- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

オサマ・ビン・ラーディンの隠れ家@Abbottabad

2011年05月03日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
山岳地帯のとても奥地に潜伏しているといわれてきたが・・・







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アメリカ海兵隊の特殊部隊によって急襲され殺害された現場。ビン・ラーディン氏は身長196センチの大男だったが、このジャンボサイズのベッドがとても印象的だ。この屋敷には3人の子供と2人の妻(女性)がいたという話もあるが・・・・、これが彼の殺害現場か否か不明。報道によると彼は降伏を拒否し、女性を楯に応戦したため、ただちに暗視装置を付けたアメリカ特殊部隊によって胸と左目を打ち抜かれたらしい。


GoogleEarthでみたパキスタンのAbbottabadはここ→「abbottabad」を入力! 隠れ家はGoogleMapで「OSAMA BIN LADEN‘s hideout compound」を入力するとよい。

イスラマバードの北北東50キロの地点(海抜1200㍍)にある。Khyber Pakhtunkhwa州Hazara県の地方中心町(Abbottabad郡の中心地)。近郊にある2500~2700㍍高のThandiani Hillsは有名な夏冬のリゾート地。abbottabadは日本とも関係が深く、町はずれに軍の士官学校(the Pakistan Military Academy)、市内には地域の拠点病院や複数の大学そしてアメリカ系衛星通信会社Comsats等のある垢抜けした町に、おそらくパキスタン国内のアルカイダ支援者Harkat-ul-Mujahideen(パキスタン軍の諜報部門と関係のある武装組織ISIを含む)たちに支えられながら、潜伏、いや「透析」(2004年以降から腎臓病に苦しみ、常に人工透析)をしながら市民生活をしていたんだな~。隠れ家はHashmi Colonyと呼ばれる場所に当たり、その士官学校とは目と鼻の先の距離(半マイル程度)にある




CIAはビンラーディン【ウサーマ・ビン・ラーディン(أسامة بن لادن)ことウサーマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラーディン(أسامة بن محمد بن عوض بن لادن、Usāma bin Muhammad bin ʿAwad bin Lādin)は、アメリカ同時多発テロ事件をはじめとする数々のテロ事件の首謀者とされるサウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト。FBIにおける最重要指名手配者の一人】の隠れ家をどうやって嗅ぎ出したのだろうか。(一説ではビンラーディンの側近の親族の監視から隠れ家が判明したとか)




高い塀(12-18フィート高で有刺鉄線が張られ、二重の門)で囲まれ、窓の少ない比較的大きな家屋だとか。ここに成人した息子を含む男性と人間の盾とされた女性(妻)ら数名で暮らしていた。


なお、隠れ家の屋敷は農地の中に新興住宅が点在する都市周辺地区にあり,、004年の衛星画像では畑地であったらしい。



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隠れ家






President Obama's Full Speech On Bin Laden Killing 5/2/2011 2:39:47
OSAMA-BIN-LADEN-DEAD-KILLED-IN-ABBOTTABAD-PAKISTAN-MAY-1-2011 - ABC News prjtec

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●India and Pakistan 1:250,000、Series U502, U.S. Army Map Service, 1955-@テキサス大学オースチン校
図幅:ni-43-05(abbottabad)
Abbottabad
赤マークがAbbottabadのある図幅
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グルーバル・セキュリティ社(Globalsecurity)OSAMA BIN LADEN CONFIRMED KILLED BY US FORCES
Osama bin Laden Profile
Key al-Qaeda Personalities
Al-Qaida / Al-Qaeda
Abbottabad Cantonment


早速GoogleEarth&GoogleMapでチェックしてみよう!
前述のごとく、GoogleMapには気を利かせて「隠れ家(OSAMA BIN LADEN‘s hideout compound)」と明記されてる。


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参考サイト(英国)

デジタル・グローブ社の情報

隠れ家の衛星像版

後日談

【カブール=横堀裕也】昨年5月にパキスタンで殺害された国際テロ組織アル・カーイダ指導者ウサマ・ビンラーディンの妻(30)が、夫の同国内での逃亡中の足取りを同国治安当局への供述で初めて明らかにした。

 供述内容を報じた地元紙などによると、この妻はイエメン出身で、現在はパキスタン当局の監視下にある。2000年にビンラーディンと結婚し、01年9月の米同時テロまでは、夫と別の妻2人と共にアフガン南部のカンダハルで暮らしたが、米英軍の攻撃を逃れ、夫と離ればなれになった。

 米政府によるとビンラーディンは、カンダハルから東部のジャララバードを経て01年12月、東部トラボラ渓谷で米軍の包囲を突破してパキスタン国内に逃れたが、その後の足取りは判然としていなかった。

 この妻は02年後半、パキスタン北西部ペシャワルで夫と再会。2人はその後、スワート地区に約9か月間、北部ハリプールに約2年間隠れ住んだ後、05年半ばに最後の潜伏先である北部アボタバードに移った。妻はこの間、4人の子どもを産んでいたという。.

最終更新:3月30日(金)19時12分

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