戦国時代を終えて江戸時代になると、みだりに殺傷を許されない時代になった。
殺傷のわざであった武術が武士教育のための修養武道に昇華していった。
その過程で「死に処する覚悟として」宗教的安心感が求められるようになって精神性が高められ、「克己内省」の道として武士道にまで深められた。
現在の柔道、剣道、空手、相撲などをスポーツとしてみなすことは可能だ。
厳しいルールの下で技を競い合うことは有意義なことだ。
ところが勝ち負けにこだわるあまり見苦しい試合も散見する。
何やら自民党の裏金議員たちに相通ずる。ルールを破れば反則負けだ。
それでも、退場せずにぐずぐず道場に居座っている議員がいるようだが。
武道としての源流を最も色濃く残しているのは相撲だろうか。
直径4.55メートルの円の中で体重、身長差など考慮せず対等に戦う。
小兵が大きな力士を負かすのは見ていて小気味よい。
世の識者は「相撲はスポーツではない」というのもうなずける。
武道を学ぶ人たちは「スポーツ」として割り切るのもよいが、その奥に秘められた精神性を学んでほしいと思う。