日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

箱を担ぐ者が六歩進んだとき

2018-05-07 | Weblog
 サムエル記下6章 

 13節「主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた」(新共同訳)

 1節「ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた」。小見出し「神の箱をエルサレムへ運び入れる」。目的はペリシテから奪い返した神の契約の箱をエルサレムに運び込む為であった。契約の箱の物語はサムエル記上4~6章で出ている。その箱はキリヤト・エリアムの人々によってアビナダブの家に運ばれその息子エリアザルによって守られていた。サウル即位から既に20年が経過していたが、ダビデが王位に着いてから加算すると50年とは言わない期間となる。
  3節「彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた」。ウザとアフヨはアビナダブの家から神の箱を運び出し、ダビデとイスラエルの家は皆、糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。ところが牛がよろめき、車の後にいたウザが神の箱に手を出し押さえた(4~6節)。主は怒りを発しその場で彼を打たれ、神の箱の傍らで死んだ。箱の転落を防ごうとしたウザの行為は褒められてこそすれ、非難されるものではない筈で、彼が打ち砕かれたのを見てダビデも怒った(7~8節)。そして主を恐れて、神の箱を運ぶことを思い留まった(9~10節)。問題なのは「牛車」で運ぶことにあった。箱は祭司が肩に担ぎ、その為に担ぐ棒もあった(民数記4章15節、出エジプト37章4節)。ウザやダビデら一行は、箱にふれないで運ぶ規定を安易に考えたことから、聖なる神の意思に背く行為をしたのである。
  11節「三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された」。この噂を耳にしたダビデは直ちに出掛けて喜び祝って神の箱を肩に担いで運び上げた。担ぐ者が六歩進んだ時、彼は車でなく担いで運ぶことの違いを確認した。そして雄牛の燔祭を献げて罪の赦しを求め、力の限り踊ったのである(12~14節)。
  17節「人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。この燔祭と酬恩祭の献げ物をし終わると、主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆すべてに輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与え、そして民は皆、自分の家に帰って行った(18~19節)。
  20節「ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。『今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。』」。これは14~16節に書かれている事柄を指し、ダビデ王が麻のエフォドを着けて喜び跳ね踊って町に帰って来た時、ミカルが窓からこれを見下ろし、心の内にさげすんだことを、侮蔑と皮肉たっぷりに語った言葉である。「裸になる」とは王衣を脱ぎエフォドを着たため肌が露わになったことを指す。これに対してダビデは、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で踊ったのだ、わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろうと応えた。これはミカルが王位継承者とサウルの子孫とを失うことで報われることになった(23節)。
 ここで詩149篇1~2節が示される「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。 イスラエルはその造り主によって喜び祝い/シオンの子らはその王によって喜び躍れ」。

主の命じられたとおりに行動し

2018-05-06 | Weblog
サムエル記下5章 

  25節「ダビデは主の命じられたとおりに行動し、ゲバからゲゼルに至るまで、ペリシテ人を討ち滅ぼした」(新共同訳)  

  1節「イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です」。イスラエルの諸部族がダビデの許に訪ねてきて、指導者としての就任を要請した。「イスラエルの進退の指揮をとっていた」は「~連れ出す、導き出す、出て行く」の意訳で口語訳「~率いて出入りされました」、新改訳「~動かしていた」のほうが適訳である。それは羊の群れを牧する指導者ということである。イスラエルの長老たち全員がダビデの許に来て、契約を結んで王位に就く油注ぎの儀式を行なった(2~3節)。契約ということは専制君主でないことを示す。彼の死後王位を継承したソロモンまで統一国家は続いたが、再び南北に分離することになってしまう。「油注ぎ」はユダの家の王の時(2章4節)とは別個であることを示している。かくして彼は三十歳で王となり、ユダの王七年を加えると40年間南北を統治したのである(5節)。
  6節「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い…「お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも~」。地理的に相応しい町として、エブス人が都市国家の中心にしていたシオンの要害を選んだ。東西南に谷のある丘で難攻不落といわれていた。これを水汲みのために造られたトンネルから入って占領した(7~8節)。この水路は1867年に発見され、エルサレム旅行ではこの水路のトンネルを抜ける実体験が出来る。
  9節「ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた」。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられたとある。ティルスの王ヒラムは使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送り王宮を建てた。王権は揺るぎないものとなった(10~12節)。
13節「ダビデはヘブロンから移った後、エルサレムでも妻をめとり、側女を置いたので、息子や娘が更に生まれた」小見出し「エルサレムで生れたダビデの子供」
17節「ペリシテ人は、ダビデが油を注がれてイスラエルの王になったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た」小見出し「ダビデ、ペリシテ人を破る」は以前のダビデでないことを耳に、彼の命をねらった。そして南北分断をはかって、レファイムの谷に陣を張り攻撃してきた。この時ダビデは主の託宣を求めその指示通り、実行して勝利を得た(18~19節)。更にバアル・ペツライムに攻め上り彼らを討ち滅ぼした。この場所がバアル・ペツライム(敗れ目の主)と呼ばれることになった(20~21節)
  22節「ペリシテ人は再び攻め上り、レファイムの谷に陣を広げた」。再び攻撃してきたぺリシテ軍に対して、主の託宣を求めて攻撃方法を示され、命じられた通り攻めて敵陣を討ち滅ぼすことが出来た(23~25節)。

 本章から示されるのは「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」こと(10節)「主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」(12節)である。
  


苦難からわたしの命を救われた主

2018-05-05 | Weblog
 サムエル記下4章 
   
  9節「ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる」(新共同訳)

 1節「アブネルがヘブロンで殺されたと聞いて、サウルの息子イシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルはおびえた」小見出し「イシュ・ボシェトの死」。アブネルの死はイスラエルに大きな衝撃を与え、王は舵取りを失う危機的な状況になった。「力を落とす」は新改訳「気力を失った」、「おびえた」は口語訳「みなあわてた」となっている。サウルの息子のもとに二人の略奪隊の長がいた。名をバアナとレカブといった(2節)。4節に何故ヨナタンの息子メフィボシェトが出てくるか判らないが、足が不自由になった原因がここに述べられている。
 5 節「ベエロト人リモンの子レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来た。イシュ・ボシェトは昼寝をしていた」。レカブとその兄弟バアナは、小麦を受け取る振りをして家の中に入り、彼の下腹を突き刺して殺し、首をはねた。彼らはその首を携えてアラバへの道を夜通し歩き、ヘブロンのダビデのもとに、その首を持参した(6~7節)。彼らの魂胆は、これによってユダの王ダビデから殊勲として、取り立てて貰うことであった。二人は「主は、主君、王のために…報復されました」と告げた。自分たちの殺人行為を正当化し、主の聖意に置き換えた(8節)。
 9節「ダビデはベエロト人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「あらゆる苦難からわたしの命を救われた主は生きておられる。」と告げ、かつてサウルの死をわたしに告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、わたしはその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであると語っている。
11節「まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか。」ダビデの命令によって、従者は二人を殺して両手両足を切り落とし、ヘブロンの池のほとりで木につるした。イシュ・ボシェトの首はヘブロンに運ばれ、アブネルの墓に葬られた。(12節)
 キリスト者もまたあらゆる苦難から、命を救われる主を信頼して生きたいものである。「これまでのように、今も生きるにも死ぬにもわたしの身によってキリストが公然と崇められるようにと切に願い希望しています」(フィリピ1章20節)

王のすることは常に…目に良いと映った

2018-05-04 | Weblog
サムエル記下3章 

  36節「兵士は皆これを知って、良いことと見なした。王のすることは常に、兵士全員の目に良いと映った」(新共同訳)

  1節「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」。へブロンで生れたダビデの息子の名が先ず記される。長男はアムノン、次男はキルアブ、三男アブサロム、四男アドニヤ、五男シェファトヤ、六男はイトレアムである。それぞれダビデの妻たちの息子である(2~5節)小見出し「ヘブロンで生まれた息子」。
 6節「サウル王家とダビデ王家の戦いが続くうちに、サウル王家ではアブネルが実権を握るようになっていた」。サウルの王子イシュ・ボシェトは従兄弟アブネルに擁立されて王位についたが、実権はアブネルが持っていたようだ(2章8~10節、サムエル上14章50節see)。彼は王の側女との不品行をイシュ・ボシェトから咎められたことに、激しく反発して、サウル王家のために忠実に仕えてきたが、それを今、あの女のことでわたしを罪に問おうというのかと語った(7~8節)。
 10節「わたしは王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる」。イシュ・ボシェトは返す言葉がなかった。アブネルはダビデのもとに使者を送り、契約を結べば、あなたの味方になると伝えた。これを承知したダビデはサウルの娘ミカルを必ず連れて来るようにと要求し夫パルティエルから取り上げてダビデに渡した(11~14節)。彼は二十人の部下を連れてへブロンのダビデのもとに着いた。ダビデは酒宴を催してアブネルとその部下をもてなした(15~20節)。21節「アブネルはダビデに言った。「わたしは…全イスラエルを主君である王のもとに集めましょう。…契約を結べば、あなたはお望みのままに治めることができます」(21節)。この話合いはダビデ統一王国の実現が開けるものであった。アブネルは平和のうちに出発した。そこへダビデの家臣を率いたヨアブが多くの戦利品を携えて略奪から帰って来た。ところが留守中にアブネルが来て平和交渉をして帰ったことを知り、ダビデに問うた(22~24節)。彼はアブネルが来たのは、王を欺いて動静を探りに来たのだと偽り、ヘブロンで彼を殺す。アサエルの復讐にあった(2章23節)。私怨によって国政を大きく変える出来事となった。ダビデはアブネルの死により、これが新しい王国においてわたしは潔白であり、ヨアブの上に神の呪いがくだることを預言する。そしてその死を悲しみヨアブとヨアブの率いる兵士全員に「衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め」と命じ、王は声をあげて泣き、へブロンで、丁重に葬った(28~32節)。ヨアブとその一族が、この後もダビデの王家に様々な波乱を起こすことになる。

神は生きておられる

2018-05-01 | Weblog
 サムエル記下2章 

  27節「ヨアブは答えた。『神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。』」(新共同訳)

  1節「その後ダビデは主に託宣を求めて言った。『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた。『上れ』。更にダビデは尋ねた。『どこへ上ればよいのでしょうか。』『ヘブロンへ』と主はお答えになった」。小見出し「ダビデユダの王となる」。ダビデは二度の神託を受けて、ヘブロンに家族と共に移る。ユダの人々はそこに来てダビデに油を注ぎ、ユダの家の王にした(2~4節)。直ちに使者をギレアドのヤベシュの許に送り、「主君サウルに忠実を尽くした」ことを褒め、その働きに報いたいと告げ、一層勇敢に戦うようにと伝え、またユダの家がサウルの後継者としてダビデに油を注いで王についたと言った(5~7)。この挨拶は、対ペリシテ戦に敗れ逃走したイスラエルの人々と友好関係を結ぼうとしたのかも知れない。
  8節「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り~」。しかし結果はその反対になり、サウルの司令官アブネルは、参戦しなかったイシュ・ボシェトを擁立しマハナイムでイスラエルの王にした。彼は四十歳で、二年間王位にあった。しかしユダの家はダビデに従い七年六ヵ月間、彼は王位にあった(9~11節)。アブネルはサウルとは父が兄弟で、従兄弟の関係であった(14章50~51節)。アブネルはイシュ・ポシェトの家臣と共にギブオンに向かい、一方ヨアブとダビデの家臣もギブオンの池で出会い、池のこちら側とあちら側で十二人の若者を立てて勝負をさせることになった(12~14節)。格闘技だろうが、しかし剣で脇腹を突き刺し、相討ちになってしまう(15~16節)。
  17節「その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。その後両軍は激しい戦闘になり、ダビデの家臣に打ち負かされたイスラエル兵士は逃走する。ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わり、逃げるアブネルをアサエルが追跡する(18~19節)。
  20節「アブネルは振り向いて言った。『お前はアサエルだな。』『そうだ』と彼は答えた」。アブネルは彼に右か左にそれて若者を捕まえたらどうかといったが、聞かないでアブネルを追って離れなかった。お前を打ち倒したら兄ヨアブに顔向けできないと言ったが、離れなかったので、アブネルはついにアサエルを槍で突き倒れて死んだ(21~23節)。彼は栄誉心からか、猪突猛進だったのだろう。
  24節「ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた」。ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となり、丘の上に留まった。アブネルはヨアブにこの無益な戦闘を止めにしようと提案し、ヨアブはこれに同意し、角笛を吹いて追跡を止めることになった(25~26節)。この提案をヨアブは神の計らいだと言っている(27節)。アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた(28~29節)。一方ヨアブも兵士の数を調べ家臣十九人とアサエルが欠けていることが判り、彼をベツレヘムに運んで葬り、夜通し歩いて明け方へブロンに帰った。この時ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵三百六十人を打ち殺したという(30~32節)。 同族同志の争いは、決してよい結果をもたらさない。アサエルをアブネルが殺したことは、尾を引くことにな