

1485年8月22日にボズワースでの戦(有名な「バラ戦争」)にて戦死し、leicesterに埋葬。これによりヨークシャーに本拠をおくヨーク家は滅びる。リチャード三世の死後、ヘンリー・チューダー(ランカスター家)がヘンリー7世(エドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚してヨーク家と和解)に即位し、チューダー王朝(ヘンリー8世の娘:エリザベス一世に繋がる)を樹立することになる。
強欲なユダヤ人金貸し=ユダヤ商人シャイロック→ユダヤ人=悪徳商人のイメージもそうだったが、リチャード三世をテューダー朝の敵役として性格・容姿ともに稀代の奸物として描いたのは、かのシェークスピアだった。いやはや、いやはや。

"piteously slain fighting manfully ,in the thickest press of his enemies."は王の勇気をたたえ、死の無念さを悼む追悼文か→1と105を見よ。

リチャード三世のイングランド王在位期間:1483-85

James Walter Butler RA 制作リチャード三世像、1980年

2012年9月に英イングランド中部レスターの駐車場(旧教会跡)から発掘された500年前の男性の遺骨は、中世のイングランド国王リチャード3世(1452~1485)のものであることが2013年2月4日、確認された。レスター大学の考古学チームが、リチャード3世の姉Anne of Yorkの直系子孫2人(17世孫、カナダ生まれで現在ロンドン・パディントン在住の家具職人Michael Ibsen, 55・・・・彼の母親Joyさんは4年前に亡くなったが、20歳台にジャーナリストとして英国よりカナダに移住)のミトコンドリアDNAを用いて鑑定を行っていた、とか(yahoo記事に加筆)。
レスター市場の西方、大聖堂の目の前にある駐車場が発掘現場。レスターのGreyfriars地区。この地区は今世紀初めまでSt.Martin`s Ward(セント・マーティン町)と呼ばれていた地区にあたり、現在レスター大聖堂(かつてのセント・マーティン教会、中世には

大きな地図で見る


レスター
背骨が湾曲(脊椎側弯症?)し、頭蓋骨に刺し傷が・・・・
シェークスピアは王位を得るために、敵、兄、部下、妻、次々と殺していくグロスター公リチャード( のちのリチャード3世)が せむしで、チビで醜悪な容姿として形象化している訳だが、「せむし(脊椎後弯)の君主」というのはこれまで学会では否定されてきたことだが、どうも事実だったようだ。


レスター大学の発掘調査報告サイト
リチャード三世協会
English Heritage Battlefield Report: Bosworth 1485
The Tragedy of King Richard III
1904年のレスター古地図 図中の楕円マークが発掘地点(中世の聖フランシスコ修道院敷地)
