サムエル記下2章
27節「ヨアブは答えた。『神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。』」(新共同訳)
1節「その後ダビデは主に託宣を求めて言った。『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた。『上れ』。更にダビデは尋ねた。『どこへ上ればよいのでしょうか。』『ヘブロンへ』と主はお答えになった」。小見出し「ダビデユダの王となる」。ダビデは二度の神託を受けて、ヘブロンに家族と共に移る。ユダの人々はそこに来てダビデに油を注ぎ、ユダの家の王にした(2~4節)。直ちに使者をギレアドのヤベシュの許に送り、「主君サウルに忠実を尽くした」ことを褒め、その働きに報いたいと告げ、一層勇敢に戦うようにと伝え、またユダの家がサウルの後継者としてダビデに油を注いで王についたと言った(5~7)。この挨拶は、対ペリシテ戦に敗れ逃走したイスラエルの人々と友好関係を結ぼうとしたのかも知れない。
8節「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り~」。しかし結果はその反対になり、サウルの司令官アブネルは、参戦しなかったイシュ・ボシェトを擁立しマハナイムでイスラエルの王にした。彼は四十歳で、二年間王位にあった。しかしユダの家はダビデに従い七年六ヵ月間、彼は王位にあった(9~11節)。アブネルはサウルとは父が兄弟で、従兄弟の関係であった(14章50~51節)。アブネルはイシュ・ポシェトの家臣と共にギブオンに向かい、一方ヨアブとダビデの家臣もギブオンの池で出会い、池のこちら側とあちら側で十二人の若者を立てて勝負をさせることになった(12~14節)。格闘技だろうが、しかし剣で脇腹を突き刺し、相討ちになってしまう(15~16節)。
17節「その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。その後両軍は激しい戦闘になり、ダビデの家臣に打ち負かされたイスラエル兵士は逃走する。ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わり、逃げるアブネルをアサエルが追跡する(18~19節)。
20節「アブネルは振り向いて言った。『お前はアサエルだな。』『そうだ』と彼は答えた」。アブネルは彼に右か左にそれて若者を捕まえたらどうかといったが、聞かないでアブネルを追って離れなかった。お前を打ち倒したら兄ヨアブに顔向けできないと言ったが、離れなかったので、アブネルはついにアサエルを槍で突き倒れて死んだ(21~23節)。彼は栄誉心からか、猪突猛進だったのだろう。
24節「ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた」。ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となり、丘の上に留まった。アブネルはヨアブにこの無益な戦闘を止めにしようと提案し、ヨアブはこれに同意し、角笛を吹いて追跡を止めることになった(25~26節)。この提案をヨアブは神の計らいだと言っている(27節)。アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた(28~29節)。一方ヨアブも兵士の数を調べ家臣十九人とアサエルが欠けていることが判り、彼をベツレヘムに運んで葬り、夜通し歩いて明け方へブロンに帰った。この時ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵三百六十人を打ち殺したという(30~32節)。 同族同志の争いは、決してよい結果をもたらさない。アサエルをアブネルが殺したことは、尾を引くことにな
27節「ヨアブは答えた。『神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。』」(新共同訳)
1節「その後ダビデは主に託宣を求めて言った。『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた。『上れ』。更にダビデは尋ねた。『どこへ上ればよいのでしょうか。』『ヘブロンへ』と主はお答えになった」。小見出し「ダビデユダの王となる」。ダビデは二度の神託を受けて、ヘブロンに家族と共に移る。ユダの人々はそこに来てダビデに油を注ぎ、ユダの家の王にした(2~4節)。直ちに使者をギレアドのヤベシュの許に送り、「主君サウルに忠実を尽くした」ことを褒め、その働きに報いたいと告げ、一層勇敢に戦うようにと伝え、またユダの家がサウルの後継者としてダビデに油を注いで王についたと言った(5~7)。この挨拶は、対ペリシテ戦に敗れ逃走したイスラエルの人々と友好関係を結ぼうとしたのかも知れない。
8節「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り~」。しかし結果はその反対になり、サウルの司令官アブネルは、参戦しなかったイシュ・ボシェトを擁立しマハナイムでイスラエルの王にした。彼は四十歳で、二年間王位にあった。しかしユダの家はダビデに従い七年六ヵ月間、彼は王位にあった(9~11節)。アブネルはサウルとは父が兄弟で、従兄弟の関係であった(14章50~51節)。アブネルはイシュ・ポシェトの家臣と共にギブオンに向かい、一方ヨアブとダビデの家臣もギブオンの池で出会い、池のこちら側とあちら側で十二人の若者を立てて勝負をさせることになった(12~14節)。格闘技だろうが、しかし剣で脇腹を突き刺し、相討ちになってしまう(15~16節)。
17節「その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。その後両軍は激しい戦闘になり、ダビデの家臣に打ち負かされたイスラエル兵士は逃走する。ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わり、逃げるアブネルをアサエルが追跡する(18~19節)。
20節「アブネルは振り向いて言った。『お前はアサエルだな。』『そうだ』と彼は答えた」。アブネルは彼に右か左にそれて若者を捕まえたらどうかといったが、聞かないでアブネルを追って離れなかった。お前を打ち倒したら兄ヨアブに顔向けできないと言ったが、離れなかったので、アブネルはついにアサエルを槍で突き倒れて死んだ(21~23節)。彼は栄誉心からか、猪突猛進だったのだろう。
24節「ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた」。ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となり、丘の上に留まった。アブネルはヨアブにこの無益な戦闘を止めにしようと提案し、ヨアブはこれに同意し、角笛を吹いて追跡を止めることになった(25~26節)。この提案をヨアブは神の計らいだと言っている(27節)。アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた(28~29節)。一方ヨアブも兵士の数を調べ家臣十九人とアサエルが欠けていることが判り、彼をベツレヘムに運んで葬り、夜通し歩いて明け方へブロンに帰った。この時ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵三百六十人を打ち殺したという(30~32節)。 同族同志の争いは、決してよい結果をもたらさない。アサエルをアブネルが殺したことは、尾を引くことにな