2週間前のとある日、息子(中2)と大喧嘩しました。
取っ組み合いの大喧嘩。
腕力はさすがに敵わなくて、
途中、死ぬかも…と思った瞬間がありまして。
私がこのまま死んだら、どうせ泣くくせに。
十字架背負って後悔するんだからね。
いつもはそんな風に思うんですが、
この日はそう思わなくて。
私が今死んだとしても、
この子の糧になるだけなんだな。
そう思ったんです。
生と死って同等だと思っていて、
生きることが何よりも大事とは思っていないし、
死も選択肢のひとつにすぎないと考えてはいたんですが、
今まで、頭での理解でしかなかった。
生と死は同等ってことにしとく。
そんな感じだったんです。
それが、
母親が急逝することは、
必ずしも子の人生のマイナスにはならない。
母親を死なせたという出来事も、
子どもの人生の糧にしかならないんだなぁ…。
ってふんわりと感じたんです。
考えたんじゃなくて、「感じた」んです。
生と死って、本当に同等なんだ。
と腑に落ちた瞬間です。
だから、本当にどっちでもいいんだなぁ…
と思いました。
生への執着がゼロ、って
こういう感覚なんだなぁ、と知りました。
死にたいわけじゃないし、
生きることに虚しさを抱いたわけでもなく、
心の中が凪いでる、とでも言うのかな。
すごーーーーく静かな感覚でした。
生も死も、人生の糧になる。
すべては糧にしかならないんです。
だから、生きても死んでもどっちでもいい。
言葉だけ見ると、
すごく弱ってる人のようなんだけど、
まだ死ねない
生きなければ
という制約が存在しないから、
逆に何をやっても良いんだよね。
NGが存在しない。
全ての出来事を自分に許す。
例えば落ち込むことも、
ダラダラする時間も、
誰かを責めることも。
全てをOKにした上で、
選り好みしていけばいい。
喧嘩はもうすっごく不愉快で、
今思い出してもムカムカするんだけど、
すごく大事な感覚をくれたので、
ムカムカと感謝が共存しています。
変な感覚(笑)。
今日はフォローありがとうございます。
人生~生きていくには色々とありますね。
私もよく試練にぶつかります。
お子様中学生なんですね。
孫に中学二年がいますよ。
年子で三年生もいます。その上が高校一年です。娘はきっと、大変だろうなぁーと
常々思ってます。
これから、とうぞよろしくお願いいたします。
初めまして!
コメントありがとうございます^ ^
思春期男子は色んな意味で大変ですね^^;
なぜこうも感覚が伝わらないのか?日々驚き&疲弊してます。
お孫さん、皆年子ですか!ソレは想像を絶します…!!
過ぎればあっという間なんでしょうけど、早く落ち着いてほしいです。
それまで頑張ります^^;