昭和45年(1970年)吹田市の千里丘陵で万国博覧会が開催された。
私のサラリーマン生活は昭和41年大阪からのスタートだったので、この時の盛り上がりは鮮明に覚えている。
昭和39年には東京オリンピックがあり日本の上り調子の時だった。
海外参加76か国、入場者6421万人。実に人口の半分が見に行った。
「人類の進歩と調和」
Progress and Hermony for Mankind
夢よもう一度、と思ったのか?
大阪市と大阪府が手を挙げて維新の力を見せつけようとした。
いのち輝く未来社会のデザイン
Designing Future Society for Our Lives
なんかしっくりこないテーマだ。意味が良くわからない。
しかし杜撰なプランニングのせいか、この万博準備がスムーズに進んでいない。
このままでは何とも盛り上がらない大阪万博になりそうだ。
今のところパビリオン建設に名乗りを上げているのは韓国だけで下手をすれば「数か国博」になりかねない。
しかも建設を担う大手ゼネコンがさじを投げている。
2025年の開会に間に合わないというのだ。
早速、責任のなすり合いが始まった。
大阪市と大阪府が誘致を主導した。国交省や外務省も関係するが博覧会協会は経産省が主担当だ。
もうすでに予算を600億円ほどオーバーしている。
会場の夢洲も大問題。埋立地だから建設が始まると何が出てくるかわからない。
そしてこの跡地にはカジノが建てられるという。
とんでもない負の遺産が無駄な公金を使って残されようとしている。