時間を変動・不動のうちの不動というか持続性という局面から形象化するとテンポとかDuration(期間、持続時間)という時間の形が浮かびあがってこよう。
例の本川 達雄:「ゾウの時間・ネズミの時間サイズの生物学 (中公新書)
スケーリングの話をここで展開する余裕はないがたとえばナノ秒~光年まで時間スケールにはかなり幅がある。
日本の説話の中には興味深い時間観念が語られる。
たとえば、お伽ばなしの『浦島太郎』の中ではこの世とあの世(竜宮城のある場所)との交通が話題とされ、この世とあの世(この場合はある種の神仙郷)との間には3年対300年程度の時間スケールの差があった。
『今昔物語集 巻16の17』には家の床下に住むキツネが化けた女との蜜月生活をおくる長者(地方の金持ちのおっさんこと賀陽良藤)の説話が登場するが、ここでは確か人間の世界での2週間程度の浮気期間が動物(キツネ)の世界では十数年程度の期間として語られていた。
今昔物語集 文献
今昔物語巻16
たくさんの類例をチェックする必要があるが、どうも前近代における日本人の文学的思惟の中には動物の世界・人間の世界・神の世界の3者間にはたとえば時計の秒針・分針・時針のようなテンポのことなる複数の時間スケールが存在したようだ。
つまり動物の世界では「移ろい行く季節」は秒針の動きのようにせわしなく変化する。それに対して竜宮城のある神仙の世界では時間が相当の長周期で、時針のごとく、ゆっくりと経過していく。そういう意味ではここには”悠久の時”があったのだろう。
そういう思惟の仕方をすると、この世の「樹齢300年」は神仙の世界の高々樹齢3年程度に収まってしまうものなのだろ。
哲学的には時間論はベルグソンに始まるようだが、普通はベルグソンって全く知らないか、知っていたとしても、私がそうであったように、その内容にまで立ち入って知る人は少ないのではあるまいか。身近なところでは『「いき」の構造』という著書で知られる哲学者九鬼周造の現象学的「時間論」というのもあるらしい。こちらがその紹介サイト。九鬼の論文?
私の場合は『「いき」の構造』という本で(分析的ではあるが論理的な掘り下げ不足に)懲りたので、この人のものはかなり前に卒業。
下の写真は複数の時間性(週末というweeklyな時間性、昼下がり否朝方というdailyな時間、親子という世代間の生活時間・動物園に類人猿を閉じ込めそれを人が眺めるという図式が完成する世界時間中の「近代」(歴史学が問題とする時間)そしてサルとヒトとの間の進化論上の時間性)を含んだなかなか面白い写真だと思う。(季節性:春夏秋冬or 乾期雨期等は服装・樹木の状態から推測可能)
参考資料 今昔物語集巻16の第17話
「備中国の賀陽の良藤、狐の夫となりて観音の助けを得たる語(備中國賀陽良藤、為狐夫得観音助語)」
今は昔、備中国賀陽郡葦守の郷に賀陽の良藤という裕福な両替商がいた。
寛平8(896)年の秋のこと。妻が京に出かけ、そのあいだ良藤はひとり、屋敷で過ごしていた。ある日の暮方のこと、散歩をしていると見かけない美麗な娘を見かけた。欲をおこして良藤が近づこうとすると、娘は逃げるふうだったので駆け寄って捕まえた。良藤は「あなたはどのような人ですか?」と問う。
「どうという者ではありません」
そう応えた娘は可憐であった。良藤は屋敷に誘ったが拒むので、「ならあなたのところについて行くよ」と、ついていくと案外近くに瀟洒な家があった。家内には人も抱えていて、「お戻りになられました」と慌しい。良藤はこんな屋敷の娘なのかと嬉しくなり、その夜は娘と通じた。
あくる朝、家の主人に挨拶をした良藤は娘に心が移り、ここに寝起きするようになり、もとの家のこと、子供らのことを思い出さなくなった。
元の屋敷では戻らない主を、「またどこかに言ってしまった」などと言い合っていた。ところが今回は普段着で出たのがいつまでも帰らない。ほうぼう捜したが分からない。
良藤のほうでは年月が去り、妻は懐妊し子が生まれ、情は益々深まって満ち足りた日々が過ぎていた。
元の屋敷では良藤の兄弟や子が集まり、もはや屍すら求め得ないと嘆きながら、良藤の背丈と同じ十一面観音像を造立し、日々に後世をとぶらっていた。
あるとき良藤のほうに、杖をついた男が訪ねてきた。すると家人はこの男を激しく恐れ、ちりぢりに逃げてしまった。男は良藤の背を杖の先で突き、どこか狭いところから良藤を引っ張り出した。
元の屋敷では、人々が悲しんでいた。すると庭先の蔵の影から黒い猿のような人影が這い出してきた。「何だ何だ」とはやし立てると「私だ」という。良藤である。父の声を認めた息子が良藤に何があったかを問うた。
「妻の留守に浮気心を起こして、行った先で暮らしていた。かわいい息子も生まれて……」
良藤はこれまでの日々のことを告白し「その子を世継ぎにしたいのだ」とまで言う。そうは言われても息子は不審である。というのも、良藤が失踪してから13日しか経っていない。「その子はどこにいるのですか」と問えば蔵のほうを指差した。兄弟をはじめ家人らは奇異に感じて、良藤の様子を眺めたが、病人のように痩せ、衣類は失踪のときのままである。蔵の下を確かめさせたところ、多くの狐が逃げて行った。その逃げた跡を見ると良藤が伏せていた形跡がある。
「これは良藤が狐に謀られてのことではないか」
家の者らは事態を知って、僧をよび祈らせ、陰陽師に祓わせ、何度も沐浴させたが昔の通りではない風情であった。
後に良藤は正気を取り戻したが、彼は13日を13年として暮らしていて、蔵の下はわずか四・五寸であったが広い屋敷だと思っていた。これは霊狐の徳(※)である。杖をもった男というのは十一面観音の化身であったのだろう。
されば世の人々は専ら観音を念じ奉ることである。その後、良藤はつつがなく、六十一まで生きた。この話は三善の清行の宰相が備中守であったとき、伝えられていた話を聞き、語り継いだものである。
*この説話に関しては所功『三善清行』、吉川弘文館、人物叢書、平成元年、41-70頁(第四 備中転出)が三善「意見封事十二箇条」の並びで、説話の裏を読む内容にちょっと注目。
最近(2024年10月)文献探していてこんな記事発見:近藤良樹さんの「異時間を語る者と、語らない者」と題するBlog記事。近藤さんには「浦島太郎の時間感覚」、広島大学文学部紀要 60 巻 75-92 頁 2000-12-27 発行というものがある。一応目を通してみたが・・・・、近藤さんの合理的な知の地平が出すぎ、異文化理解というか異時代のfolkloreを視野に入れるという面でのセンスが欠落。近藤さんwrote「これに類似した話を陶潜の『捜神後記』は、いくつかあげている。しかし、いずれも、『幽明録』のような、帰郷してみたら膨大な時間が過ぎていて七代後の時代になっていたというような浦島的な時間的異常性については、これを述べることがない。そのなかで一番『捜神後記』で有名なのが、「桃花源記」である。桃の花のさきほこる渓谷をさかのぼって、山中の洞窟にはいり、そのさきに別世界を、のどかな桃源郷を見いだした。そこの住人は、秦の時代に世を避けてこの桃源郷に住みつき隔絶して、漢、魏、晋の時代を知ることなく平和に暮らしているのだった。しばらくそこにいて帰った。再び行こうとしたが、行き方がわからなくなっていたという話である。もちろん、行き来に際しての時間的な異常さは、言われることがない。」、「この行き先が判らなくなっていた」というのは桃源郷にいったこと自体が、すでにその人にとっては遠い過去の出来事となってしまっていたからに外ならず、この辺の同氏の洞察力不足(or 突飛な解釈を連発すること)が響いて、哲学者九鬼の足元に遠く及ばぬ、普通に残念な内容(=駄作)。
【メモ】◎霊験
神仏などの超自然的存在が人間の求めに応じてその力を発揮し,ふしぎな現象を出現させること。
奇跡とほぼ同じ意味をもつが,奇跡がキリスト教的世界で使用されることが多いのに対し,日本では霊験と称されることが一般的である。
霊験は人々の多様な願いによってさまざまな形をとって現れるが,全体としては現世利益(げんぜりやく)に中心がおかれており,人々の求める内容によって,平穏無事な日常生活を維持し,より高レベルの生活をめざす場合と,現実に起こった不幸や災厄を回復させる場合とに分けることができ,前者は予防・事前の請願,後者を対病・事後の請願と称することができる。
出典 株式会社平凡社
◎「いわしの頭も信心から」という諺(ことわざ)があります。
節分の夜に、いわしの頭を柊の枝にさして、門前に置くと、悪鬼(あっき)が退散するという風習があったことから、言われた諺です。
鰯の頭のようにつまらぬものでも、信仰する人には、霊験(れいけん)を感ずるようになるというのです。
これは、自分の心が迷っていることに気づかぬのが原因。
例の本川 達雄:「ゾウの時間・ネズミの時間サイズの生物学 (中公新書)
スケーリングの話をここで展開する余裕はないがたとえばナノ秒~光年まで時間スケールにはかなり幅がある。
日本の説話の中には興味深い時間観念が語られる。
たとえば、お伽ばなしの『浦島太郎』の中ではこの世とあの世(竜宮城のある場所)との交通が話題とされ、この世とあの世(この場合はある種の神仙郷)との間には3年対300年程度の時間スケールの差があった。
『今昔物語集 巻16の17』には家の床下に住むキツネが化けた女との蜜月生活をおくる長者(地方の金持ちのおっさんこと賀陽良藤)の説話が登場するが、ここでは確か人間の世界での2週間程度の浮気期間が動物(キツネ)の世界では十数年程度の期間として語られていた。
今昔物語集 文献
今昔物語巻16
たくさんの類例をチェックする必要があるが、どうも前近代における日本人の文学的思惟の中には動物の世界・人間の世界・神の世界の3者間にはたとえば時計の秒針・分針・時針のようなテンポのことなる複数の時間スケールが存在したようだ。
つまり動物の世界では「移ろい行く季節」は秒針の動きのようにせわしなく変化する。それに対して竜宮城のある神仙の世界では時間が相当の長周期で、時針のごとく、ゆっくりと経過していく。そういう意味ではここには”悠久の時”があったのだろう。
そういう思惟の仕方をすると、この世の「樹齢300年」は神仙の世界の高々樹齢3年程度に収まってしまうものなのだろ。
哲学的には時間論はベルグソンに始まるようだが、普通はベルグソンって全く知らないか、知っていたとしても、私がそうであったように、その内容にまで立ち入って知る人は少ないのではあるまいか。身近なところでは『「いき」の構造』という著書で知られる哲学者九鬼周造の現象学的「時間論」というのもあるらしい。こちらがその紹介サイト。九鬼の論文?
私の場合は『「いき」の構造』という本で(分析的ではあるが論理的な掘り下げ不足に)懲りたので、この人のものはかなり前に卒業。
下の写真は複数の時間性(週末というweeklyな時間性、昼下がり否朝方というdailyな時間、親子という世代間の生活時間・動物園に類人猿を閉じ込めそれを人が眺めるという図式が完成する世界時間中の「近代」(歴史学が問題とする時間)そしてサルとヒトとの間の進化論上の時間性)を含んだなかなか面白い写真だと思う。(季節性:春夏秋冬or 乾期雨期等は服装・樹木の状態から推測可能)
参考資料 今昔物語集巻16の第17話
「備中国の賀陽の良藤、狐の夫となりて観音の助けを得たる語(備中國賀陽良藤、為狐夫得観音助語)」
今は昔、備中国賀陽郡葦守の郷に賀陽の良藤という裕福な両替商がいた。
寛平8(896)年の秋のこと。妻が京に出かけ、そのあいだ良藤はひとり、屋敷で過ごしていた。ある日の暮方のこと、散歩をしていると見かけない美麗な娘を見かけた。欲をおこして良藤が近づこうとすると、娘は逃げるふうだったので駆け寄って捕まえた。良藤は「あなたはどのような人ですか?」と問う。
「どうという者ではありません」
そう応えた娘は可憐であった。良藤は屋敷に誘ったが拒むので、「ならあなたのところについて行くよ」と、ついていくと案外近くに瀟洒な家があった。家内には人も抱えていて、「お戻りになられました」と慌しい。良藤はこんな屋敷の娘なのかと嬉しくなり、その夜は娘と通じた。
あくる朝、家の主人に挨拶をした良藤は娘に心が移り、ここに寝起きするようになり、もとの家のこと、子供らのことを思い出さなくなった。
元の屋敷では戻らない主を、「またどこかに言ってしまった」などと言い合っていた。ところが今回は普段着で出たのがいつまでも帰らない。ほうぼう捜したが分からない。
良藤のほうでは年月が去り、妻は懐妊し子が生まれ、情は益々深まって満ち足りた日々が過ぎていた。
元の屋敷では良藤の兄弟や子が集まり、もはや屍すら求め得ないと嘆きながら、良藤の背丈と同じ十一面観音像を造立し、日々に後世をとぶらっていた。
あるとき良藤のほうに、杖をついた男が訪ねてきた。すると家人はこの男を激しく恐れ、ちりぢりに逃げてしまった。男は良藤の背を杖の先で突き、どこか狭いところから良藤を引っ張り出した。
元の屋敷では、人々が悲しんでいた。すると庭先の蔵の影から黒い猿のような人影が這い出してきた。「何だ何だ」とはやし立てると「私だ」という。良藤である。父の声を認めた息子が良藤に何があったかを問うた。
「妻の留守に浮気心を起こして、行った先で暮らしていた。かわいい息子も生まれて……」
良藤はこれまでの日々のことを告白し「その子を世継ぎにしたいのだ」とまで言う。そうは言われても息子は不審である。というのも、良藤が失踪してから13日しか経っていない。「その子はどこにいるのですか」と問えば蔵のほうを指差した。兄弟をはじめ家人らは奇異に感じて、良藤の様子を眺めたが、病人のように痩せ、衣類は失踪のときのままである。蔵の下を確かめさせたところ、多くの狐が逃げて行った。その逃げた跡を見ると良藤が伏せていた形跡がある。
「これは良藤が狐に謀られてのことではないか」
家の者らは事態を知って、僧をよび祈らせ、陰陽師に祓わせ、何度も沐浴させたが昔の通りではない風情であった。
後に良藤は正気を取り戻したが、彼は13日を13年として暮らしていて、蔵の下はわずか四・五寸であったが広い屋敷だと思っていた。これは霊狐の徳(※)である。杖をもった男というのは十一面観音の化身であったのだろう。
されば世の人々は専ら観音を念じ奉ることである。その後、良藤はつつがなく、六十一まで生きた。この話は三善の清行の宰相が備中守であったとき、伝えられていた話を聞き、語り継いだものである。
*この説話に関しては所功『三善清行』、吉川弘文館、人物叢書、平成元年、41-70頁(第四 備中転出)が三善「意見封事十二箇条」の並びで、説話の裏を読む内容にちょっと注目。
最近(2024年10月)文献探していてこんな記事発見:近藤良樹さんの「異時間を語る者と、語らない者」と題するBlog記事。近藤さんには「浦島太郎の時間感覚」、広島大学文学部紀要 60 巻 75-92 頁 2000-12-27 発行というものがある。一応目を通してみたが・・・・、近藤さんの合理的な知の地平が出すぎ、異文化理解というか異時代のfolkloreを視野に入れるという面でのセンスが欠落。近藤さんwrote「これに類似した話を陶潜の『捜神後記』は、いくつかあげている。しかし、いずれも、『幽明録』のような、帰郷してみたら膨大な時間が過ぎていて七代後の時代になっていたというような浦島的な時間的異常性については、これを述べることがない。そのなかで一番『捜神後記』で有名なのが、「桃花源記」である。桃の花のさきほこる渓谷をさかのぼって、山中の洞窟にはいり、そのさきに別世界を、のどかな桃源郷を見いだした。そこの住人は、秦の時代に世を避けてこの桃源郷に住みつき隔絶して、漢、魏、晋の時代を知ることなく平和に暮らしているのだった。しばらくそこにいて帰った。再び行こうとしたが、行き方がわからなくなっていたという話である。もちろん、行き来に際しての時間的な異常さは、言われることがない。」、「この行き先が判らなくなっていた」というのは桃源郷にいったこと自体が、すでにその人にとっては遠い過去の出来事となってしまっていたからに外ならず、この辺の同氏の洞察力不足(or 突飛な解釈を連発すること)が響いて、哲学者九鬼の足元に遠く及ばぬ、普通に残念な内容(=駄作)。
【メモ】◎霊験
神仏などの超自然的存在が人間の求めに応じてその力を発揮し,ふしぎな現象を出現させること。
奇跡とほぼ同じ意味をもつが,奇跡がキリスト教的世界で使用されることが多いのに対し,日本では霊験と称されることが一般的である。
霊験は人々の多様な願いによってさまざまな形をとって現れるが,全体としては現世利益(げんぜりやく)に中心がおかれており,人々の求める内容によって,平穏無事な日常生活を維持し,より高レベルの生活をめざす場合と,現実に起こった不幸や災厄を回復させる場合とに分けることができ,前者は予防・事前の請願,後者を対病・事後の請願と称することができる。
出典 株式会社平凡社
◎「いわしの頭も信心から」という諺(ことわざ)があります。
節分の夜に、いわしの頭を柊の枝にさして、門前に置くと、悪鬼(あっき)が退散するという風習があったことから、言われた諺です。
鰯の頭のようにつまらぬものでも、信仰する人には、霊験(れいけん)を感ずるようになるというのです。
これは、自分の心が迷っていることに気づかぬのが原因。