- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

長和島岡の旧北端部松永役場跡での土層状況

2018年11月24日 | 断想および雑談
赤線で囲んだ場所(西福山病院付属デイサービスセンター建設用地)での土層観察だ。行政区画では松永町と神村町の境部に当たり、すぐ横を悪水(千間)が通過(字「長和島ノ岡」)。住民の話では、この当たりの井戸水はカナ気が強かったようだ。塩気はとくに気にならなかったようだが、その点を口にする人もいた。石井四郎三郎が創業した赤壁酒場あたりも日本酒醸造には不適のカナケ水だった。
図書館のBlueMapで旧住居表示を見ていたら、何と・・・・・麻生という苗字が西川國臣屋敷に隣接してあり、かつ付近に麻生姓の家を何軒か見つけた。半信半疑で聴いていた私だが、やっと◆五〇氏の話(新築直後の麻生氏の居宅を祖父西川國臣が購入)していたことが理解できた感じ。西川の隣に駐車場をもつ麻生さんは亭主死亡で昔のことは不知(墓地は万福寺⇒高須屋麻生氏の一族であることを確認、本堂裏に麻生家墓地確認済み)。まあ、このお宅あたりは高須屋一族だろう。承天寺の寄付者芳名板では麻生次衛という人物が記載されているが・・・・。こちらと同姓同名者は東京武蔵星野在住。この辺で追跡はいったん休止




水田土壌の上に砂礫を含んだ石炭ガラ・灰で埋め立て宅地に転用していたらしい。








白いものは貝殻のカケラか?!


工事現場の松永村古図中での位置関係(×)。


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増訂(熊沢)蕃山全集

2018年11月24日 | 断想および雑談
第三巻『大学或問』が欠けているが、とりあえず熊沢蕃山研究の基本文献中の基本文献を入手した。
校訂者宮崎道生氏の教え子のひとりが持っていて今回じっくりと勉強する下地が整った。


宮崎は自分の研究対象とした新井白石と熊沢蕃山を文武に秀でた稀有の人物だと称賛する、ややエコひいきの激しい(=よく言えば惚れこみの激しい)この道(近世思想史)の大家だが、今日はとりあえず増訂(熊沢)蕃山全集の第七冊から着手することにした。









自白法鑑』理解(むろん理解不能を含む、その見極め)に役立ちそうな宮崎の記述がこれ
繋辞下伝』?
ということは・・・・・・
この第七冊を当面、読んでいくことになろう。断っておくが、わたしとしては本庄重政の思考回路(ピタゴラスや孔子同様に自然現象には驚異的なほど”数学的性質”を帯びるという事を薄々感じていたところがあり、1/2/3/4/5といった数字の中には完全性とか調和(本荘のいう「天の形」)が備わっていると考えていた。この種の前論理的or前科学的な思惟形態)の解明には興味があるが、「易経」とか易学自体にタッチする気は毛頭ない
熊沢蕃山の『民徳論』は『自白法鑑』(本荘重政 /憐情居士) 著、松永町青年会、明42.9、76p)風の易学的思考が全面展開するものだが、一言で言えばエラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731年12月12日 – 1802年4月18日)のscience的思考とart的思考とが同居状態の観相学的思考(physiognomy)以上に滑稽かつナンセンスな代物だ。
李, 瑩 「繫辞伝」における熊沢蕃山の易学思想,2017・・・・・読むだけ時間の無駄

水・器考
本庄重政の人間観


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名方平二さんのご先祖の墓地(=名方家墓地)

2018年11月17日 | 断想および雑談

名方さんのご子孫の方からご連絡を頂いたので、むかし調べた手持ちの情報のrepostをしておきたい。
屋敷は半世紀前までは旧西国街道=国道2号線沿いに残っていたが今は松永道路の道路敷として取り込まれ消滅。ただし、その痕跡は国土地理院の空中写真の中で追認出来る
名方(本姓は寺岡)氏の墓地(神村町4724番地の130㍍ほど西方の茂みの中)・・・福山市神村町・伊勢宮さんの神官家系.
名方という呼称は記紀に登場する「名方浜」の地名を松永湾の入江~伊勢宮地区の浜辺に比定する近世地誌学の説を苗字に取り入れたもので、本姓は寺岡。名方平二さんの家系は寺岡一族の本家筋に当たる。



名方家墓地の全景。現在は親戚の人が墓守をしている。寺岡氏は江戸時代以前までさかのぼれるこの地方ではとても古い家系だ。系図にはどのように記載されているのか不知ながら、毛利氏の家臣、尾道の渋谷家文書には「寺岡」の四郎左衛門という有力百姓の名前が登場し、この人物は伊勢宮関係の田圃の名請人なので、当時から神主系一族だったのだろう。現在この一族の分家筋には、ロイヤル自動車学校・寺岡有機など各種の企業体(ロイヤル・コーポレーション)を経営する寺岡氏がいる。


名方平二さんの兄弟のお墓。担一さんは潔比古の長男。庸さんは潔比古の5男。担一兄弟の時代に墓地をテラス状に整備したようだ。担一さんのお墓のすぐ上の段に弟庸夫婦墓がある。親類の人が常時清掃している感じで小ぎれいだ。


名方平二さんの父祖たちの墓石(神官墓)


我が国のコーヒー文化・喫茶店経営の先駆け:名方担一氏の墓石(手前下)


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松永史談会11月例会のご案内

2018年11月17日 | 松永史談会関係 告知板
松永史談会11月例会のご案内

日時:11月23日(勤労感謝の日)、午後1-3時(雨天決行)
集合場所:高諸神社境内北端=鳥居内の駐車場。
話題「地域史情報を総括ー今津編ー」
町内を2時間ほど巡検する(雨天の時は野外巡検は中止し、適当な室内での談話形式に変更)。



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