向野 康江「関衛(せきまもる1889-1939)の児童画研究にみられる高島平三郎(1865-1946)の影響」茨城大学教育学部教育研究所紀要(29): 23-32,1998という論攷のある向野からの引用だ。
「心理学者であり、かつ児童研究に造旨の深かった関寛之(せきかんし*)と、児童文学者で、民俗学者でもある関敬吾(せきけいご)は彼の弟です。関衛の業績について精査した結果、生涯のうちに、32冊の著書と93編の論文をのこしました。これらは、大正年間に執筆されたにもかかわらず、現代にも通ずるような、新鮮な理論を我々に提示してくれます。 (*関寛之は正しくは、せきひろゆきではなく、せきかんしです)」
気候と人生
児童図画心理学
児童図画心理学
関衛 著
[目次]
標題
目次
第一章 兒童圖畫學習心理槪論 / 1
第二章 圖畫敎育の建設と兒童硏究 / 33
第三章 美的鑑賞能力の審査法 / 50
第四章 兒童の知覺及び觀察 / 84
第五章 兒童の形態識得に就いて / 100
第六章 兒童の色彩識別に就いて / 110
第七章 兒童の觀察力發達の階段 / 136
第八章 觀察力初發の時代 / 147
第九章 主觀的觀察の時代 / 155
第十章 分析的觀察の時代 / 180
第十一章 綜合的觀察の時代 / 202
第十二章 兒童の美的鑑賞の心理 / 218
第十三章 美的鑑賞力の發達硏究 / 229
第十四章 美的鑑賞力の發達階段 / 254
第十五章 兒童の圖畫描現の心理 / 266
第十六章 兒童畫發達の諸階段 / 275
第十七章 兒童の始源描畫時代 / 283
第十八章 兒童の觀念描畫時代 / 296
第十九章 兒童の自覺描畫時代 / 309
第二十章 兒童の再生描畫時代 / 317
第二十一章 兒童の描畫題材に就いて / 323
第二十二章 描畫題材の年齡的變化 / 339
第二十三章 人物畫に關する硏究 / 345
第二十四章 動物畫に關する硏究 / 358
第二十五章 植物畫に關する硏究 / 366
第二十六章 建築畫と器物畫の硏究 / 375
第二十七章 兒童畫の構成に就いて / 384
第二十八章 兒童畫の根本的型式 / 398
第二十九章 橫向型の描寫と人物畫 / 406
第三十章 造形藝術史上の描寫型 / 415
第三十一章 兒童畫の形象と誤寫 / 424
第三十二章 兒童の圖畫禀賦の分析 / 434
「(向野は)
美術教育史研究においては主に関衛(せきまもる、1889-1939)を研究してきました。
関衛は、日本の図画教育界で初めて児童画という言葉を用いた人です。日本児童の絵画を1万点以上収集して、日本児童の描画発達段階区分を明確にした人です。明治22年(1889)長崎県南高来郡小浜町富津で生まれ、明治45年(1921)長崎師範学校(現長崎大学教育学部)を本科第1部4回生として卒業しました。その後、島原半島の小学校を中心に10年間ほど教鞭を取り、大正13年(1924)より活水女子専門学校・活水女学校高等女学部(現活水学院)に勤務しました。昭和4年(1929)には東京へ出て著作活動に専念し、その間、制作活動も続け、中国旅行に出かけたりもしました。そして、昭和14年(1939)、図画教育に情熱を注ぎ続けたその生涯を49歳で終えました。心理学者であり、かつ児童研究に造旨の深かった関寛之(せきかんし*)と、児童文学者で、民俗学者でもある関敬吾(せきけいご)は彼の弟です。関衛の業績について精査した結果、生涯のうちに、32冊の著書と93編の論文をのこしました。これらは、大正年間に執筆されたにもかかわらず、現代にも通ずるような、新鮮な理論を我々に提示してくれます。 (*関寛之は正しくは、せきひろゆきではなく、せきかんしです)」(リンク切れ)
「心理学者であり、かつ児童研究に造旨の深かった関寛之(せきかんし*)と、児童文学者で、民俗学者でもある関敬吾(せきけいご)は彼の弟です。関衛の業績について精査した結果、生涯のうちに、32冊の著書と93編の論文をのこしました。これらは、大正年間に執筆されたにもかかわらず、現代にも通ずるような、新鮮な理論を我々に提示してくれます。 (*関寛之は正しくは、せきひろゆきではなく、せきかんしです)」
気候と人生
児童図画心理学
児童図画心理学
関衛 著
[目次]
標題
目次
第一章 兒童圖畫學習心理槪論 / 1
第二章 圖畫敎育の建設と兒童硏究 / 33
第三章 美的鑑賞能力の審査法 / 50
第四章 兒童の知覺及び觀察 / 84
第五章 兒童の形態識得に就いて / 100
第六章 兒童の色彩識別に就いて / 110
第七章 兒童の觀察力發達の階段 / 136
第八章 觀察力初發の時代 / 147
第九章 主觀的觀察の時代 / 155
第十章 分析的觀察の時代 / 180
第十一章 綜合的觀察の時代 / 202
第十二章 兒童の美的鑑賞の心理 / 218
第十三章 美的鑑賞力の發達硏究 / 229
第十四章 美的鑑賞力の發達階段 / 254
第十五章 兒童の圖畫描現の心理 / 266
第十六章 兒童畫發達の諸階段 / 275
第十七章 兒童の始源描畫時代 / 283
第十八章 兒童の觀念描畫時代 / 296
第十九章 兒童の自覺描畫時代 / 309
第二十章 兒童の再生描畫時代 / 317
第二十一章 兒童の描畫題材に就いて / 323
第二十二章 描畫題材の年齡的變化 / 339
第二十三章 人物畫に關する硏究 / 345
第二十四章 動物畫に關する硏究 / 358
第二十五章 植物畫に關する硏究 / 366
第二十六章 建築畫と器物畫の硏究 / 375
第二十七章 兒童畫の構成に就いて / 384
第二十八章 兒童畫の根本的型式 / 398
第二十九章 橫向型の描寫と人物畫 / 406
第三十章 造形藝術史上の描寫型 / 415
第三十一章 兒童畫の形象と誤寫 / 424
第三十二章 兒童の圖畫禀賦の分析 / 434
「(向野は)
美術教育史研究においては主に関衛(せきまもる、1889-1939)を研究してきました。
関衛は、日本の図画教育界で初めて児童画という言葉を用いた人です。日本児童の絵画を1万点以上収集して、日本児童の描画発達段階区分を明確にした人です。明治22年(1889)長崎県南高来郡小浜町富津で生まれ、明治45年(1921)長崎師範学校(現長崎大学教育学部)を本科第1部4回生として卒業しました。その後、島原半島の小学校を中心に10年間ほど教鞭を取り、大正13年(1924)より活水女子専門学校・活水女学校高等女学部(現活水学院)に勤務しました。昭和4年(1929)には東京へ出て著作活動に専念し、その間、制作活動も続け、中国旅行に出かけたりもしました。そして、昭和14年(1939)、図画教育に情熱を注ぎ続けたその生涯を49歳で終えました。心理学者であり、かつ児童研究に造旨の深かった関寛之(せきかんし*)と、児童文学者で、民俗学者でもある関敬吾(せきけいご)は彼の弟です。関衛の業績について精査した結果、生涯のうちに、32冊の著書と93編の論文をのこしました。これらは、大正年間に執筆されたにもかかわらず、現代にも通ずるような、新鮮な理論を我々に提示してくれます。 (*関寛之は正しくは、せきひろゆきではなく、せきかんしです)」(リンク切れ)