サムエル記下5章
25節「ダビデは主の命じられたとおりに行動し、ゲバからゲゼルに至るまで、ペリシテ人を討ち滅ぼした」(新共同訳)
1節「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です」。イスラエルの諸部族がダビデの許に訪ねてきて、指導者としての就任を要請した。「イスラエルの進退の指揮をとっていた」は「~連れ出す、導き出す、出て行く」の意訳で口語訳「~率いて出入りされました」、新改訳「~動かしていた」のほうが適訳である。それは羊の群れを牧する指導者ということである。イスラエルの長老たち全員がダビデの許に来て、契約を結んで王位に就く油注ぎの儀式を行なった(2~3節)。契約ということは専制君主でないことを示す。彼の死後王位を継承したソロモンまで統一国家は続いたが、再び南北に分離することになってしまう。「油注ぎ」はユダの家の王の時(2章4節)とは別個であることを示している。かくして彼は三十歳で王となり、ユダの王七年を加えると40年間南北を統治したのである(5節)。
6節「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い…「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも~」。地理的に相応しい町として、エブス人が都市国家の中心にしていたシオンの要害を選んだ。東西南に谷のある丘で難攻不落といわれていた。これを水汲みのために造られたトンネルから入って占領した(7~8節)。この水路は1867年に発見され、エルサレム旅行ではこの水路のトンネルを抜ける実体験が出来る。
9節「ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた」。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられたとある。ティルスの王ヒラムは使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送り王宮を建てた。王権は揺るぎないものとなった(10~12節)。
13節「ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた」小見出し「エルサレムで生れたダビデの子供」
17節「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た」小見出し「ダビデ、ペリシテ人を破る」は以前のダビデでないことを耳に、彼の命をねらった。そして南北分断をはかって、レファイムの谷に陣を張り攻撃してきた。この時ダビデは主の託宣を求めその指示通り、実行して勝利を得た(18~19節)。更にバアル・ペツライムに攻め上り彼らを討ち滅ぼした。この場所がバアル・ペツライム(敗れ目の主)と呼ばれることになった(20~21節)
22節「ペリシテ人は再び攻め上り、レファイムの谷に陣を広げた」。再び攻撃してきたぺリシテ軍に対して、主の託宣を求めて攻撃方法を示され、命じられた通り攻めて敵陣を討ち滅ぼすことが出来た(23~25節)。
本章から示されるのは「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」こと(10節)「主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」(12節)である。
25節「ダビデは主の命じられたとおりに行動し、ゲバからゲゼルに至るまで、ペリシテ人を討ち滅ぼした」(新共同訳)
1節「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です」。イスラエルの諸部族がダビデの許に訪ねてきて、指導者としての就任を要請した。「イスラエルの進退の指揮をとっていた」は「~連れ出す、導き出す、出て行く」の意訳で口語訳「~率いて出入りされました」、新改訳「~動かしていた」のほうが適訳である。それは羊の群れを牧する指導者ということである。イスラエルの長老たち全員がダビデの許に来て、契約を結んで王位に就く油注ぎの儀式を行なった(2~3節)。契約ということは専制君主でないことを示す。彼の死後王位を継承したソロモンまで統一国家は続いたが、再び南北に分離することになってしまう。「油注ぎ」はユダの家の王の時(2章4節)とは別個であることを示している。かくして彼は三十歳で王となり、ユダの王七年を加えると40年間南北を統治したのである(5節)。
6節「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い…「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも~」。地理的に相応しい町として、エブス人が都市国家の中心にしていたシオンの要害を選んだ。東西南に谷のある丘で難攻不落といわれていた。これを水汲みのために造られたトンネルから入って占領した(7~8節)。この水路は1867年に発見され、エルサレム旅行ではこの水路のトンネルを抜ける実体験が出来る。
9節「ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた」。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられたとある。ティルスの王ヒラムは使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送り王宮を建てた。王権は揺るぎないものとなった(10~12節)。
13節「ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた」小見出し「エルサレムで生れたダビデの子供」
17節「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た」小見出し「ダビデ、ペリシテ人を破る」は以前のダビデでないことを耳に、彼の命をねらった。そして南北分断をはかって、レファイムの谷に陣を張り攻撃してきた。この時ダビデは主の託宣を求めその指示通り、実行して勝利を得た(18~19節)。更にバアル・ペツライムに攻め上り彼らを討ち滅ぼした。この場所がバアル・ペツライム(敗れ目の主)と呼ばれることになった(20~21節)
22節「ペリシテ人は再び攻め上り、レファイムの谷に陣を広げた」。再び攻撃してきたぺリシテ軍に対して、主の託宣を求めて攻撃方法を示され、命じられた通り攻めて敵陣を討ち滅ぼすことが出来た(23~25節)。
本章から示されるのは「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」こと(10節)「主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」(12節)である。