5月例会のご案内-第一報-
日程及び開催場所
5月27日(金曜日)、午前10-12時、開催場所:福山市今津町・薬師寺本堂
中世今津に存在した金剛寺(現在は廃寺)の本尊:如意輪観音像の拝観及び
「中世沼隈郡新庄今津における『弁財天女の霊廟』-薬師寺蔵今津金剛寺本尊如意輪観音像の拝観に事寄せて-」
広島県年表(1374-1600) 松永史談会「2021-11月例会レジュメ」④⑤に整理し掲載。
関連記事(松永史談会の研究成果公開分)❶/❷/❸
参考文献)備後国守護山名関係の事柄については岸田裕二『大名領国の経済構造』岩波、2001,及び岸田裕二『大名領国の構成的展開』,吉川弘文館、1983など。
【追記】
『沼隈郡誌』に天平6年6月と銘打った「剣大明神由来記」に「御山の内厳島弁財天とて石あり」(495頁)の記述。これについて昭和に入り神主を務めた金原氏はわざわざ拝殿の西北脇にそれらしい石組(金原さんは「青むしろ」か「?」の地方雑誌中の小論文の中で「磐座」)を新造し、そこは旧来より厳島(宮島さん///厳島のことを宮島と呼ぶのは明治以後、この時代には剣大明神境内の弁天岩を厳島弁財天だという認識が消滅していたことを示唆)と名付け云々と紹介していた。内容はfakeだったが、この厳島弁財天は石段脇の所謂「弁天岩(明治10年には元禄7年の石灯籠と一括して闇龗神社と命名)」を指す。この辺の口伝は戦前段階には神主さんたちの間でも不在だったのだろう。さらに『沼隈郡誌』掲載の伊藤梅宇撰文「剣大明神縁起」(496頁)にその霊験として「而して或いは龍女献燈の事あり」の一節を記述しているが、剣大明神境内にはそれとは別に厳島弁財天=龍女伝説が伏在していたことが判る。この辺のものは金剛寺本尊:如意輪観音像(像高さ50~70㎝程度のまことに小さなもの)関連の伝承だろうと思われる。剣大明神縁起とは別に、本社の境内地には金剛寺とリンクした如意輪観音-厳島弁財天‐龍女信仰が複合していた点が確かめられたように思う(2023年5月5日)。
日程及び開催場所
5月27日(金曜日)、午前10-12時、開催場所:福山市今津町・薬師寺本堂
中世今津に存在した金剛寺(現在は廃寺)の本尊:如意輪観音像の拝観及び
「中世沼隈郡新庄今津における『弁財天女の霊廟』-薬師寺蔵今津金剛寺本尊如意輪観音像の拝観に事寄せて-」
広島県年表(1374-1600) 松永史談会「2021-11月例会レジュメ」④⑤に整理し掲載。
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参考文献)備後国守護山名関係の事柄については岸田裕二『大名領国の経済構造』岩波、2001,及び岸田裕二『大名領国の構成的展開』,吉川弘文館、1983など。
【追記】
『沼隈郡誌』に天平6年6月と銘打った「剣大明神由来記」に「御山の内厳島弁財天とて石あり」(495頁)の記述。これについて昭和に入り神主を務めた金原氏はわざわざ拝殿の西北脇にそれらしい石組(金原さんは「青むしろ」か「?」の地方雑誌中の小論文の中で「磐座」)を新造し、そこは旧来より厳島(宮島さん///厳島のことを宮島と呼ぶのは明治以後、この時代には剣大明神境内の弁天岩を厳島弁財天だという認識が消滅していたことを示唆)と名付け云々と紹介していた。内容はfakeだったが、この厳島弁財天は石段脇の所謂「弁天岩(明治10年には元禄7年の石灯籠と一括して闇龗神社と命名)」を指す。この辺の口伝は戦前段階には神主さんたちの間でも不在だったのだろう。さらに『沼隈郡誌』掲載の伊藤梅宇撰文「剣大明神縁起」(496頁)にその霊験として「而して或いは龍女献燈の事あり」の一節を記述しているが、剣大明神境内にはそれとは別に厳島弁財天=龍女伝説が伏在していたことが判る。この辺のものは金剛寺本尊:如意輪観音像(像高さ50~70㎝程度のまことに小さなもの)関連の伝承だろうと思われる。剣大明神縁起とは別に、本社の境内地には金剛寺とリンクした如意輪観音-厳島弁財天‐龍女信仰が複合していた点が確かめられたように思う(2023年5月5日)。