サムエル記下21章
17節「しかし、ツェルヤの子アビシャイは、ダビデを助けてこのペリシテ人を打ち殺した。それ以来、ダビデの家来たちはダビデに誓わせた。「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」(新共同訳)
1節「ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」小見出し「飢饉とサウルの子孫」。ダビデは三年続いた飢饉のために主に託宣を求めところ、その原因がサウルによるギブオン人の殺害により、契約を破ったことにあるという。それはヨシユアとイスラエルがカナン侵入の時に結んだ講和協定であった。その時この契約によって絶滅を免れた(ヨシュア記9章see)。ダビデはギブオン人にサウルの違反に対し謝罪と賠償提案をする。彼らの回答はサウルの子孫七人をさらし首にすることであった(3~6節)。
これはダビデの王位を確実にする事柄であるが、彼はサウルとは対照的に契約を守ろうとしている。それはヨナタンとの誓い(サムエル上20章12~17節、同下9章3~8節)を守ることであった(7節)。
8節「王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ~」。人身御供といえる悲惨な話である。二人の息子を殺されるリツパの名は3章7節に、またミカルはサムエル上17章:25、18章:17~18節にある。リツパは岩の上に晒されたわが子の遺体を昼は禿たか、夜は野獣の襲うのを、身をもって守った。これを聞いたダビデは母の情愛に感じ丁重に遺体を葬った(10~11節)。またギレアドのヤベシにあったサウルとヨナタンの遺骨(サムエル上31章11~13節)も一緒に、サウルの父キシュの墓に埋葬し、これらの一連の行為でイスラエルは飢饉から免れた。この後、「神はこの国の祈りに応えられた」とある(14節)。
15節「ペリシテ人は再びイスラエルと戦った。ダビデは家臣を率いて出陣し、ペリシテと戦ったが、ダビデは疲れていた」。対ペリシテ戦でダビデは家臣を連れて出陣したが、疲れた指揮官にはかつての勇姿はなく老いた王であったことを伺わせる。この時の相手はラファの子孫でイシュビ・ベノアという怪力の兵士との対戦であったが、アビシャイの助太刀で倒すことができた。このことがあってから彼の家来たちは「イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」と告げ、前戦には出陣しないことを誓わせている(16~17節)。この後もペリシテとの対戦があったが、フシャ人シベカイがサフを、ベツレヘム出身のエルハナンがガド人ゴリアトを、そしてダビデの兄弟シアムの子ヨナタンがラファの子孫で手足の指六本もつ巨人を打ち殺したとある(18~22節)。
三人目のエルハナンがガド人ゴリアトを討ち取ったとあるが、「エルハナン」はダビデのアラム語訳で、サムエル記17章に出て来る「ダビデ・ゴリアテ対決」の転用と言われる。しかし同名別人と説くこともできる。新改訳では「ゴリアトの兄弟ラフミ」としている。ここは、ダビデの臣下が対ペリシテ戦で立てた武勲を表わしたものである(22節)。
神がイスラエルの王と民に求められているのは、慈しみ(ヘセド)とまこと(エ
ムナー)であることを忘れてはならない(詩89篇2~3節)。
17節「しかし、ツェルヤの子アビシャイは、ダビデを助けてこのペリシテ人を打ち殺した。それ以来、ダビデの家来たちはダビデに誓わせた。「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」(新共同訳)
1節「ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。ダビデは主に託宣を求めた。主は言われた。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」小見出し「飢饉とサウルの子孫」。ダビデは三年続いた飢饉のために主に託宣を求めところ、その原因がサウルによるギブオン人の殺害により、契約を破ったことにあるという。それはヨシユアとイスラエルがカナン侵入の時に結んだ講和協定であった。その時この契約によって絶滅を免れた(ヨシュア記9章see)。ダビデはギブオン人にサウルの違反に対し謝罪と賠償提案をする。彼らの回答はサウルの子孫七人をさらし首にすることであった(3~6節)。
これはダビデの王位を確実にする事柄であるが、彼はサウルとは対照的に契約を守ろうとしている。それはヨナタンとの誓い(サムエル上20章12~17節、同下9章3~8節)を守ることであった(7節)。
8節「王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ~」。人身御供といえる悲惨な話である。二人の息子を殺されるリツパの名は3章7節に、またミカルはサムエル上17章:25、18章:17~18節にある。リツパは岩の上に晒されたわが子の遺体を昼は禿たか、夜は野獣の襲うのを、身をもって守った。これを聞いたダビデは母の情愛に感じ丁重に遺体を葬った(10~11節)。またギレアドのヤベシにあったサウルとヨナタンの遺骨(サムエル上31章11~13節)も一緒に、サウルの父キシュの墓に埋葬し、これらの一連の行為でイスラエルは飢饉から免れた。この後、「神はこの国の祈りに応えられた」とある(14節)。
15節「ペリシテ人は再びイスラエルと戦った。ダビデは家臣を率いて出陣し、ペリシテと戦ったが、ダビデは疲れていた」。対ペリシテ戦でダビデは家臣を連れて出陣したが、疲れた指揮官にはかつての勇姿はなく老いた王であったことを伺わせる。この時の相手はラファの子孫でイシュビ・ベノアという怪力の兵士との対戦であったが、アビシャイの助太刀で倒すことができた。このことがあってから彼の家来たちは「イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」と告げ、前戦には出陣しないことを誓わせている(16~17節)。この後もペリシテとの対戦があったが、フシャ人シベカイがサフを、ベツレヘム出身のエルハナンがガド人ゴリアトを、そしてダビデの兄弟シアムの子ヨナタンがラファの子孫で手足の指六本もつ巨人を打ち殺したとある(18~22節)。
三人目のエルハナンがガド人ゴリアトを討ち取ったとあるが、「エルハナン」はダビデのアラム語訳で、サムエル記17章に出て来る「ダビデ・ゴリアテ対決」の転用と言われる。しかし同名別人と説くこともできる。新改訳では「ゴリアトの兄弟ラフミ」としている。ここは、ダビデの臣下が対ペリシテ戦で立てた武勲を表わしたものである(22節)。
神がイスラエルの王と民に求められているのは、慈しみ(ヘセド)とまこと(エ
ムナー)であることを忘れてはならない(詩89篇2~3節)。