日々淡々

日々想う事・・・喜び・悲しみ・怒り・憂い・・・それでも淡々と生きてく・・・糧や安らぎに出会えたら・・・

白寿

2009年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

敬老の日の昨日。実家へ帰って祖父の”白寿”のお祝い会を開きました。誕生日が19日。ありがたいことにシルバーウイークがあったので、遠方に住む妹一家も含め、久々に孫3家族、合計11人+本家から祖父の兄弟もお呼びして、計13人の食事会でした。

流石に沢山の料理はそれほどに食べられなかったのですが、サプライズに祖父も満足そうでした。ほぼ寝たきりの毎日で、楽しみと云えば食事と週1回のデイサービスとお風呂くらい。大勢の皆と食事をすることはまずないので、楽しそうでした。

99歳とは思えない元気な、力のある声で歌を唄っていました。4曲かな、歌詞もメロディあまり解らなかったけれど、いつ頃の歌でしょうか?おそらく若いころ、自分の一番元気だったころに覚えた歌なのでしょう。嬉しそうな顔が印象的でした。

祖父の年齢と今年の暦を見てのおふくろの発案。老々介護で日々大変な中、祖父に少しでも楽しみを感じられるように考えてのこと。頭が下がります。おふくろ自身も皆が集まるのを楽しみにしていたようです。

集まれば集まったで、やれ食事だ、なんだかんだと大変なのですが、それがまた楽しみで、おふくろの息抜きでもあるようです。祖父の孫が家族で集まるってことは、おふくろには孫が集まるってコト。高校生から小学生まで4人の孫。かわいいようです。

同日近所で葬儀があり、おふくろが行ってきたのですが、「兄弟が少ないと寂しいモンだね。ウチはこれだけ集まって賑やかだからありがたい。」と、しみじみ言っていました。そう云うモノなのでしょう。自分の将来も寂しいものになりそうで、ちょっとゾッとしました。

賑やかで愉しい食事。考えてみれば日常にはほとんどありません。極幼いころ、祖父母・両親・3人兄弟の計7人で食事をした記憶が微かにあります。内容はともかく、いろいろなことを食卓で話した様な気がします。

今は…娘と2人暮らし。生活サイクルと食べ物が違うので、一緒に食事すること自体が稀になっています。今、娘は自立の時。当分は仕方ないと思いますが、いずれまた一緒に食事をする時も来るでしょう。

娘の自立は、私の自立でもあります。子育てに必死で何とか今までやってきましたが、そろそろ手が離れます。大変さの裏返しが”糧”になっていた分、今後の”生きがい”を見つけなければなりません。自分に何があるのか、何がしたいのか。

ゆっくり見つけたいと思います。だって、祖父が”白寿”ですよ。昨年亡くなった祖母も94歳でした。どうも、我が家系は長生きのようです。祖父と比べれば、私なんぞまだ半分程度しか生きていません。ってコトは、私はまだ人生半ばだという事です。あわてない、あわてない。