行雲流水の如くに

武士道とは死ぬことと見つけたり

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

この言葉は佐賀藩に伝わる「葉隠れ」の一節である。

安易にこの言葉をもてあそぶのは極めて危険で、戦時中には間違った使われ方もしている。

その真意は、

武士たる者は、行住坐臥、つねに覚悟有りて油断なき如くすべしなり。

名誉と責任とを守り、武士の権威を保つことが、自分の命を長らえることよりも大事という意識だ。

しかもこれは、他からの強制や功利の為ではない。自立主動の意志だ。

 

国会議員と言えば、かっての武士に比肩されるであろう。

ところが葉梨某なる法務大臣の言動は嘆かわしい。

須らく「票とかね」しか頭にないようだ。

豆腐の角に頭でもぶつけたほうがよい。

 

講道館柔道の創始者嘉納治五郎が柔術を始めたきっかけは、

「学校でのいじめ」にあった。

「私はかってからだも弱く、非常な癇癪もちですぐにカッとなる性質であったが、柔術をやりはじめて、体が丈夫になるにつれ精神も落ち着いてきて自制力がいちじるしく強くなったことに気付いた」

「嘉納治五郎と安部磯雄」 丸屋武著

話しは少し飛ぶが、私は今の小中学生に武道を学ばせたらよいと思っている。

勝負の勝ち負けのみを競うのではなく、武道の底流に流れている信義・廉恥・潔白・礼節などを学ばせるのだ。

 

武道の達人たちは、最終的に殺傷の「わざ」の究極に不殺の「みち」を悟ったのだ。

無心にして自然の妙に入り、無為にして変化の神を窮む  勝海舟 

 講道館所蔵


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