米国のトランプ大統領が「Merry Christmas」を使いクリスマスを祝い選挙期間中の公約を果たしたそうです。
今の米国では多宗教化が進みキリスト教の「Merry Christmas」でクリスマスを祝う習慣が少なくなっている。
代わって異なる宗教にも当たり障りのない「Happy Holidays」が使用される傾向が強まっているようです。
米国では宗教だけに限らず人種や文化による不必要な摩擦を抑える為にユニバーサルな意識が進んでるようで
こうした中でも時代に逆行するようにトランプ大統領は多様化に囚われず米国のキリスト教らしさを一面に出して来た。
世界的な風潮に流されることなく独自の伝統を重視するトランプ大統領には好感が持てる。これが保守らしさと言うもの
だと思う。しかし伝統への回帰では無く政治的に利用されることを警戒する人も存在する訳で、そこが保守が敬遠される
原因で信用にまで踏み込めない所でもある。近年の米国におけるプロテスタントを始めキリスト教が嫌われる要因を作り
出したのはISISによるイスラム教スンニ派の中東情勢にあることは間違い無いのですが、その前にイラク国内でキリスト
教徒がイスラム教徒に弾圧されているような風潮を広めようと試みたが失敗した経緯がある。そこで一気にキリスト教は
世界から信用を失墜してしまった。
ここまでの大きなうねりとなって世界情勢を左右しかねない反キリストのエネルギーが生まれながら十分に認知されて
来なかったのは余程の米国による隠ぺい工作か情報統制を行っていたのだろう。それと同時に米国が担うべきキリスト教に
対する不信感が異教徒に限らずキリスト教内部からもかなり根深いものだと推測される。
カトリック聖教が、例え同じキリスト教と言えどもプロテスタントにある米国の悪行の為に大枠と共に見捨てたも同然の
ことかもしない。プロテスタントが今後これまでのように普通に世界宗教のキリスト教で居られるかは知れない。
考え方を変えてみればプロテスタントは米国用のキリスト教スタイルだったと考えれば、米国以外のプロテスタントには
何らかの対応策があるのだろう。
2016年にローマ教皇が「最後のクリスマス」発言が意味が解らず憶測を呼んだ。しかし一年後の2017年のクリスマスを
迎えてみれば、それは世界が滅びるのではなくキリスト教による世界支配が終わることを意味していたのだろう。