えくぼ

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暮れてゆくバッハ

2015-10-06 09:11:36 | 歌う

              ~ 暮れてゆくバッハ ~

 以前、ある歌会で評者の一人が 「岡井さんの歌はリズムがとてもいいですね」。と言った。岡井隆は 「リズムだけはね」と笑いながら応えた。でも短歌はリズムあってこそ、散文ではないのだ。わたしは歌集を読みながらリズムを楽しみあまり考えない。深読みしたら迷子になる。まして岡井の歌を読み続けたら迷路をうろうろする。出口のない迷路を。

 ✿ 『暮れてゆくバッハ』 は書肆侃侃房の現代歌人シリーズ6、新刊である。私はこの歌集の書評をまだ読んでいない。迷路を独りで歩くのだから、浅読みの観賞しかできない。

 ♦ 言の葉の上を這ひずり回るとも一語さへ蝶に化けぬ今宵は

 言葉の魔術師・岡井隆でも言葉に翻弄されるのか。言葉が蝶のように舞わない、「化けぬ今宵は」 いつもは言葉を自在に操れるのにという自負なのだろうか。結句の呟きは。

 ♦ 休みなく咲き続けたるくれなゐを心の底に置きて昼寝す

 「咲き続けたるくれない」は紅バラなのか、紅椿なのか、花の名が省かれている。ここで私は立ち止まる。くれないは花ではなく美女ではないか。容色の衰えない女、活躍している女流歌人を心の底に置く、そして昼寝。読者を離さない、ぬかりない表現だ。

 ♦ のんびりした一枚の野の果ての鈴鹿山系に入り日が落ちた

 これは散文めいている。岡井が書く散文は旧かななので、読みながら詩歌のような感じがする。短歌の韻律が彼に宿り話しても書いても詩歌になってしまうのか。「一枚の野の果て」「入日が落ちた」やはりこれは短歌の魅力的なフレーズであろう。

 私は時たま少し贅沢な外食をしているとき プロの味 と私の味の差を感じる。例えば マーボ豆腐、同じ食材を使いながら、どこか違う。隠し味か、スパイスか、中華料理の店では家庭のガスと違う強火で短時間に調理するらしい。岡井作品のまろやかな風味の隠し味をさがすために迷路を歩くのはこの辺りでやめる。入り日が落ちないうちに、、。

                                 10月6日  松井多絵子