今日からゴールデンウイーク、大型連休で、中の平日を休めば最大10連休になるそうです。金のある人余裕のある方ならば、海外旅行や家族旅行に行くところでしょうが、そうでない人も勤め人ならばゆっくり身体を休めるので大歓迎でしょうか。大変なのは、物販、商業、サービス業、看護・介護職とご家庭の主婦あたり、休みも何もないただ忙しいだけ、という気の毒な人達です。こんな方たちの為に裏GWという制度を設けたらいいのに、と思いますね。会社員や役人と同じようにせいせいと休日があって好きなことが出来るような仕組みがあってこそ平等であろうと思います。
「年金生活組」はGWはほとんど影響がありません。一年中休みでありますから。逆に、ワタシのように毎日が園芸・メダカ・書道・篆刻などの趣味に加えて、管理する建物周りの草むしり・ゴミ拾いの人間にしたら休みはありません。一年365日よほどの体調不良でもないかぎり、やることが沢山で一日のんびりなどしていられません。
さて、書道の話であります。幾度もこのブログで書いていますが、書の練習の基本は、古典や法帖を真似て書く「臨書」にあります。王義之・欧陽詢 ・顔真卿 などの中国の書の名人聖人に称せられた人の名筆を学ぶのです。ワタシはいまだ中級者止まりの腕なので、自分の作風やら作品作りの書技法が身に付いているわけではなく、ただただ臨書するのが有効な稽古なのです。
ここで問題なのが、その古典のほとんどが原典が失われていて、後世の弟子や書家の臨書で何代も受け継がれたりしたものを除いて「石碑・石板」に刻まれたものしか残されていないということです。これを拓本にして書の手本にするのですが、千年以上経過しているそれらの原典は、摩耗し汚損・破損によって原字が失われているものも多いのです。中には割って破片を持ち去る輩も多くいます、中国ですからね。更に、その人が書いたものであるのが確実な筆跡=真蹟とは異なり、 紙や竹簡木簡・皮・絹布などに書かれた墨書きの書を真似て石工が石に刻むのですから、筆先の繊細なタッチを石に移すことなど至難の業であります。
二玄社や天来書院から出されている法帖も、ほとんどが石拓をそのまま印刷したものなので、読み取れない文字、一部欠けている文字が多数含まれています。従って我々素人からみたら「こんな書のどこがいいのだろう?」と素朴な疑問が湧き、有難味がうすれたりするのです。
数千年の間に、幾千万どころか何億人もの書家・書生・学生などが倣って学んできた最高傑作ですから、真面目に摸書臨書を続けるうちにその銘筆の「凄さ」を実感するようになります。しかし、やはり読み取れない字や明らかに一部崩れた線をそのまま真似するのは気持ち悪いものです。
そこで専ら臨書の練習には近代の中国書道家や日本の大家・書人の手になる「臨書本・臨書集」を臨書することにしています。例えば王鐸さんや米芾(ベイフツ) 、呉昌碩、 鄧石如さんの真筆の印刷本であります。日本人では明治三筆といわれた「日下部鳴鶴 さんや中林梧竹さん、近年では臨書本の達人石田栖湖さんなどであります。
ヤフオクで片端からこの手の書道の手本書・折帖を集め、これを臨書することにしています。原書原典の文字・書法・章法を十分咀嚼し、習熟した名家がその意を汲んだ「意臨」(元の書の特徴を残しながらも、筆意をくみとって運筆する )で書いたものです。書の達人が書いたその臨書は美しく、それぞれの字の形や筆順・筆脈 が明確なので、臨書する側にとっても迷いや躊躇が無くなるのです。
例えば書聖王義之さんの「興福寺断碑」、下の写真で①が拓本 ②梧竹さんの臨書 ③ワタシの下手な②の臨書であります。
①
②
③
このところは、ずっと続けている「徐三庚」さんの摸刻が優先、その次が夏野菜植え付け果樹の手入れ、メダカと自治会の雑務の順に優先順位が下がって、書道は一番下になっておりました。この連休期間(関係無いけど)は書道三昧とはいかないまでも、毎日少しでもやらねば、とGW初日に心を新たにしております。
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