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中曽根康弘の残した負のレガシーはかなり大きい。

2019-08-15 23:43:40 | 国内国際情勢
元号が『平成』から新元号の『令和』に変わった2019年5月、日本人なら誰もが感じた時代の転換期の

ドサクサに紛れて昭和から令和に平成の30年分の時間をヒョイッと飛び越える通称“平成ジャンプ”を

密かに為し得たモノがあった。 それは“靖国懇”1985年8月15日当時の中曽根康弘が総理大臣として

初めて靖国神社に公式参拝する事に関する懇談会の事で、中曽根内閣により靖国参拝を実現させる為の

閣議の内容の議事録とされている。 21回開催された靖国懇の2~12回までの議事録が発見された。

それだけに今年の8月12日日航機123便墜落事故から34年目の夏は靖国懇の議事録から事件の新たな事実

の一片でも公にされ謎が解かれるのではないかと淡い期待もあったが、残念ながら何も出て来なかった。

当然のように靖国参拝の数日前に起きた日航機123便墜落事故に関する話も少しは出て来るものだと思わ

れたが全く出て来る様子もなかった。

墜落事故の真実を握っているとされる当時の総理大臣中曽根康弘も既に御年100歳を超え、30年以上前の

事故の真実を話すどころか墜落事故の事を覚えているかさえ怪しいレベルに老いぼれている。そこは息子

も孫も三世代続けて国会議員である中曽根家で何か継続的な対応があっても良いと思うが、事故は過去の

事として見切られた扱いがより一層の悪質な無責任さを感じさせる。



当時中国の胡耀邦(こようほう)政権のカバナンスに影響を及ぼすことを避け靖国参拝を取り止めた中曽根康弘。

何十年もの長い間、中国政治は共産党一党による政権維持が続いており、そんな中国のカバナンスに影響を与え

るなど、更々可笑しい話だと思うのだが、中曽根が靖国神社に公式参拝した程度では中国共産党の政治支配が変

わる事など有り得なくて火を見るより明らかだった。中曽根は中国の政治カバナンスを公式参拝取り止めの理由

に挙げ参拝の是非について国内ではなく海外に委ねたのは明らかな大きな失敗だった。中曽根だけでく毎年この

時期になると組閣組の人物が終戦記念日に靖国参拝を行うか否かで注目を集め参拝すれば中国から判を浴びる外

交が慣行になってしまった現状には素直に反省すべきだがそれさえも出来ない。

神道を壊しているのは参拝に積極的な保守派や右翼のように思えて仕方が無い。これを自業自得という。







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