後の祭り…【1】祭りのすんだ翌日。また、その日、神饌(しんせん)を下ろして飲食すること。後宴。【2】祭りのあとの山車(だし)のように、時機遅れで、むだなこと。手遅れ。「今さら悔やんでも―だ」[類語] 遅い
『大辞泉』の説明はこうなっておりましたな、「後の祭り」。
党の方針がよく理解できていない一般国民は、多くの場合【2】の意味で使っている言葉でありましょう。
ラジカルすぎて、党にも大衆にも溶け込めないというのが私の最大の欠点。
丸山氏は「ただのあまのじゃく」としか評価してくれませんが、そうなのかなぁ~。
それはともかく、私は「後の祭り」という言葉には、もっと懐かしい想いを抱いているのです。
幼少の砌(自分のガキの頃を、なに気取ってんだい!)、
ご多聞に漏れず、父方・母方の実家がある地域の、鎮守様という雰囲気の神社の祭礼に行って、
国家安泰五穀豊穣商売繁盛家内安全を祈ることは疎かにして、
夜店で何か買ってもらうことが大、大、大、大好きでした。
♪好きよ、好きよ、大スケくん ってなくらいだ。
だから落語の『初天神』は嫌いだ。聴いていると溢れんばかりに子供の頃の思い出がよみがえってきて、
「おいらー、オイラーの法則…じゃねぇや、おいらー、ケガレちまったい」という気持ちになるから。
「やっぱり、ただのあまのじゃくだ」
ちがわい!「ケガレ」をカタカナ表記するところなんざ、本寸法の革命的奥菜主義者だ。
で、『後の祭り』に戻ります。夜宮の後、母方の実家に泊めてもらって、
翌朝、散歩がてら、『祭りの後』の鎮守様の境内に独り行ってみたんですよ。
霧が立ちこめていましてね、一の鳥居からは二の鳥居が見えなかったように記憶しております。
そんな白く煙る境内に、何かの屋台が一つだけぽつんと商いをしていたんですね。日程を間違えたのか、あまりに売れ残りが出たのか、とにかく店開いていた、早朝だというのに。
何のお店だったかな。記憶が定かではない。
「やきそば」とか「お好み焼き」とか「ソースせんべい」のような私の好みに合う屋台でなかったことは確かです。
「べっこう飴」か「りんご飴」か「あんず飴」、飴系だったのではないかなぁ。
あの頃虫歯が多くて、でも歯医者嫌いで行かなくて、辛いけど歯痛をじっとこらえていて、私の人生の中であれほどけなげだった時期はない!という子供時代だったので、
飴が嫌いでしてね。
ああ、まわりくどい!宮崎駿監督なら、こういうファンタジーをものすごく感動的にまとめられるんだろうに…、
だけど、僕にはピアノがない(友情出演:西田敏行)
友情出演、とか特別出演というのは、見合うだけのギャラが払えなかったり、クレジットの順に調整がつかなかった時に用いられる方便で……ま、いいか。
あの光景が《原体験》として焼き付いているんですね。
何もないと思って行った神社、お誂え向きに“虚無の象徴”たる一面の朝霧、
でも、そこには一件の屋台が店ひらいていて、私の好かない飴売ってる。
あの日、あの時、あの場所で飴に会えなかったら……結衣は朝十六茶から~~
ってほどのことではないけれど、
大きなイベントは終わった瞬間に終わるものではない。
人々によってそこに集められたエネルギーはとてもじゃないが消えられないんだ、
何か痕跡が残るものなんだ、
ということが私に刻みつけられてしまったんですね。
3月31日、仕事がないわけじゃないけど、その日にしなければならないというほどの大仕事はない。
3月31日に新国立劇場を散歩していそうな自分がいる。
まだまだ公演が続いている最中に、こんな記事を書いて、なんですが。
私の不思議体験があった神社、目黒区の八雲神社なんです。
↓こちらさまのブログに思い出深い境内の写真が掲載されていました。
30ウン年前とほとんど変わっていない感じで、びっくり。(そう、30年くらい、行っていないんです)
http://blogs.yahoo.co.jp/sasuihama/15885066.html
「後の祭り」、
それは26日に来るサンタさん、
15日の下駄箱に入っているチョコレート、
1月4日のなすび。
時期遅れだが、無駄ではなく、やはり伝わるものがある。
『大辞泉』の説明はこうなっておりましたな、「後の祭り」。
党の方針がよく理解できていない一般国民は、多くの場合【2】の意味で使っている言葉でありましょう。
ラジカルすぎて、党にも大衆にも溶け込めないというのが私の最大の欠点。
丸山氏は「ただのあまのじゃく」としか評価してくれませんが、そうなのかなぁ~。
それはともかく、私は「後の祭り」という言葉には、もっと懐かしい想いを抱いているのです。
幼少の砌(自分のガキの頃を、なに気取ってんだい!)、
ご多聞に漏れず、父方・母方の実家がある地域の、鎮守様という雰囲気の神社の祭礼に行って、
国家安泰五穀豊穣商売繁盛家内安全を祈ることは疎かにして、
夜店で何か買ってもらうことが大、大、大、大好きでした。
♪好きよ、好きよ、大スケくん ってなくらいだ。
だから落語の『初天神』は嫌いだ。聴いていると溢れんばかりに子供の頃の思い出がよみがえってきて、
「おいらー、オイラーの法則…じゃねぇや、おいらー、ケガレちまったい」という気持ちになるから。
「やっぱり、ただのあまのじゃくだ」
ちがわい!「ケガレ」をカタカナ表記するところなんざ、本寸法の革命的奥菜主義者だ。
で、『後の祭り』に戻ります。夜宮の後、母方の実家に泊めてもらって、
翌朝、散歩がてら、『祭りの後』の鎮守様の境内に独り行ってみたんですよ。
霧が立ちこめていましてね、一の鳥居からは二の鳥居が見えなかったように記憶しております。
そんな白く煙る境内に、何かの屋台が一つだけぽつんと商いをしていたんですね。日程を間違えたのか、あまりに売れ残りが出たのか、とにかく店開いていた、早朝だというのに。
何のお店だったかな。記憶が定かではない。
「やきそば」とか「お好み焼き」とか「ソースせんべい」のような私の好みに合う屋台でなかったことは確かです。
「べっこう飴」か「りんご飴」か「あんず飴」、飴系だったのではないかなぁ。
あの頃虫歯が多くて、でも歯医者嫌いで行かなくて、辛いけど歯痛をじっとこらえていて、私の人生の中であれほどけなげだった時期はない!という子供時代だったので、
飴が嫌いでしてね。
ああ、まわりくどい!宮崎駿監督なら、こういうファンタジーをものすごく感動的にまとめられるんだろうに…、
だけど、僕にはピアノがない(友情出演:西田敏行)
友情出演、とか特別出演というのは、見合うだけのギャラが払えなかったり、クレジットの順に調整がつかなかった時に用いられる方便で……ま、いいか。
あの光景が《原体験》として焼き付いているんですね。
何もないと思って行った神社、お誂え向きに“虚無の象徴”たる一面の朝霧、
でも、そこには一件の屋台が店ひらいていて、私の好かない飴売ってる。
あの日、あの時、あの場所で飴に会えなかったら……結衣は朝十六茶から~~
ってほどのことではないけれど、
大きなイベントは終わった瞬間に終わるものではない。
人々によってそこに集められたエネルギーはとてもじゃないが消えられないんだ、
何か痕跡が残るものなんだ、
ということが私に刻みつけられてしまったんですね。
3月31日、仕事がないわけじゃないけど、その日にしなければならないというほどの大仕事はない。
3月31日に新国立劇場を散歩していそうな自分がいる。
まだまだ公演が続いている最中に、こんな記事を書いて、なんですが。
私の不思議体験があった神社、目黒区の八雲神社なんです。
↓こちらさまのブログに思い出深い境内の写真が掲載されていました。
30ウン年前とほとんど変わっていない感じで、びっくり。(そう、30年くらい、行っていないんです)
http://blogs.yahoo.co.jp/sasuihama/15885066.html
「後の祭り」、
それは26日に来るサンタさん、
15日の下駄箱に入っているチョコレート、
1月4日のなすび。
時期遅れだが、無駄ではなく、やはり伝わるものがある。