あ、違った。お昼の部なのでこっちでした。歌舞伎座の前は何やらすごい人だかり。みな、ドアが開くのを待っているのです。
チケットの引き換えに地下に降りると、なんとまあものすごい人人人。お弁当売り場もお土産コーナーも、はたまた洗面所もすごい。
おともはさっきのおやつカステラ😍
今日は煮物も頼んでみました。美味! 実は刺身もあっておつまみも豊富。でもやはり、定食が食べたくなっちゃうのよね。お米も美味いし。
なくなった愛猫きゃらをどうするか。もともとは、実家の庭に埋めようとなんとなく考えていました。でも結局、お葬式をすることにしました。今でも、どちらが良かったのか実はよくわからないのです。
お葬式はいろいろまわりに聞いたりしましたが、結局、移動火葬車によるお葬式を選びました。実家に相談し、場所は実家になりました。それなら、土に埋めても良かったのかな、いろいろ考えていたつもりでも、実際にその時が来ると、何がいいのか、こたえが出ません。 いまだに。。
ちょうどその日は、兄弟家族も実家のお墓掃除にくる日とのこと。
しょんぼりしている私に母が、皆で精進落としをしに外食しよう、と計画してくれました
きゃらをよく知る母もお葬式に一緒に出てくれました。
お花をたくさん買って、ご飯もたくさん盛って、私の涙もぽたりと一緒にお送り。
しばらくは手元に置いてたくさん話しかけます。大好きだったお湯やおやつもあげて。そして、いずれはお墓をさがすか、やはり土に埋めるか、何が一番いいのかゆっくり考えます
踵から始まった腫瘍のため、左の足先はくるりと曲がり、夏頃からは歩けるけれど歩きにくそうでした。それが、なくなる前のほんの2日間、足先がすらりと伸びて元に戻った奇跡。その2日間は以前のようにおどろくほど活発に家の中をあちらこちら歩いて回っていました。しばらく声を発していなかったのに、以前のようなおしゃべりも始まりました。日中も夜も。
たった2日間だったけれど、本当に奇跡。とても元気になったようにみえて、「まさか、治るのかな?」と期待しただけに、喪失感もどっしりです
兄弟家族には小さい子もいて、「精進落とし」は子供が好きなファミレスで、にぎやかにワイワイ好きなものを頼んで、おとなはおちゃけ🍶も飲んで、皆でたくさん笑いましたよ
最後に皆がデザートを頼むので、調子に乗ってわしらもホットファッジサンデー。みゆこと二人でシェア。
冷たいサンデーに、あつあつのチョコレートソースをかけて食べます!
今日は母に感謝!
母の提案があったので、きゃらのお葬式もその後も、さびしく思うことなく一日が終わりました。
その後母に聞いたら「あの日はものすごく疲れた〜」とのことだったけど
22年間を共に過ごした家ねこのきゃらが今朝なくなり、悲しくて頭がぱんぱん、目もぱんぱんです。
明日は早朝から通訳案内士の仕事なのだが、何も頭に入ってきません。
22年間、なんともシンプルではない、波瀾万丈な日々でした。
生後3ヶ月でソリマチ家の家族となったきゃら。本名はキャラメルちゃん、血統書付きのベンガルでした。
性格は優しくておっとりしていてお嬢さま。おしゃべり好きでいつもにぎやかにお話ししていました。
マスコットを投げるとすっ飛んでいって加えてもってくる、犬要素もありました。
しかし、2年後のソリマチの激しい妊娠うつから始まり、子育て中はおかまい出来ず、そのうち全国通訳案内士として独立しはじめ、きゃら7歳で離婚。その後東日本大震災の時にはロングツアーは全滅し、毎日家に帰れるプライベートツアーのみで2年ほど過ごした期間もあったけれど、回復後はロングツアーを1年中していたので、ほとんど家にいなくなり。
娘だけでなく、きゃらにもかなりかなり寂しい思いをさせてしまったと思うんです。
そして、コロナのパンデミックの時には、通訳案内士のソリマチは仕事がなくて在宅通訳・翻訳者となり、外にもほぼ出掛けられないので、ようやく、いつも一緒の日々が戻ってきました。
3年間も、毎日一緒。きゃらは変わらずのおしゃべりさんでした。
通訳案内士は決まったお休みがないし、ずっと仕事に突っ走っていたら、きゃらが幼かった頃のようなべったり一緒の日々は最後まで作れなかった。なので、私にとってコロナには良い面がいくつかありました。
きゃらは病院へ行くことはめったにないほど体が丈夫でした。それが、去年の3月のツアー中、突然みゆこから「左足の踵の毛がなくなっている!」との連絡。ツアー中なので身動き出来ない。家に帰れるのは数ヶ月先。そこで、みゆこに動物病院に行ってもらったところ、腫瘍でした。
高齢なので、麻酔も手術も出来ない。病院で出来ることはない、と言われました。
そこから、手探りでの、自宅での手当てが始まります。私は2月から7月まで、そして、9月から11月までロングツアーでほぼ留守にしていて、手当てと看護はほとんどみゆこがひとりでやりました。例年ならば、ロングツアーのシーズンは3月〜5月・10月〜11月のところ、去年はコロナの反動でロングツアーがとても多かったのです。
医学の知識もないのに、本当に試行錯誤でした。特にソリマチは不器用で、きゃらにも迷惑かけたことでしょう。手探りでパッドを作り、消毒は手作り酵素に頼る日々でした。
それでもなんとか10ヶ月生き延びてくれて、一生懸命歩いてくれて、最後はかなりしんどかったと思うけど、4日くらい前から飲食をほぼしなくなって、だんだん歩けなくなり、安らかでした。22歳、大往生だと思いたいな。
留守中にお世話になるのがキャットシッターさん。
中でも、一番長い年月、170日近くもお世話になったシッターさんが昨日今日と駆けつけてくださいました。昨日はシッターさんの声がけに何度も起きあがろうとしたきゃらにマッサージをしてくださったり、温灸キットを貸してくださったり。
そして今日は、たくさんのお花と、きゃらの毛で作った手作りストラップをもってきてくださいました。何よりの宝です。
今週末のお葬式には、実家の母やたまたま実家に来る予定の兄弟家族も立ち合ってくれることになりました。
しばらくの間、目が腫れて情けない状態ですが、22年間のたくさんの良い想い出に思いを馳せます。
きゃら、22年間一緒に生きてくれてありがとう。会えてよかった!
最後までお読みくださってありがとうございました。
ついにみゆこが成人式。 なんとも正月明けからばたばたしてしまいました。
朝、早起きして久しぶりに夜明けを見た!
07:30から着付けとヘアメイク、09:00から祖母も呼んでの記念撮影、11:30から市主催の成人式、12:30から幼なじみのお友達が来てくれて写真撮影の約束があり、そのまま13:00から第二の着付け、着物を着替えて14:30に出身校のお祝いパーティー🎉、一度家に戻って16:30に出身校ヘお迎え。
なんという分刻みのスケジュール
その上、調子に乗って、母も着物を着る!と張り切って着付けしてもらったは良いが、着物で車に乗ることほどつらいものはないことを知った 泣
その日一日中来ているつもりが、2時間で即効脱いでしまったという根性なしでした。
しかもあまりの忙しさに、自分の携帯で写真を撮ってない!みゆこと二人の写真もない
もう一度、リベンジで着物を着て、ゆっくり写真も撮って、今度はせめて半日でもいられるように頑張りたい💪
パートナー氏が撮ってくれた写真が唯一の思い出になりました。
最初の振袖と帯は、実家の母が大事に大事にしまってあったもの。
最初は午後は電車で友達と出身校に行くとか、パーティでは食事が出るとか言っていたので、大事な着物を汚してはいけないと急遽レンタルしたのが第二の着物。
どちらもGood!
即効脱いだ根性なしの母に比べて、一日着物で過ごしたなんて、えらすぎる!
夜には家でお祝いのつもりが、出身校のパーティで飲み会の企画が浮上し、急遽私服に着替えて外出することになったみゆこ。
親だけ取り残されるのも寂しいものです。
乾杯だけでも一緒の祝い酒は、みゆこの誕生年につくられたドンペリ🍾
20年の道のりを経て熟成されたとみえて、たいへん感慨深いお味。
成人式を終えて、母もほっとした
これからも女同士、一緒によろしくね
2023年はブログで日記を綴ることどころか、FBも写真のアップをするしか時間がないほど超おおいそがしで通り過ぎていきました。
コロナ禍の反動か、訪日外国人のツアーに続くツアーで、ありがたいことに通常ロングツアーはあまりない夏や年末近くまでご依頼いただき、家にほとんどいることなく絶えずホテル住まいの日々だったかも。。
毎年言ってるんだけど、今年こそは期間を空けることなく定期的にブログのアップをしたいなあ、というのが今年の目標。
今年のお正月は、もともとフランスで過ごす予定にしていたこともあり、仕事は入れずに空いていました。
でも、大事な家猫きゃらが病気になったことが大きいけれど、フランス行きは断念。で、山梨県の第二の家で新年を迎えましたよ。
山梨県といえば、富士山ゆかりの浅間神社。家の近くの、と言っても、徒歩で30分以上かけて、えっちらやってきました初詣。
ついでに御祈願もしていただき、大事なことはあっという間に完了👍
大晦日から新年にかけて食べようと、モロッコ風の豆スープをどっさり作りました。玉ねぎにセロリ、レンズ豆にひよこ豆、それに生姜をはじめスパイスがたっぷり入っています。