日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

一人の人の心のようにした

2018-05-26 | Weblog
 サムエル記下19章 
 
 15節「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。ユダの人々は王に使者を遣わし、『家臣全員と共に帰還してください』と言った」(新共同訳)

 1節「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ」。小見出し「ヨアブ、ダビデを批判する」。本節は口語訳では18章の終わりになっていた。文脈としてはその方が良い。アブサロムに対するダビデの悲嘆の有様は異常な程であった。5節でも繰り返される。すべての兵士たちには、その日の勝利は喪に変わったとある(3節)。ダビデのむき出しの人間性が、バト・シェバ事件同様に現れている。ヨアブはこれを冷たく批判し、あなたを憎む者を愛し、愛する者を憎むのか、将軍も兵士も無に等しいと知らせている、我々全員が死んでいたら…とにかく外に出て、家臣の心に語り掛けてください云々~と厳しい言葉を投げかけた(6~8節)。ここでもヨアブに主導権を握られる。
 9節「王は立ち上がり、城門の席に着いた。兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった」。小見出し「エルサレムへの帰還」。ここから王の新しいイスラエル統一国家と、その為にエルサレムの王宮に帰還する道筋が示される。先ず逃げて行ったイスラエル諸部族の間に、アブサロムが戦死した後は王を連れ戻す筈なのに、黙っていてよいのかという議論が起こった(10~12節)。ダビデはこの動きを耳にしたので、祭司ツァドクとアビアタルに使いを送り、ユダの長老たちに王を連れ戻すのに遅れを取るのかと伝えた。司令官ヨアブに替えて反乱軍のアマサを任命することも告げた。これはユダの人々の心を一人のようにして王を家臣全員と共に帰還することになった(13~16節)。
  17節「王は帰途につき、ヨルダン川まで来た。ユダの人々は王を迎え、ヨルダン川を渡るのを助けようとして、ギルガルまで来ていた」。ヨルダン川で帰還を待っていたのはアブサロムに属していたシムイ(16章5~13節)とツィバであった(18節)。シムイは謝罪と恭順を表わした(19~24節)。ツェルヤの子アビシャイはシムイに対しては王を罵ったので死刑にすべきだと主張したが、ダビデはこれを止めて赦した。ツィバ(16章1~4節)については、そこにメフィボシェトも出迎えて来たので、何故王に従わなかったのかと尋ね、その訳は足の不自由なために王に従うことで遅れを取ったのにツィバが中傷して欺いたのだと弁明して、ダビデの誤解を解いた。そして二人の和解を願って地所を分け合うようにと伝えた(19、25~31節)。
  32節「ギレアド人バルジライはヨルダン川で王を見送るためにロゲリムから下り、王と共にヨルダン川まで来ていた」。彼はマハナイムに来た時に豊かな食料で出迎え(17章27~29)、滞在中王の生活を支えた人物だったが、八十の高齢でヨルダン川を渡ることも難儀なので同道を謝し、僕キムハムの同行を申し出た(33~39節)。問題となるのは北イスラエルと南ユダとの間にある確執であった。ダビデを巡る主導権争いで、分裂の火種になる。ヨルダンを渡らせる権限は北にあり(41~42節)、自分たち十部族がダビデを王にしたのだと主張する(5章1~3節see)。更に王のエルサレム帰還をわれわれが先に言ったではないか(10~11節)と主張した。
  44節「ユダの人々の言葉はイスラエルの人々の言葉よりも激しかった」。ユダとイスラエルの双方に立ちはだかる問題を示すものである(44節)。
人の最善は、神の最善ではない(箴言19章21節)。