなければ
ほっといて自由にいる。ただ、離れる。自分の部屋に行っちゃう。
(要するに、支配関係は距離が近すぎるんだ。実は。
愛はちょっと離れてる感覚なの。あっさりと。それでいて冷たいわけじゃないんだ。少し離れて温かく尊重してるって感じ)
関連記事:

むしゃくしゃする気持ちは、一人になったときに心の目を自分の内に向けて、よーく感じてあげる。

それでうまくいくと、大丈夫なんだって、いろんなところで、自然にできるようになるの。

人に頭にくることも少なくなっていくの。

こうして少しずつ、犠牲者の意識から抜けていけるんだ!(^_^)v

相手との関係性も変わってきて楽になったりするんだ。


するとだんだん、相手が自分のことをどう思ってもOKってなっていく。

相手が勝手に自分を「重症化するかもしれんのに接種しないけしからんヤツ」と思うのも相手の勝手。

自分が打ちたくないから打たないのももちろん自由ってね。

相手の頭の中の自由も認められるようになっていくんだ。
べつにどうでもいいんだなぁって。
ほっといて大丈夫なんだなって。

具体的に自由を妨害する行動をしてきたら、そのときは具体的な策に出る必要があるけどね。
そうでない限りは、まーいいやって。

あいつらに関しましては、「あいつら(裏側から見る社会のシステム)」のブログ記事一覧-丸顔おばさんのブログ、古い順をクリックのうえ、初期の記事よりご覧ください。