サムエル記下11章
26節「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた」(新共同訳)
1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。…しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた」。小見出し「ウリヤの妻バト・シェバ」とある通り、本章はウリヤの妻バト・シェバの物語である。イスラエルの優れた王と評されるダビデの実相を露わにしている出来事で、この事件は詩51篇と併せ読む必要がある。それはヘト人ウリヤの妻との不倫である。先ず指摘されるのは、年が改まり、「王たちが出陣する時期」(雨期から乾期に移行する)になったのに彼は出陣しなかったことである。イスラエルの対戦は「主の戦い」なのに、彼は戦場に行かなかった。次に問われるのは彼の関心事が戦況ではなく、私的関心に費やされ王宮の屋上から水浴びをしている一人の女性に心を奪われた(2節)。人妻であることを確認しながら、バト・シェバを王宮に召し入れ床を共にした(3~5節)。欲情が彼の判断を狂わせ、神の律法を犯した(出エジプト20章14節、レビ記20章10節)。彼女はこの時拒否できなかったと考えられる。ユダヤ教では強姦に女性は死を賭すべきではないと或る本で読んだことがある。バト・シェバは懐妊したのでダビデに使いを送って知らせた。
6節「翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した」。ダビデはその懐妊に対して隠蔽工作を考え、ヨアブにウリヤを送り帰すよう書状を出した。王のもとに来たウリヤにヨアブの安否と戦況を問い、家に帰って足を洗えと告げた(7~8節)。足を洗えとは寝食を共にすることである。彼は神の箱も仮小屋であり、主君の家臣も野営しているのに家に帰ることは出来ないと断った。ウリヤは王宮の入口で三日眠り、ダビデのヨアブ宛ての書状を携えて戦地に戻った。書状には、彼を最前線に出し、彼を残して退却し戦死させよと書かれていた(9~15節)。
16節「町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した」。最前戦で戦死させるという強硬な手段を取り、兵士の生命を奪って、自らの犯罪を糊塗しようとしたのである。計画通り彼は激戦地で他の兵士らと供に戦死し、その一部始終を王に報告した。他にも戦死者が出るという偽行工作までしてウリヤを死に追いやり、実戦の司令官ヨアブは伝令にアビメレクが塔の上から石臼で頭を砕かれて死んだ時と同じように(士師記9章50~54節)ウリヤが死んだことを伝えた。王の意図をヨアブも心得てウリヤを死に追いやったのである(16~22節)。
25節「ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ」。仮面をかぶって行ったダビデの仕業は誰にも知られない事柄と思われたに違いない。戦死を知ったバト・シェバは夫のために嘆いた。やがて喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引取り、妻にした。そして男の子を産んだのである。この一連の出来事は「われ知る、地知る、天知る」と言われる通りである。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。この何度も偽って行ったダビデに対して「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と指摘されているのである(27節)。
ここで示されるのは前述の詩51篇のほかに、マタイ福音書5章27~30節、ヤコブの手紙1章12~15節であり、キリスト者に向けられたメッセージである。
26節「ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた」(新共同訳)
1節「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。…しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた」。小見出し「ウリヤの妻バト・シェバ」とある通り、本章はウリヤの妻バト・シェバの物語である。イスラエルの優れた王と評されるダビデの実相を露わにしている出来事で、この事件は詩51篇と併せ読む必要がある。それはヘト人ウリヤの妻との不倫である。先ず指摘されるのは、年が改まり、「王たちが出陣する時期」(雨期から乾期に移行する)になったのに彼は出陣しなかったことである。イスラエルの対戦は「主の戦い」なのに、彼は戦場に行かなかった。次に問われるのは彼の関心事が戦況ではなく、私的関心に費やされ王宮の屋上から水浴びをしている一人の女性に心を奪われた(2節)。人妻であることを確認しながら、バト・シェバを王宮に召し入れ床を共にした(3~5節)。欲情が彼の判断を狂わせ、神の律法を犯した(出エジプト20章14節、レビ記20章10節)。彼女はこの時拒否できなかったと考えられる。ユダヤ教では強姦に女性は死を賭すべきではないと或る本で読んだことがある。バト・シェバは懐妊したのでダビデに使いを送って知らせた。
6節「翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した」。ダビデはその懐妊に対して隠蔽工作を考え、ヨアブにウリヤを送り帰すよう書状を出した。王のもとに来たウリヤにヨアブの安否と戦況を問い、家に帰って足を洗えと告げた(7~8節)。足を洗えとは寝食を共にすることである。彼は神の箱も仮小屋であり、主君の家臣も野営しているのに家に帰ることは出来ないと断った。ウリヤは王宮の入口で三日眠り、ダビデのヨアブ宛ての書状を携えて戦地に戻った。書状には、彼を最前線に出し、彼を残して退却し戦死させよと書かれていた(9~15節)。
16節「町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した」。最前戦で戦死させるという強硬な手段を取り、兵士の生命を奪って、自らの犯罪を糊塗しようとしたのである。計画通り彼は激戦地で他の兵士らと供に戦死し、その一部始終を王に報告した。他にも戦死者が出るという偽行工作までしてウリヤを死に追いやり、実戦の司令官ヨアブは伝令にアビメレクが塔の上から石臼で頭を砕かれて死んだ時と同じように(士師記9章50~54節)ウリヤが死んだことを伝えた。王の意図をヨアブも心得てウリヤを死に追いやったのである(16~22節)。
25節「ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ」。仮面をかぶって行ったダビデの仕業は誰にも知られない事柄と思われたに違いない。戦死を知ったバト・シェバは夫のために嘆いた。やがて喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引取り、妻にした。そして男の子を産んだのである。この一連の出来事は「われ知る、地知る、天知る」と言われる通りである。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。この何度も偽って行ったダビデに対して「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と指摘されているのである(27節)。
ここで示されるのは前述の詩51篇のほかに、マタイ福音書5章27~30節、ヤコブの手紙1章12~15節であり、キリスト者に向けられたメッセージである。