行雲流水の如くに

武道を学ぶ意味を考えるーースポーツなのかどうか?

戦国時代を終えて江戸時代になると、みだりに殺傷を許されない時代になった。

殺傷のわざであった武術が武士教育のための修養武道に昇華していった。

その過程で「死に処する覚悟として」宗教的安心感が求められるようになって精神性が高められ、「克己内省」の道として武士道にまで深められた。

 

現在の柔道、剣道、空手、相撲などをスポーツとしてみなすことは可能だ。

厳しいルールの下で技を競い合うことは有意義なことだ。

ところが勝ち負けにこだわるあまり見苦しい試合も散見する。

何やら自民党の裏金議員たちに相通ずる。ルールを破れば反則負けだ。

それでも、退場せずにぐずぐず道場に居座っている議員がいるようだが。

 

武道としての源流を最も色濃く残しているのは相撲だろうか。

直径4.55メートルの円の中で体重、身長差など考慮せず対等に戦う。

小兵が大きな力士を負かすのは見ていて小気味よい。

世の識者は「相撲はスポーツではない」というのもうなずける。

武道を学ぶ人たちは「スポーツ」として割り切るのもよいが、その奥に秘められた精神性を学んでほしいと思う。


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コメント一覧

megii123
shimaさん、こんにちは。
そうですか、「居合道」を学んでこられたのですね。
どうりで立ち居振る舞い(言説も含めて)に筋が通っていると感じていました。

日本人は最初は術だけの鍛錬にいそしみますが、だんだんそれだけでは満足せず「無」という宗教的境地を求めたのでしょうね。
fumiel-shima
行雲さん、おはようございます。

私が学んできた「居合道」もまさに行雲さんが仰るような内容のものでした。
「抜刀術」という言葉のとおり技を披露するものもありますが、私が学んだ「居合道」は「術」ではなく相撲とおなじような「道」でした。
megii123
sakuranboさん、こんにちは。
6段ですか、それはすごい。
まさに継続は力ですね。(拍手)
sakuranbo-doghotel
ブログ覗いて頂きありがとうございます。私は還暦を過ぎてますが、剣道は2年前に六段を取って(14回落ちましたが)、自分では多分今が一番強いと思ってます(笑)。
megii123
sakuranboさん、おはようございます。
ブログで拝見していました。
いまだに現役を続けておられるようで感心しています。

私も学生時代合気道を学んでいました。
今は体力も衰え続けることができませんが、精神だけは残っています。

おっしゃる通り、「一度は武道の門を叩いて欲しい」、全く同感です。
sakuranbo-doghotel
日本人として、続けるか否かは別として、一度は武道の門を叩いて欲しいと思っています。私は剣道をやっています。
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