行雲流水の如くに

国会論戦から見えてきたコロナ後の世界ーーどちらの社会像を選択すべきか

漸く国会論戦が始まった。

菅首相の目指す社会像は「自助・共助・公助そして絆」。

自助が一番先にくるということは、「勝ち組」特有の考え方である。

こういうタイプは、すべて自分で決めて人の言うことは聞かない。

まかり間違えば独裁者になる。

 

立憲民主党の枝野代表は、政権交代に向け、立憲が選択肢になるよう、対立軸を作ることに力点を置いた。

目指す社会像は「共生社会」。

医療や介護などのベーシックサービスの充実、格差解消、自然エネルギー立国など。

 

人生で経験することの多くは実力と運の組み合わせだという。

運が良かったと自覚できることや、周りから助けられたと素直に受け止めることができることが大事。

全て「俺が俺が」と語る人間は底が浅い。

資本主義を選択した以上、自己責任を主体にした競争主義はなくならないだろう。

それだけに国が資本主義が持つ欠点をよくわきまえたうえで様々な政策を行うべきだ。

その意味で我々は格差拡大に向かわざるを得ない「新自由主義的」な方向に走るべきではあるまい。

 

菅首相が任命排除した東京大学教授宇野重規氏の著書に「保守主義とは何か」がある。

きわめて心に響く文章がある。

現代の時代感覚を一言で言えば、「未来が見えない」ではなかろうか。かって楽観的に「今日よりも明日」、「明日よりも明後日」を信じられた時代と違い、今日では未来の不透明性が高まるばかりである

そのような時代だからこそ、私たちは、拠り所となる何かを求める。それは何らかの大義かもしれないし、宗教かもしれないしあるいは国家民族かもしれない。しかしながら、今こそ私たちは、抽象的な原理ではなく、むしろ自分たちが歴史的に築き上げてきた社会の仕組みや、それを支える価値観を大切にする保守主義の精神から学ぶべきではないか

 

保守を名乗る人たちの劣化が著しい。

「親米嫌中・韓」が保守だと勘違いしている。

わが国の独立が侵されていると感じられる最大のものは「日米地位協定」である。

このことについて真正面から議論している形跡がない。悲しいことである。

 

保守は道義を大事にすべきなのだが、安倍・菅政権から消え去ってしまった。

もう一度社会像を立て直す時期に来ているのではなかろうか。

アベスガの嵐の後の花ならで 散りゆくものは道義なりけり    詠み人知らず


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