間違った貨幣観に基づく正統派経済学は、かつての天文学における天動説の位置にある存在であると申し上げるべきでしょう。
*MMT論者モスラーとオーストラリアの正統派経済学者の、生々しくて興味深いやり取りが登場します。
支払い能力上のリスクなどまったくないということは、すなわち、連邦政府が破産することなどありえないということであり、われわれの政府にとって(オバマ大統領が繰り返し誤って述べたごとく)“財政支出すべきお金が底をつく”ことなどありえないということです。これまたオバマ大統領が述べたことですが、合衆国連邦政府の財政支出額は、借り入れ可能額によって制限されてなどいません。
だから、あなたが今後「社会保障のためのお金はどこからやってくるのだろうか」というだれかの言葉を聞いたら、進み出てこう言ってあげてください、「それはただのデータ入力なのです。そのお金は、ボーリング場でのあなたのスコアと同じ場所からもたらされます」と。
違った風に言えば、合衆国の政府小切手は、もしも政府が不渡りにしようと思わなければ、不渡りになることはありません。
*念のために申し上げておきますが、不渡りとは、小切手や手形の支払義務を負った者が当座預金の残高不足などによって、支払い期日が過ぎても小切手や手形の決済をできない状態です。
連邦政府の小切手が不渡りになることはありません。
数年前に私は、オーストリアのある経済会議で「政府の小切手が不渡りになることはない」というタイトルの講演をしました。聴衆のなかに、オーストラリア準備銀行の研究責任者であるデビッド・グルエン氏がいました。それは見せ場でした。
*オーストラリア準備銀行は、オーストラリアの中央銀行です。
私は、それまでの数年間ずっと彼を筆頭とするアカデミックのグループに対して講演をし続けていました。私は、彼らの大部分に、政府の支払い能力など問題ではないということを信じさせることができないままでした。彼らはいつも、「アメリカ人は、オーストラリアのような小さくて開かれた経済はアメリカとは異なるということを理解していない」という常套句で議論をし始めました。彼らの(たぶん)いやというほどに教養にあふれた頭蓋骨に少なくとも「あなたがたが考えていることはどれもたいした問題ではない」という一事を呑み込ませる方法はまったくないように思われました。表計算ソフトは、表計算ソフト以外の何物でもないのです。ビル・ミッチェル教授と彼の数人の同僚以外の人たちはみんな、心の壁を有しているように思われました。そうして彼らは、市場がオーストラリアに敵対して“赤字を補填する”ことができなくなったらどうなってしまうのかということを深く恐れているのでした。
だから私は、合衆国政府の小切手がなにゆえ不渡りにならないのかを話始めました。その数分後、デビッドは挙手して、やや上級の経済学徒たちにとっては耳慣れたセリフを次のように繰り出しました。
「国債の利子率がGDPの成長率よりも高くなると、政府の国債は持続可能なものではなくなります」と。これは、質問として繰り出されたものではなくて、事実として開陳されたものでした。
私は次のように応じました。「僕は実務家なんだよね、デビッド。で教えてほしいんだけど、‘持続不可能な(unsustainable)’ってどういう意味なんだい。もしも利子率がとても高くなって、いまから20年後に、政府の借金が膨大になったら、政府は利子の支払いができなくなるだろうって言いたいのかい。で、もしも政府が年金受給者に小切手を切ったら、その小切手は不渡りになってしまうって言いたいのかい?」
デビッドは沈思黙考してから言いました、「ご存知のように、ここに来たとき、オーストラリア準備銀行の小切手決済がどうやってうまくいくかを考え抜くとは思いもしませんでした」と。彼は、そのセリフにいささかのユーモアを交えようとしているようでした。しかし会場のだれも笑ったり、物音を立てたりしませんでした。みんなは、固唾をのんで彼の言葉を待ちました。その場面は、この問題をめぐっての“決闘”でした。デビッドはついに発言しました、「小切手は決済されます。しかし、インフレが惹起され、通貨は暴落します。それが、“持続不能”の意味です」と。
重苦しい沈黙が会場を満ちました。その長い議論は終わりました。支払い能力は、小さな開かれた経済においてさえも問題ではない、ということです(デビッドは事実上それを認めたのです)。ビルと私は、高いレベルの敬意を常に払っていました。その敬意は、以前の懐疑派たちから“ええ、もちろん、私たちはいつもそう言ってきた”という通常の外向きの形式を奪うものです。
*上記の「ビル」は、先ほど登場したビル・ミッチェル教授のことです。モスラ―の良き理解者のようです。
私はデビッドと議論を続けて、次のように言いました。
「えーと、大部分の年金受給者は、退職したとき、年金の基金がちゃんとあるのかどうか、そうして、オーストラリア政府がきちんと年金を支払ってくれるのかどうかを心配しているんだよね」
デビッド、答えていはく「いいえ、彼らは、インフレとオーストアラリアドルの相場を心配していると思います」。
そのとき、ニュー・キャッスル大学の経済部門の部長であるマーチン・ワット教授が口をはさみました。「なんてこった、デビッド!」 で、デビッドは、沈思黙考したうえでしぶしぶ「あなたは正しいと思います」と言いました。
さて、その日出席したシドニーのアカデミシャンたちは、実際何が事実であると確認したのでしょうか。以下のとおりです。
自国の通貨を使う諸政府は、彼らが欲するものを欲するときに支出できる。それは、アメフトのスタジアムが好きなように得点ボードに点数を掲げることができるのと同じである。財政支出の行き過ぎは、インフレや通貨の価値の暴落を招くかもしれないが、決して小切手の不渡りをまねくことはない。