~ ふれあい広場 ~
✾ 近づいてゆけばひろがるススキの野そんな感じの青年だった 松井多絵子
9月下旬日曜の午後、わが家から徒歩10分たらずの「ふれあい広場」に来る。小さな公園ほどの空き地である。花壇もベンチもない。「震災時一時集合所」に指定されているが、古い雑居ビルのはざまの空地だから、ビルが倒壊したら危険な場所になるのではないか。
この広場はいろいろな樹木に囲まれているが、私が好きなのはブナだ。高さは約5m。
幹は象の脚みたいだ。太い枝に葉がやさしく重なっている。その幹に背を凭れると私の不安を一時預かりしてくれる。ここに来たのは、このブナに会いたくなったからかもしれない。近づくとブナの下に男がひとり立っている。やや長身の、やや細身の、顔見知りの青年だ。私と目が合うと会釈して 「いいお天気ですね」と言う。声も細い。
「待ち合わせでしょ、彼女と」 「いや、彼女なんていません」 「本当?」 「女は苦手なんです。猫のほうがいいんです。これからペットショップの猫に会うんです。さっきマックで食事をしましたが、隣のテーブルの若い親たちはバーガー1個と水だけなのに女の子は、バーガー、ポテト、ジュース、さらにフルーツパフェ、親になったら子供の機嫌をとるなんて、ボクは結婚したくないですね」。
この青年のことを旧友の京子に話す。「ああ、草食男子ね。牙を抜かれたような若者が近頃多いのよ」。彼女はこんなことも言う。「女がコワイのよ。蚊だって吸血するのはメスよ」
あの日から半月後の10月はじめの日曜の午後、私は「ふれあい広場」に来ていた。オジイサンが一人いるだけ。あの青年はいない。どこに住んでいるのか。職業も齢も知らない。何も知らない。細いあの声のような微風が過ぎる。涼しい。「秋だなあ」とおもう。間もなくブナは紅葉し、落葉し、冬になるのだ。冬の「ふれあい広場」は私の知らない広場である。
10月14日 松井多絵子
{ 俳句情報 }
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せみ鳴いてお花きれいでありました
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侘しきもたのしきもあり虫の声