私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、打ち合わせ終了後、フジオ・プロのスタッフの方からいただいたニャロメとウナギイヌ
シェーッ!と
ー全10種類ー
開運おみくじストラップ
である。
ニャロメとウナギイヌそれぞれ5色あり、私は、金色のウナギイヌでマネー運が出た。
さて、今日フジオ・プロに打ち合わせに行った際、前の打ち合わせが延びていたため、少しの間、2階のリビングに通されて待つことが出来た。
ああ、僕が11年前にこのリビングに来たときには、赤塚不二夫先生や真知子さん、偶然居合わせた、あだち勉先生(『タッチ』で知られるあだち充先生の実兄であり、赤塚先生のチーフアシスタントをしていた)みんな、まだお元気で一緒のテーブルに座って話しを出来たことが、嬉しくて、嬉しくて思わず
「赤塚先生!!僕は、たいした学歴はないけれど、いつの日にか漫画史の研究者になりたいんです。」
と少年の日からの夢を打ち明けてしまったことがある。
すると赤塚先生は、
「俺で良かったら応援するよ。うん、応援する。」
と言ってくれたんだっけ。当時から、今でも漫画の研究書を出したり、大学で漫画についての講義をしている研究者は、大学院や有名大学を出た人達がほとんどだ。
私の明治学院大学卒という学歴は、映画『華麗なるギャッツビー』に出てくるギャッツビーの学歴と似たようなものだ。
安達勉先生は、
「弟に逢ったことはありますか?
なければいつでも紹介しますよ。」
と言ってくれたっけ。
真知子さんからは、
「貴方は、随分漫画に詳しいみたいだから、そのうち私たちのほうが御世話になる時が来るかもしれないからその時は協力してね。」と言われたんだ。
当時は、まだ、池袋で漫画喫茶を経営しているだけのズブの素人だった私が、テレビ東京の人気番組だった『TVチャンピオン少年マンガ王選手権』出場が縁となり、二度目にフジオ・プロ2階のリビングに通された時の懐かしい思い出だ。
あの時、3人が私の少年の日からの夢にたいして優しさにあふれた笑顔で接してくれたことがまるで昨日のことのように鮮やかによみがえってきた。
「やあ。よくきたね。遠慮しないでここに座って話をしていきなよ。」
と3人があの日のように微笑んで迎えてくれたような気がしたんだ。
(赤塚先生!!僕は2003年春に、漫画史の研究者として先生と同じ社団法人 日本漫画家協会の正会員になれたんですよ!)
追記
安達勉先生が亡くなられたのは2004年6月18日。
真知子さんが亡くなられたのが2006年7月12日。
昨年放映されたテレビドラマ『古畑中学生』では、『おそ松くん』などの本や雑誌の資料協力をさせてもらい、杉並アニメーションミュージアムの追悼展では、赤塚先生からいただいた色紙を展示させてもらった。
今日の打ち合わせは、2010年3月16日から某国立博物館にて赤塚先生の作品を常設展示する許諾をいただくために、挨拶に行ったのだ。
常設展示の、許諾についての下働きの手伝いを私がしている。
3月の東京国際アニメフェアでは、ラーメン大好き小池さんのモデルとして知られる鈴木伸一さん(杉並アニメーションミュージアム館長であり、スタジオ ゼロ代表でもある日本を代表するアニメーターの一人。赤塚先生とは親友であり、トキワ荘の住人としても有名)と、りえ子さんとフジオ・プロのスタッフと私の4人で追悼展示ブースを見学し、パーティ会場へもご一緒させてもらった。
松屋銀座での追悼赤塚不二夫展初日の様子は、8月27日の私ブログで報告させてもらっている。
あだち充先生とは、3月の『少年サンデー&少年マガジン50周年大同窓会』のパーティの席上で初めてお逢いすることができた。
その際、安達勉先生とお逢いした時、いつでも紹介してくれるといった話しを充先生に直接話しすることができたのである。
みんな本当に心の優しい人達ばかりだったな。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、打ち合わせ終了後、フジオ・プロのスタッフの方からいただいたニャロメとウナギイヌ
シェーッ!と
ー全10種類ー
開運おみくじストラップ
である。
ニャロメとウナギイヌそれぞれ5色あり、私は、金色のウナギイヌでマネー運が出た。
さて、今日フジオ・プロに打ち合わせに行った際、前の打ち合わせが延びていたため、少しの間、2階のリビングに通されて待つことが出来た。
ああ、僕が11年前にこのリビングに来たときには、赤塚不二夫先生や真知子さん、偶然居合わせた、あだち勉先生(『タッチ』で知られるあだち充先生の実兄であり、赤塚先生のチーフアシスタントをしていた)みんな、まだお元気で一緒のテーブルに座って話しを出来たことが、嬉しくて、嬉しくて思わず
「赤塚先生!!僕は、たいした学歴はないけれど、いつの日にか漫画史の研究者になりたいんです。」
と少年の日からの夢を打ち明けてしまったことがある。
すると赤塚先生は、
「俺で良かったら応援するよ。うん、応援する。」
と言ってくれたんだっけ。当時から、今でも漫画の研究書を出したり、大学で漫画についての講義をしている研究者は、大学院や有名大学を出た人達がほとんどだ。
私の明治学院大学卒という学歴は、映画『華麗なるギャッツビー』に出てくるギャッツビーの学歴と似たようなものだ。
安達勉先生は、
「弟に逢ったことはありますか?
なければいつでも紹介しますよ。」
と言ってくれたっけ。
真知子さんからは、
「貴方は、随分漫画に詳しいみたいだから、そのうち私たちのほうが御世話になる時が来るかもしれないからその時は協力してね。」と言われたんだ。
当時は、まだ、池袋で漫画喫茶を経営しているだけのズブの素人だった私が、テレビ東京の人気番組だった『TVチャンピオン少年マンガ王選手権』出場が縁となり、二度目にフジオ・プロ2階のリビングに通された時の懐かしい思い出だ。
あの時、3人が私の少年の日からの夢にたいして優しさにあふれた笑顔で接してくれたことがまるで昨日のことのように鮮やかによみがえってきた。
「やあ。よくきたね。遠慮しないでここに座って話をしていきなよ。」
と3人があの日のように微笑んで迎えてくれたような気がしたんだ。
(赤塚先生!!僕は2003年春に、漫画史の研究者として先生と同じ社団法人 日本漫画家協会の正会員になれたんですよ!)
追記
安達勉先生が亡くなられたのは2004年6月18日。
真知子さんが亡くなられたのが2006年7月12日。
昨年放映されたテレビドラマ『古畑中学生』では、『おそ松くん』などの本や雑誌の資料協力をさせてもらい、杉並アニメーションミュージアムの追悼展では、赤塚先生からいただいた色紙を展示させてもらった。
今日の打ち合わせは、2010年3月16日から某国立博物館にて赤塚先生の作品を常設展示する許諾をいただくために、挨拶に行ったのだ。
常設展示の、許諾についての下働きの手伝いを私がしている。
3月の東京国際アニメフェアでは、ラーメン大好き小池さんのモデルとして知られる鈴木伸一さん(杉並アニメーションミュージアム館長であり、スタジオ ゼロ代表でもある日本を代表するアニメーターの一人。赤塚先生とは親友であり、トキワ荘の住人としても有名)と、りえ子さんとフジオ・プロのスタッフと私の4人で追悼展示ブースを見学し、パーティ会場へもご一緒させてもらった。
松屋銀座での追悼赤塚不二夫展初日の様子は、8月27日の私ブログで報告させてもらっている。
あだち充先生とは、3月の『少年サンデー&少年マガジン50周年大同窓会』のパーティの席上で初めてお逢いすることができた。
その際、安達勉先生とお逢いした時、いつでも紹介してくれるといった話しを充先生に直接話しすることができたのである。
みんな本当に心の優しい人達ばかりだったな。