日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

「直ちに逃れよう」

2018-05-22 | Weblog
 サムエル記下15章

 14節「ダビデは、自分と共にエルサレムにいる家臣全員に言った。「直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない…」(新共同訳)。

 1節「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」小見出し「アブサロムの反逆」。反逆は15~19章までの長い物語となっている。ダビデの王位継承者アムノンの死後、実権を握ろうとしたアブサロムは王に疎遠されていたことへの不満と反発となり、巧妙な謀反の企てとなって表われた。先ず身辺を武器と傭兵で固め、城門への道の傍らに立って、王の裁定を求めてくる者らを、先に立ち会って彼が裁定をくだしたのである(2~3節)。申し立てに正しく弁護をするが、あの王の下では聞いてくれる人はいない、自分の方が有能だと誇示した(3~4節)。父王を「あの王」と呼んでいる。裁定を求めてくるイスラエルの民すべてに手を差しのべ、抱いて口づけし、イスラエルの人々の心を盗み取った(6節)。四十歳になった時(口語訳四年後である)、彼は王に忠誠を尽くす誓願をヘブロンで果たしたいと申し出た。この偽りをダビデは見抜けなかった(7~9節)。
 10節「アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り、角笛の音を合図に、『アブサロムがヘブロンで王となった』と言うように命じた」。更にダビデの顧問アヒトフェルを懐柔して迎え入れ、陰謀をかため、イスラエル人の心はアブサロムの許に移って民の数は次第に増した(12~13節)。この事態の深刻さを察知したダビデと家臣はエルサレムから直ちに逃れることになった。ダビデは流血を避けようとしたからである。王宮の者もみな彼に従ったが、王は王宮を守らせるため十人の側女を残した。これは後で問題になる(14~16節)。行動をともにしたのは家臣の他にクレタ人とペレティ人全員、ガトから来た六百のガド人だった(18節)。ガド人イタイに亡命者の身分だから行動を共にする要はないと告げたが、彼は「主は生きておられる」ので行動をともにしたいと申し出て、全員がダビデに従った(19~23節)。
 24節「ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ており、兵士全員が都を去るまで神の箱を降ろしていた。アビアタルも来ていた」。小見出し「ツァドク、アビアタルと神の箱庭」 ダビデは祭司ツャドクに、主の御心に適うならわたしを連れもされると言い、息子アヒマアツとアビアタルの子ヨナタンを連れて神の箱を都に戻すようにと告げた(25~29節)。
 30節「ダビデは頭を覆い、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上って行った。同行した兵士たちも皆、それぞれ頭を覆い、泣きながら上って行った」。肉親に裏切られ、王宮を追われてエルサレムを離れ、泣きながらオリーブ山の坂道を上って行くダビデの苦悩と悲しみが伝わってくる場面である。この逃亡の最中にアヒトフェル陰謀の情報がダビデの耳に入り神に祈るほかなかった(31節)。
32節「神を礼拝する頂上の場所に着くと、アルキ人フシャイがダビデを迎えた。上着は裂け、頭に土をかぶっていた」。逃亡の列に加わろうとしたフシャイに対してダビデは体の不自由な彼には、都に戻り、アブサロムに仕え、アヒトフェルの陰謀を覆し、その情報をツァドクとアビアタルに伝え、二人の息子から王のもとに届けるようにと依頼して都に帰した(33~37節)。
 キリスト者の生涯にもこの様な経験に出会うことがある。順風満帆の日々でなく、身近な者との確執と苦難に出合い悲しい経験をすることも少なくない。そのような時に示されるのは詩119篇71節「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」である。